235.停滞する日本を憂う5: 日経の社説から (2003/10/25)

2002年8月15日日本経済新聞に、“敗戦」から何も学び取らない国の悲劇”と言う社説が掲載されています。


その冒頭で、「太平洋戦争の敗戦から57年が過ぎた。われわれはあの敗戦から何を学んだだろうか。」、と問うています。戦争によって、日本という国は何も学んで来なかったと断言しています。「真正面から歴史と向かい合うことをせず、過去から何も教訓として得ることなくきた。
」、と言っています。


日本はまた同じ過ちを繰り返し、「太平洋戦争敗戦に至る過程と、今日の日本が『第2の敗戦』とも言うべき衰退の道をたどっている経緯を比較分析すると驚くほど似ている。」、と言っています。


哲学者の言葉を借り、「直観的な事実にのみ信頼を置き、推理力による把捉を重んじないという民族の性向がある。」、と言い、「日本が鎖国している間に欧米では新しい科学が生活の隅々まで浸透していった。この落差がいまに至るまでそのまま残っている。
」、と言い加えています。


「官僚主導で同じ過ち」、と題して外交評論家の日記から、「軍人は最後まで『東京へは絶対に敵機を入れない』とか『麹町区には飛行機を入れない』といっていた。」、と引用しています。如何に村社会に留まった考え方であったかが伺えます。


社説は、「歴史を直視し、そこから教訓を得ようとしない人々や、そういう人々が構成する社会・国家は進歩しない。次世代に引き継ぐためにも3度同じてつを踏む愚は繰り返すまい。
」、と締めくくっています。


三度目の正直!その為にも今の日本、過去の日本をもう一度省みる必要がありそうです。

234.停滞する日本を憂う4: 敗戦真相記 (2003/10/25)

今回紹介してきたのは、敗戦真相記 -予告されていた平成日本の没落-と言う本です。原爆が投下されたわずか一ヶ月後の広島で行われた、永野 護氏による講演を書き下ろした本が再出版されたものです。


出版社のバジリコの紹介文にあるように、「官栄えて 国滅ぶ 無気力国家ニッポン」というフレーズには、現代の日本が抱える問題点がそのまま浮き彫りにされています。


日本がなぜ第2次世界大戦で敗戦したかを、昭和20年9月に詳細に渡って分析をしています。色々なところで書評が成されていますが、そのどれもが戦後間もない日本で、日本の敗戦の分析をこれほどまでに明確に行っているのは驚異だと感嘆しています。


その歴史的考察が正しかったかどうかは別として、なぜ敗戦したかが解らなかった国民が多かったにも関わらず、一人の人間にこれだけの情報が集まっていたと言うことに驚きます。


アメリカ人で、戦争を経験した人に言われたことがあります。戦前にアメリカに留学して、日本のトップに立っていた優秀な人たちは、日本とアメリカの国力の違いを実体験として理解しているはずであるから、アメリカと戦争をしようとは思わないはずだと。


この本の中でも、このことはポツダム宣言以降に記述に詳しいのですが、このアメリカ人の「日本が戦争をした原因」に対する考え方が、終戦後の日本の方向性を決める事になります。


今の日本において、経済が低迷していると言われていても、その根本的な原因を理解しようとしている人は少ないのではないでしょうか?バブルの時は、なぜか世界中のお金が日本に集まってきたのに、バブルがはじけたと同時にあれよあれよという間にお金が無くなって行き、おまけにそれまで海外の不動産を買いまくっていたのが反対に、日本に海外資本がどんどん入って来ているのです。一体なぜなのか?


