272.ジャイアント・セコイアから学ぶ2: タンニンの効用 (2003/12/08)

さて、人間でも長寿の方の健康法には見習わなければならないことが多々ありますが、これが樹齢3000年ジャイアント・セコイアとなれば、たとえ相手が樹木であろうと長寿の秘訣を知っていて損はないでしょう。


マリポサ・グローブの森の中には、トレイルを歩く人がジャイアント・セコイアについて知識が得られるように、解説の書かれたパネルがいくつかあります。その中の一つに、「セコイアの中にも生命力の強いものと弱いものがあり、強いものだけが生き残ってきた」、と書かれていました。


確かに今もそびえるセコイアのそばに、朽ちて倒れてしまったセコイアの木がいくつもありました。そして、その解説パネルには「倒れた木を調べてみると、その樹皮に違いがあった」、と書かれていました。


木には、内部に色が濃い心材(Heart Wood)、俗に言う赤身と、周辺部の色が薄い部分(Sap Wood)、俗に言う白太(しらた)があります。

赤身の部分は、活動を止めた細胞からなり、樹脂を含み強度があります。樹木全体を支えるの役割をしています。木材として使う場合は、利用価値の高い部分です。


白太の部分は、根から吸い上げた養分を樹液として葉まで行き渡らせるための導管があり、樹脂を含まず生きた細胞によって出来ています。木材としては収縮が多く虫が食いやすいので、利用価値の低い部分です。


白太の外側には、細胞が1層だけの厚さになった形成層(Cambium)があります。まさに細胞分裂をして成長している部分です。細胞分裂によって白太や樹皮を形成していきます。


形成層の外側には樹皮(Bark)が有り、生きた細胞でできた内部樹皮(Inner Bark)と死んだ細胞でできた外部樹皮(Outter Bark)があります。


人間でも風邪を引かないように乾布摩擦皮膚の鍛錬をしたりしますね。樹木にも同じことが言えるそうです。


倒れてしまったセコイアの樹皮を調べると、倒れていないものに比べてタンニンの量が少なかったそうです。タンニンと言えばお茶に含まれる成分として良く知られていますが、タンニン樹皮の中に少ないと、病気や害虫から樹木を守ることができなくなるそうです。


樹皮がジャイアント・セコイアの生命を、2-3千年もの間守って来たのです。私たちも、これから寒い季節がやってきますが、皮膚の鍛錬でもして、タンニンの強いお茶でも飲むとしましょうか。

271.ジャイアント・セコイアから学ぶ1: マリポサ・グローブ (2003/12/08)

USに国立公園は数多くありますが、その中でも特に人気が高い所のひとつに「ヨセミテ国立公園」があります。そのヨセミテ国立公園の南側の入り口から数マイル離れたところにある「マリポサ・グローブ」に、ジャイアント・セコイアの一群があります。


ジャイアント・セコイアの木は、ヨセミテにはあと2箇所に存在していますが、本数は少ないようです。あと、ヨセミテから南へ行ったセコイア国立公園内にも、群生しているそうです。


2日前に降った雪で道路が閉鎖されていたのですが、前日に再開されて幸運にも訪れることができました。駐車場に着くと既にうっそうとした森の中です。


辺りを見渡すと、確かに巨木がそびえ立っていますが、これまでにも見かけた程度の太さの木です。しかし、駐車場から少し離れた所にある柵に囲われた木は、これまでに見たことがないものでした。


確かに太い!それだけを見るとわかりにくいのですが、回りの普通の木と比べると明らかに異質の物であることを認識させられます。例えるなら馬の足と象の足の違いのようです。また、倒れた巨木がそのまま寝ているのですが、ちょうどNASAのサターン・ロケットが横たわっているようでした。


また、根元から切り倒されて年輪がはっきり判る木がありましたが、木の中心部の年輪は幅があるため(成長が早かった)数えることができるのですが、途中からは年輪の間隔が詰まってくるため、1年分の縞模様をはっきりと区別することができなくなります。


樹齢3000年前後に及ぶとされるジャイアント・セコイアですが、カリフォルニアの一部にしか現存していないそうです。太古には地球上のあらゆるところに群生していたそうですが、消滅した理由ははっきりしていないそうです。


