477.日本語版パームを振り返る (2005/02/24)

SONYCLIE日本市場から撤退すると言うニュースが日本中を駆け巡り、パーム愛好者の多くの方々が悲しみに打ちひしがれたのも、つい昨日のことのように思い出されます。(ってつい一昨日のことだから!)


来るべき時が来たという反応も多かったのですが、それにしてもショックは隠せない訳です。


いつまでもこのニュースの尾を引いて未練たらしいのも何ですが、かと言ってあっさり話題を変えるのも薄情なような気がします。コンサートが終わって幕が下りた後、アンコールがないからと言って、すぐに拍手をやめてしまうのは少しイヤかなと言ったところでしょうか。


いや、根気良く拍手を続けていれば、ひょっとしてアンコールに応えてくれるかも知れません。同じプレイヤーが登場するかどうかは判りませんが。


思えば、私のパーム生活の始まりはワークパッド30Jでしたから、日本語版パームとともに歩んできたと言えましょう。ワークパッドは、パソコンのデータを手軽に持ち歩くというコンセプトだったと思いますが、パソコンとパームのコラボレーションによる相乗効果が期待通りではなかったために、まずはワークパッドの撤退がありました。


バイザーシリーズも一時は若い女性の間でも人気がありましたが、デザインに頼りすぎた感があったでしょうか。次第に日本での人気が萎んで言ったように思います。


本家のパームは、更にしばらくの間積極的なプロモーションを続けました。しかし、結局日本では、CLIEの怒涛の新製品ラッシュの前にその新規性を失い、日本市場はSONYに託した形で身を引きました。


そしてSONYは、パームOSの日本での唯一のサプライヤーとして安泰であったように見えましたが、結局開発費に見合うだけの売り上げを上げることができなかったのでしょう。


エンターテインメントテクノロジーに重点を置いた今のSONYには、パームを続けていくことに魅力がないのかも知れません。リストラされたいくつかの製品分野の中に、CLIE製品も含まれてしまうことになりました。


さて、パームワンが日本市場から撤退したのは、日本語版ではCLIEに敵わないと考えたからであると言う説があります。


ここから妄想→


2人のライバルが1人の相手に対してアプローチを掛けていたが、あまりのライバルの真剣さについに諦めて、2人の幸せを願って手を引いた。


ところが、それから3年もしない間に別れたって言うじゃない!


やっぱり手を引いておいて良かったと思いながらも、まだ未練が残っているような気もする。


しかしまあ、いずれにしても時が流れているので、お互いあの時と同じ気持ちになるのは難しいだろう。


「あの時君は若かった!」


→ここから現実に戻る


実際は、パーム・ハンドヘルドからスマートフォンに移行したい時期に、携帯電話キャリア移動体通信事業をを牛耳っている日本では、ビジネスモデルが成り立たなかったと言うことが、パームからの撤退の大きな原因だったのでしょう。これは、パームワンにもSONYにも言える事かも知れません。


また妄想→


今は1人きりになった日本の携帯情報端末市場。一度失敗しているから、今度一緒になる人には、すぐに冷めてしまうカッコ良さや愛は求めない。


理想が高いだけではダメ。やはりお金儲けが上手でないと、長くは続かないもの。


素敵なビジネスモデルを引っさげたスマートフォンなら、考えてもいいよ。


→妄想終わり 


(妄想を中性的に書いたため、多少気持ちが悪いところがあったことを、お詫びいたします。)

476.クリエショック再び (2005/02/22)

最近、人並みにスパムの攻撃を受けながら、ゴキブリのようにスリッパで叩いておりました。これではいかんと思い、スパム対策などを講じようとしていた矢先、訪れていた右脳先生のサイトで、いつもの最大フォントで書かれた文字をみて、さすがに唖然といたしました。


「日本語版Palmの火が消える」


ついに来てしまったのですね。


先週、大阪梅田のヨドバシカメラのPDA売り場に参りましたら、また売り場の配置が変わってまして、正面にザウルス、右に回ってクリエ、左にはポケットPC陣営と、きれいに3等分されていました。


そのクリエに関しては、既に在庫切れになっている場合が多くなりましたが、ついに売り場さえもなくなってしまうかと思うと、さすがにさびしいものがあります。


時代の流れと言うものは確かにあります。技術の進歩によって、より良いものに置き換わっていくことはよくあることです。


例えば、カセットテープからMDになり、またメモリーデバイスになるのは、進化したと言えるでしょう。ビデオテープがDVDやHDになったのも同様です。同じ機能をより便利にしていく新しい技術には、古い技術で培った経験が生かされているはずです。


しかし、もしクリエがこのまま消え去ることになれば、日本におけるパームの技術が継承されなくなります。決して長い間とは言えないかも知れませんが、そこには数多くのチャレンジ試行錯誤があったに違いありません。


日本におけるパームが、新しい技術に置き換わることなく消えていかなければならないと言うことは、私たちにとって大きな損失でしょう。


ユビキタスオンデマンドが本格的に実現しようとしている今、パームと言う「手のひらのコンピューター」が消滅する事は、時代の流れに大きく逆行することではないでしょうか?


