610.ぐるっと回って何回転? (2006/11/11)

久しぶりに算数の問題です。あなたなら何と答えますか?


問題


(1)半径2センチメートルと10センチメートルの、大小2つの円があります。今、大きい方の円を固定して、その外周に小さい方の円を、すべらないように接しながら大きい円の周りを1周させたとしたら、元の位置に戻るまでに何回転するでしょうか?


(2) (1)と同じ円において、大きい方の円を固定して、小さい方の円を大きい円に内接するようにしてすべらないように1周させたとしたら、元の位置に戻るまでに何回転するでしょうか?


半径の比が1:5ですから、円周の比も1:5になります。ですから大きい円の周りを1周回る間に、小さい円は5回転するはずですから答えは「5回転」


(2)も、外接しようが内接しようが円周の長さに変わりがあるはずもないので、「5回転」


そりゃそうでしょう、ピッタリ円と円が滑らずに円周を寄り添いながら回転するのですから、円周の長さだけを考えていれば良い筈です。


(でも、外接と内接が同じ答えではいけないような気もするな。しかも、これでは小学校6年の問題にしては簡単すぎるか?)


少し不安を感じながらもこれで合っているに違いないと解答を見てみると、


(1) 6回転

(2) 4回転


とな。


「うーむ!」 


思わず唸りましたね。「何なんだ! このテーブルマジックは! トリックがわからん!」 (別にマジックではないですが。)


しばらく悩んで思い出したのは、月の自転でした。月は地球の周りを公転する間に1回自転をするために、地球からはいつも同じ部分が見えています。地球から見ていると、月は自転していないように見えますが、実際は1自転していると言うのと同じ原理です。


大きい円の外周を回るときは同じ回転方向に1回多くなり、内接する場合は1回少なくなるのです。


「やってくれたな」と苦笑いでごまかしながら、またカッコ悪いお父さんを演じなければならないのでした。

581.国語の問題に物申す (2006/04/24)

「ゆとり教育」によって低下し続ける教育レベルを引き上げようと、教育界ではさまざまな変革を行おうとしています。


英語教育を小学校から必修にして、日本人は英語力が弱いとされている現状を改善しようと言う動きも、そのひとつです。しかし、「いや、英語をやる前に国語の力が不足していることの方が問題だ!」、といった声も多く聞かれるようです。


「ゆとり教育」がダメなら、次はまた「詰め込み教育」といった安易な変更では教育現場が右往左往するだけですから、しっかりしたビジョンを示し、将来の日本を担う次世代に本当に必要となる、知識・教養を身に付けることができる教育を目指してもらいたいものです。


さて、ここにあるのは、とある小学6年生用の国語の問題です。日本に永く住む外国人ジャーナリストが書いた文章が抜き出されています。


まず、そのジャーナリストが本を出版した時の話から始まり、同じ本を読んでも日本は地域ごとに文化が異なっているので、反響に大きさ差があると書いています。一方で非常に賛同を得た本が、別のところでは批判されるようなことが日本では珍しくないとしています。


「日本国中を講演して回った時、大阪と京都では爆笑を誘って大いに受けたので、九州での講演でも同じように受けるかと思っていたら全く反応が異なっていて、挙句の果てに「   」人までいたのには驚いた。」と書いています。


さあ、「   」にはどのような人がいたのでしょうというのが、問い1の問題です。



  1. 近くの人と話を始めた
  2. 怒って帰ってしまった
  3. 手帳を取り出してメモを取り始めた
  4. 居眠りを始めた

さて、正解はどれでしょうか?


これはあくまで国語の問題ですから、関西で受けたのとは逆であったことは想像できます。つまり受けなかったということなのですが、1から4のどのケースもありそうな気がします。少なくとも多数の聴衆の中には、それぞれ一人や二人はいたのではないかと思います。


で、正解は3番です。つまり関西では爆笑だったのに、九州では真面目な顔でそれをメモしていたというところに、オチがあるということのようです。


私はてっきり、本にも批判があったというので、怒って帰ってしまったのだと思いました。その方が爆笑になった地域との差が大きいと思ったのです。


この問題の場合はすでに文章が書かれた後ですから、それと同じでなければ正解でないと言うことかもしれませんが、正解以外の答えについて、論理的に説明ができるかどうかはいささか疑問です。


以前、大学入試問題の国語の問題に、「作者はこの時どのように感じたか、正しいものを以下の1から5までの中から選びなさい。」というのがありました。その後、当の作者が、「私がその時感じていたのは、1から5のどれでもありませんでした。」と言われていた事を思い出しました。


過去に作られた同じ問題を何回も使うことはできませんから、次々と新しい文章から問題を作り続けていかなければなりません。しかし、テレビのクイズ番組のように、ただおもしろい問題を作ればよいというものではありません。子どもたちが国語の勉強をしていく上で、どのような問題を出していくかは非常に重要です。