さて、マリポサ・グローブにあるジャイアント・セコイアの中で最も大きなものは、「グリズリー・ジャイアント」と呼ばれています。樹齢2700年。なるほど、名前から来る印象に違わない豪快な姿をしています。回りに丸太が転がっているなと思ったのですが、それは落ちてきたでした。


何度も落雷を受けて、木の中が黒く焦げています。普通落雷インパルスであるため高周波成分が多いため、電流は表皮効果により一番外側にのみ流れると言われています。


しかし、セコイアの場合は樹皮には損傷がなく、木の内部が黒く炭化していました。おそらく、樹皮は乾燥しすぎていて、電流が流れなかったようです。それだけ、樹皮は丈夫であったと言うことでしょう。


このことは、ジャイアント・セコイアの長寿と何か関係がありそうです。次回は、ジャイアント・セコイアの長寿の秘密に迫ってみましょう。

270.年賀状雑感 (2003/12/08)

年賀状のシーズンになり、いくつかのパーム系サイトでも年賀状の作成の話題が掲載されています。


年賀状には表と裏がありますが、実質的な年賀状の内容である裏が面倒であるのは当然として、表の宛名書きも相当に面倒であるわけです。


世の中には、達筆をして宛名書きを本物の筆を使って、あっという間に書き上げてしまわれる方もいらっしゃるとは思います。また裏の本文に関しても、干支の絵なども一筆書きで描いてしまわれる方もおられます。正に芸術的な才能と言えましょう。


このような芸術的な年賀状を作ることができない私のような一般人には、パソコンの年賀状ソフトはほどほどの見てくれの年賀状を、最小の労力で作ることができる救いの神であります。ましてや裏だけではなく表の宛名書きに関してもプリンター任せにできるのは、私のように字を書くことを得意としない者にとっては、欠かすことのできない物になっております。


パームの住所録さえ完璧にメインテナンスをしていれば、エクスポートか年賀状ソフトと同期を取る事によって、若干の修正を必要とするにしても、あっという間に年賀状の表書きを完成させることができるのです。


このようにパソコンの便利さによって、もう以前の年賀状の作り方には戻れないようになってしまいましたが、実は過去にはとんでもなく面倒くさい方法で、年賀状を作成していたことがあります。


今、年賀状として写真を送りたい場合、自分でパソコンでデジカメ画像を取り込んでも良いですし、フジカラーなどが行っているポストカード写真を使えば簡単にできます。しかし私が社会人になった頃は、まだそのような物はありませんでした。


今でも写真材料店で売られていますが、ポストカードになる白黒印画紙があります。フジブロマイド月光といった銘柄があり、厚手のバライタ紙でできています。このバライタ紙は、現在主流のレジンコート紙(RCタイプ紙)ではなく、にかわに乳剤を含ませた印画紙であるため、印画紙の水洗や乾燥の工程が大変面倒でありました。


私の世代では、普段の白黒印画はRCタイプを主に使っていましたから、バライタ紙の処理をするのは年賀状の時だけで余計に面倒に感じました。


年賀状ですから、原稿になる写真だけではなく、文字を入れる必要があります。「謹賀新年」の文字を入れる場合、白抜きなら重ねて一度露光をすればいいのですが、黒抜きにしなければならない時は、2度露光が必要になり余計に手間が掛かりました。


露光、現像、停止、定着、水洗促進、水洗、乾燥と、それこそ浅草の手焼きせんべいのように一枚一枚手作りで作業をしていくのです。


いつも徹夜で作業をしておりました。また使用する写真や文字抜きのテンプレートの準備にも、結構な時間をかけていました。


最後にこの方法で年賀状を作ったのは子供が生まれた年でした。べた焼きで10枚ぐらいの子供の写真を1枚の年賀状に焼き付けたのですが、パーフォレーション(フィルムの穴)が写っており、ドキュメンタリー風で好評でした。


写真を見せる立場からすれば、べた焼きはあまり面白くないのですが、この方法はいつかやってみようと長い間構想を練っていた手法でした。結局、それを最後に白黒印画紙を使った年賀状は出さなくなりました。


今も、私のデスクトップ・パソコンの横には、Lucky G70と言う引き伸し機が鎮座しております。足元にある現像バットが、パソコンを使う時いつも邪魔になります。また使う日が来るのでしょうか?