「何か失敗をしたのかもしれないが、一生懸命やっていたはずだから間が悪かっただけだ」、と自分には責任がないと思いたがるのは、常日頃から成り行きに任せて行動しているからでしょう。


明治維新から80年で武力戦争に負け、戦後から50年で経済戦争に負け、しかも戦後から一向に手を着けられずに続いている官僚制度に、今なお根本的な解決策を取ることが出来ずに手をこまねいています。


2度あることは3度ある。3度目は何戦争と呼ばれるのか分かりませんが、小手先の器用さばかりに注力をすることをやめ、官僚主義を改め、科学的に物事を判断し、人格形成の教育を重視することを、遅蒔きながら今からでも始めなければ、第3の敗戦が訪れることは避けられないのかもしれません。

233.停滞する日本を憂う3: 官僚主義の蔓延 (2003/10/25)

(ある1冊の本から抜粋された情報を含みます。)

この本には、日本の役人士農工商封建社会を持ち込んだまま、一向に進歩していないと書かれています。特権階級に胡座をかき、下の者を如何に黙らせ支配を続ける事だけが仕事の中身であり、自分の地位や身分を守ることだけにとらわれ、本当に国のために何をすべきか、国民は何を望んでいるかを全く考えていないと嘆いています。


また、官僚の上になるほど仕事を知らないとも言っています。「本来の上役と言うものは、それだけ下役よりも仕事に長けているからこそ仕事をうまく進めていくことができるはずであるのに、局の仕事を局長が知っていることはほとんどなく、課長がぼんやり、事務官は粗方知っている程度で、大臣は仕事を知らない事を持って得意になっている」、と書いています。


そのくせ、「責任回避術だけには長けていて、決して失敗の責任を取らないようになっている」、と言っています。このような役人の仕事をしていれば、国を豊かにしようと国民がいくら一生懸命働いても、役人の無駄によって、国全体ではいつまでたっても豊かな暮らしにはならないでしょう。


今の役人の仕組みを、早晩変えていかなければならないと主張しています。まず、「官民の人事交流を自由にし、仕事に対して徹底的に責任をとらしめ、官吏の異動が国民の利益を無視してただ本人の出世の方便として行われているのを改め、専門官吏を養成できずいたずらに事務を渋滞させていることを、改善していかなければならない」、と言っています。


また「人格形成を伴う教育のあり方が大切であり、智能の士よりも真理の人であり、従来の小手先の器用な人間を作る技能万能主義を改めて、人間として信用し得る人格本位の教育制度を確立すべきである」、と述べています。


この人格形成と言うのが、一番難しいでしょう。日本の教育と言うと、計算が出来ることや漢字を読み書きできることを真っ先に考えてしまいます。しかし、元来機械的作業と言われるように、機械でも出来るぐらい単純な仕事であるわけで、現に電卓やワープロによって、自分の頭では出来ないような計算や、見たこともないような漢字を、いとも簡単に実現することが出来るのです。


教育で人格形成を行えと言っても、現在では人格という言葉自体がほとんど死語に近くなっています。「あの人は人格者だ!」等という会話は冗談では言うことがあっても、実際に使う場面には、なかなか出くわさないものです。本来人格者であるべき人たちが、次々に不祥事で捕まってしまう時勢においては、既に人格形成のための教育を考えるには遅すぎる感があります。


官僚主義の問題をを考える場合、小手先の器用さではなく、人格形成を教育として真剣に考えなければならないと言うことは、至極真っ当でありながら、どうすればよいか皆目検討がつかないのが現実ではないでしょうか?

232.停滞する日本を憂う2: 非科学的マネージメント (2003/10/25)

真面目にやっているように見えて一向に前に進んでいないプロジェクトは、日本中至る所に存在しています。これらは真面目にやっているように見える人が、何も実体のある仕事はせずに群がっているだけなのかもしれません。


仕事の効率は技術的な効率もさることながら、マネージメントにも大きく影響されます。この本にはこのような例が載っています。


横浜のアメリカ軍司令部から東京の帝国ホテルに電話をしようとしたら、日本の電話は交換手が電話をつなぐだけで3時間は掛かると言われた。それならと、自動車に電線を積んで新しい電話線を引いてしまい、わずか1時間半で「ハロー、ハロー」とやり出したそうです。