日本語文化を正しく継承していくために必要な、しかも子どもたちが国語の勉強を楽しく感じる事ができる、質の高い国語の問題を望みたいものです。

543.「的を得ん」言い訳 (2005/09/08)

夏の休暇疲れが尾を引いて、夏ばてなのか何なのか今一本調子になりきれないために、更新が途絶えておりました。世間では、天災や航空機事故が続いておりまして、安心して生活することの難しさを感じております。


さて、このように更新が滞っていた言い訳をしていて今一要領を得ない場合、「的を得ん」言い訳と言われるわけですが、この「的を得る」は誤りで、正しくは「的を射る」だと言うのです。


小学校の国語の問題で、「的を得る」という語句にある間違いを訂正させる問題があったのですが、最初何が間違いなのかまったく分かりませんでした。答えを見て初めて「的を射る」が正解だと分かったのです。


しかし、「的を射る」では私的には語呂が悪く感じたので、国語辞典で調べてみました。すると「的を得る」には記載がなく、「的を射る」だけが解説されています。いかにも「的を得る」は「的外れ」だと言うのです。漢字辞典で「的」を調べても同様の結果です。国語の先生的には「的を得る」は×なのでしょう。


しかし、「的を射る」の否定形の「的を射ない」ではあまりにも違和感があります。Googleの検索では、「的を得ない」は11500件引っかかりますが、「的を射ない」では1100件しか出てきません。昔なら辞典を調べて納得するしかなかったのですが、インターネットで調べるといろいろな角度から見た解説が掲載されています。


要約すると次のようになります。



  • 「的を射る」が正解で、「的を得る」は誤りである。
  • 検索サイトでヒットするのは、「的を射る・的を得る」では「的を射る」が圧倒的に多いが、「的を射た・的を得た」では逆転して「的を得た」が多くなる。
  • 年代別では、国語を現役で習っている世代(中高生)では、「的を射る」が大勢を占めるが、年代が上がるにつれて「的を得る」が多くなっていく。
  • 最近の小説の中には「的を得る」が使われているものもあるが、それが誤って使ったのか、わざと使ったのかは不明である。
  • 「正鵠を射る」「正鵠を得る」とも言い、「的を得る」もそこから派生したと考えられる。

と言ったところでしょうか。「正鵠」とは的の真ん中の黒丸を指すそうで、弓をやる人は真ん中に当たることを「的を得る」と言うそうですから、どちらもそれなりに正しいと言えるかもしれません。慣用的に使われているからこそ慣用句ですから、教科書に載っている事よりも実際にどう使われているかが重要になります。


私個人的な意見としては、「的を射る」では弓を引いて的に当てようとしている状態も指すように感じるため、的に矢が刺さっている感じがあまりしません。


また否定的に使う場合「的を射ない」は言いづらいですし、「的を得ん」と関西弁風にアレンジする事ができるのも「的を得ない」の良いところです。


しかし、学校では「的を射る」と教えているにもかかわらず、「的を得る」が自然に定着してしまうところが日本語の難しさなのかもしれません。この日本語のいい加減さが、また味であり風情を醸しだすののでしょう。


また結論がなく「的を得ない」内容になってしまいましたが、これも風情と許していただけるでしょうか?

527.三日月はいつ見えるの? (2005/07/09)

皆様の地方では、七夕の夜、織り姫彦星をご覧になることが出来ましたでしょうか?一年に一度しか遭うことが出来ないなんて、何とロマンチックなことではありませんか!


クリスマスが西洋的ロマンチックとするならば、七夕は日本風ロマンチックと言えるでしょう。何と言ってもポコ星とペコ星が一年に一度だけ秘密の夜を過ごす訳ですから、なんとうらやましい!(失礼)


ところで以前、“331.「太陽は地球の周りを回っている」”の雑記で、「最近の小学生は、どうして月がいろいろな形に見えるのかさえ解っていない」という調査結果について、書かせていただいたことがありました。


正しく「地球から見て月と太陽の位置関係が変わるから」と答えたのは約半数で、間違った答えでは「月が地球のかげに入るから」と言うのが多かったそうです。また「いろいろな形の月があるから」という答えもあったそうですが、それはそれでロマンチックかも知れません。


大人なら、地球のかげに入るのは月食だと知っていますし、いろいろな形の月があると信じている人はいないでしょう。「小学生は何とたわいのないことだ」と思ってしまうのですが、そこで大人は油断しては行けません。


果たして何パーセントの大人が、次の問題に答えることが出来るでしょうか?


三日月が東の空から上り始めるとしたら、それは何時頃でしょう? 次の中から選んでください。



1.午前9時頃、 2.午後3時頃、 3.午後9時頃、 4.午前3時頃、 5.決まっていない(昼もあれば夜もある)

月の形と見える時間には相関がないのではないかと思う人も、多いのではないでしょうか?地球から見て月と太陽の位置関係が変わるために、月の形が違って見える事は知っていても、実際の位置関係が月の形にどのように影響するかは理解しにくいものです。


時折、「月は太陽と逆で西から上がってくる」と真顔で言う人がいますが、それは天才バカボンの見過ぎに違いありません。


今、太陽系を北(地球の北極の上方)から眺めたとき、時計の中心に地球があり、12時の位置に太陽があるとします。三日月は右側の一部が太陽に照らされていますから、10時半辺りの方向にあるはずです。


つまり、太陽に対して45度ほど反時計回りに回転した位置にあります。日の出が午前6時頃とすればその3時間後になりますから、「午前9時頃」1番が正解と言うことになります。


さらに問題は、「次の日、同じ位置に月が見えるのは何時間後ですか?」と続きます。


月は約27.3日かけて地球の周りを1周しますから、一日で 360度÷27.3=約13.2度 回っているため、同じ位置に見えるためには地球は余分に自転しなければならず、 24時間÷360度×13.2度=0.88時間 遅くなります。


ですから、約25時間後 か 約24時間53分後 のように答えなければいけません。これを小学校の理科で習うのですから、大人も星を見てロマンチックなんて言っている場合ではありません。


「いろいろな形の月があるから」では困りますが、「三日月が何時に出てくるか?」と言うのも難しすぎて、「そんなことが一体何の役に立つのだ」と思われる方もいらっしゃるでしょう。


今の子どもたちが将来新婚旅行に行く頃には、月旅行が珍しくなくなっているかも知れません。


月の上での滞在が少しの時間しかない新婚旅行ツアーでは、降り立った地点に光が当たっているかいないかで、見える景色や持っていく服装に大きな違いがあるかも知れません。(日陰ならセーターを余分に持っていく??)


真っ暗な風景の記念写真しか撮れなくて、「こんな事ならちゃんと理科の勉強をしておけばよかった!」と言うことにならないように、しっかり理科の勉強をするんだぞ、息子よ!(説得力なし。)

490.割り算の余りはあまりにも難しい (2005/03/23)

久しぶりに算数の問題です。小学校の算数の問題を何気なしに見ていると、時々とんでもなく悩んでしまうことがあります。今日もそのような問題に出くわしました。


【問題1】


今ここに1.8mの紐があります。この紐を0.4mの短い紐に切り分ける時、何本の短い紐ができて、何m余るでしょうか?


【実験的解法】


1.8mの紐とものさしを用意しましょう。まず1本目の短い紐を切り取ると残りは1.4mになり、2本切り取ると残りは1mになり、3本で0.6m、4本で0.2mが残ります。もうこれ以上0.4mの紐は切り出せませんから、答えは、短い紐が4本取れて余りは0.2mです。


【小数を使った解法】


いちいち紐を切っていくのは面倒ですから、ここはアカデミックに小数を使った計算で解いてみましょう。1.8mの中に0.4mがいくつあるかは割り算で求めることができます。ただし、短い紐の本数は整数でなければなりませんから、割り算の商は1の位まで求めて余りを出すことになります。


1.8 ÷ 0.4 = 4 ・・・ 0.2  答え 4本 余り 0.2m

小数点を消して18÷4と計算した時は、余りを出す時、元の小数点の位置に戻すのを忘れないようにしなければなりません。


【分数を使った解法】


分数で表した方が簡単とおっしゃる方も多いでしょう。では分数で計算してみましょう。1.8mを18/10、 0.4mを4/10と表すと、


1.8 ÷ 0.4 = 18/10 ÷ 4/10

= 18/10 × 10/4 = 18/10 × 10/4 = 18/4 = 9/2

さて、9/2 = 9 ÷ 2 ですから、


9 ÷ 2 = 4 ・・・    あれっ、余りが違う! では、約分する前の18/4でやってみると、

18 ÷ 4 = 4 ・・・    あれれっ、また違う!

どうも最初の式1.8÷0.4からで結ばれていても、余りに関しては何か数字的な意味が変わってくるようですね。最初の式から変換された式を計算しても、結果から余りを求めると正しくないようです。


つまり、式の変換をした時は商だけを求め、それを元の式に当てはめて、余りを計算しなければならないのです。


それならば余りを求める計算式の場合は、元の式を変換してもで結び付けてはいけないように思うのですが、いかがなもんでしょう? (誰に聞いている?)


【教訓】


余りはあまりにも難しい!(物を分け合うとき、先に余りを除いてから等分する場合はインチキと思え!)