自動車で電線を道路に落としながら、後ろから別の自動車で電線を電柱に引っかけていったそうです。勿論、その場しのぎの方法かも知れませんが、目的に合わせて迅速に実現しなければならない場合もあります。


かけても良い時間と労力を、目的に合わせて適切に選択する事は、経営における科学的裏付けを常日頃から考えておかなければ、一朝一夕に出来ることではありません。


10本の橋を川に架けなければ通行量をさばくことが出来ないとき、10本同時に工事を始めてから工事費が膨れ上がった為予算が足りないことが分かり、中途半端な工事中の橋だけが残り、その内の一つとして実用に供さなかった例が紹介されています。


経営や管理手法をサイエンスとして捉えず、いたずらに勤勉論精神論がと言ったものに置き換えている事が多くないでしょうか?データを使って物事を捉えるだけでは科学とは言えません。


何かの行動を起こしたときの結果を予見でき、それが偶然ではなく科学的な根拠を示すことが出来なければ、困難な時代に生き残ることは出来ないでしょう。マネージメントに関しては、日本は欧米に比べて立ち後れていたのです。

231.停滞する日本を憂う1: 真面目な不真面目 (2003/10/25)

(ある1冊の本から抜粋された情報を含みます。)

ここに1冊の本があります。日本が今、停滞している状況から立ち直らなければならないと訴えています。日が昇る勢いで世界を席捲していた頃の日本は、いったいどこへ行ってしまったのでしょう?この特集では、この本が掘り下げている日本の問題点について紹介し、この現状を打開するにはどのようにして行かなければならないかを、考えてみたいと思います。


日本人は、几帳面で真面目であると言われてきました。確かに、朝から晩まで長い間、同じ事を我慢強くやることには向いているのかもしれません。忙しそうに立ち回っている人も多いでしょう。そのような人を見ると、確かに一見真面目に働いているように見えます。


しかし、真面目に働いているように見えるけれども、実は仕事をしているように見えるだけかもしれません。アメリカ人のようにポケットに手を突っ込んでガムを噛みながら仕事をしていると、何か不真面目で遊んでいる様な感じがしますが、仕事の効率がそれで低いかと言えばそうとは限りません。


実例で見てみましょう。この本に古い話になりますがおもしろい例が紹介されています。


日本が第2次世界大戦に負けてアメリカ軍が日本にやってきた時、横浜の港に着いたタンカーから厚木の飛行場まで燃料を輸送しようとしました。しかし、陸送では時間がかかりすぎて役に立ちません。


アメリカ軍は日本の役人に、「横浜から厚木までパイプラインを引くにはどのぐらい掛かるか?」と聞いたそうです。


横浜から厚木までは40Kmあり、それも山あり谷ありですから測量するだけでも4ヶ月は掛かる。それから仕様を決めて業者を入札で選定し、実際に工事に掛かってもそう簡単な工事ではない。そこで「3年で何とかなるでしょう」と答えたら、アメリカ軍は3年も飛行機が使えないのでは困るから、自分達で何とかすると言ったそうです。


しかし、日本の役人がどう考えても3年以上は掛かる工事を、いったいアメリカ人は何年でやるつもりかと聞いたところ、「フォーデイズ!」と答えたそうです。いくらなんでも4日ではできる訳がない、4ヶ月と聞き間違えたと思って、「4ヶ月とはまた早くできるものですね!」と言ったら、「ノー、オンリーフォーデイズ!」と言ったそうです。


ところが、日本の役人が「何を馬鹿なことを言っているんだ」と笑っているうちに、アメリカ軍は27時間でパイプラインを完成させてしまったそうです。日本人が3年は掛かると見積もった工事を、丸1日と少しでやってしまったのです。


この違いは一体どこから来るのでしょうか?