パームが目指した方向は、決して間違っていなかったと思います。ただ、時期が早すぎたのか? あるいは人間の方が間違った方向を向いているのか?


私は、必ずいつの日か、手のひらサイズのコンピューターが、人々が生活必需品として手放せなくなるようになると思います。そしてそのコンピューターには、パームクリエで残された知恵経験が、生かされることを確信いたします。


まずは第1幕の終了ということでしょうか。

475.デジタル化と社会秩序 (2005/02/16)

日本経済新聞に“ネットの死角備え手探り(下)罪悪感なき若者――偽札・窃盗…「遊び感覚」”、と言う記事が掲載されています。最近の犯罪には、デジタル世代ならではの罪の意識の低さが影響を与えていると、警告しています。


近年急激に増えてきている紙幣の偽造事件。プロによる紙幣の大量偽造と同時に、素人の遊び感覚での紙幣偽造が問題になっています。


パソコンとスキャナーがあれば簡単にできてしまうといった敷居の低さも手伝って、少年による犯罪が増えています。まさに子供銀行の如く遊び感覚で、罪の意識がほとんどないそうです。


確かに昔も同じようなことがありました。街の駄菓子屋で、おもちゃの子ども銀行券を出して、お菓子を買おうとしたことが。


誰が見ても嘘だとわかる場合は冗談になっても、本物に近くなるほど冗談にならなくなってくるのは、日常生活でよくあることです。特に貨幣偽造の場合は、社会を混乱させる危険性があるため、非常に重い罪となってしまうのです。


また、インターネットのオンラインゲームの中で獲得した武器や装備が盗まれたと、警察に盗難届けを出しに来る子どもが増えているそうです。人気が高い装備には数十万円もの価格が付くことがあるそうです。


これを、ゲームで使うIDやパスワードを盗み出すことによって横取りする者がいるらしいのですが、数十万円の価値が付くことがあると言っても、ゲームの中の状態を変えることが盗難に該当するかどうか、判断の難しいところです。


ただ、物体として形のあるものを盗むことが犯罪だと認識していても、形のないものの場合は、犯罪の意識が薄れてしまう傾向があるのは確かなようです。


また、親がネットワーク時代の決まりごとを、子どもに示すことができないことも、問題であると指摘しています。親の4割が、子どもの方がネットの知識が上回っていると認識していたそうですから、親にネット社会のルールやマナーを指導する事を期待するのは無理がありそうです。


ある大学の学生が書いたレポートの4割が、ネット上の他人の文章の丸写しであったという例が挙げられています。


「デジタル世界では、本物とコピーと言う概念が成立しない。」、と法科大学院教授が言われたそうですが、デジタルで表現されたものはコピーが容易であると同時に、オリジナルコピーの区別がつかないところが、デジタル社会の特徴と言えるでしょう。


考えてみれば、オリジナルを苦労してひとつ作ってしまえば、あとは複製安く大量に作ることができるところに、現代の大量消費時代を支えてきた産業の基本があります。オリジナル、つまりもとになる「版」を作り、それを所有する事によって、権利を主張できたのです。


しかし、デジタル化が社会に浸透してきた今、オリジナルには、その存在だけでは価値を伴わないようになってきました。いや、オリジナルの存在自体が危うくなってきています。


このままでは、これまで長い間社会が培ってきた、罪の意識や公共マナー、オリジナリティーに対する価値感などが、失われてしまう可能性があります。


早急に、デジタル化が進む社会において、秩序が保たれるよう対策を講じる必要があるのではないでしょうか?

474.Palm Alternative あとがき (2005/02/14)

実はパーム系のサイトをやらせていただいていて、いつも思うことがあるのです。


「一体何の為にパームを応援しているんだろう?」


最初は単にパームが好きだったからなのですが、ある程度サイトを続けていると、なんとなく冷めた目で自分を見つめている瞬間があったりするのです。


そして、そんな時は必ず自分自身で言い訳のような理由を取り繕うのです。


「パームは世の中の役に立っているから重要なのだ!」、とか、

「手のひらサイズのコンピューターは、これからもますます生活に欠かせないものになっていくはずだ!」、とか、

「パームが趣味なんだから別に理由なんかなくてもいいじゃないか!」、などなど。


確かに、好きなことを金銭的な目的ではなく、自主的に継続することを趣味とするならば、パーム愛好も趣味と言えるかもしれません。


世の中には、数多くの趣味の対照となる楽しみがあります。釣りやテニスも趣味になるでしょうし、絵画や楽器演奏もそうでしょう。写真や旅行も自動車も将棋も、一度はまってしまえばその奥深い趣味の世界は、人々の好奇心を満たし続けることでしょう。


つまり、趣味の対象になるものには、容易に最終点に到達できない奥の深さと、いつまでも変わらない普遍性が求められるのです。


山登りが趣味となるためには、そこに山がなければならないし、その山の高さが数年ごとに変わるようではいけないのです。普遍性があればこそ、継続する事に意味が出てくるのです。


ではパームに、普遍性はあるのでしょうか?


残念ながらパームには普遍性より、進歩的に変化することが求められています。では、なぜパームが趣味の対象となりうるか?そこに今回の特集の意図があります。


パームに行き着くもっと以前から、それぞれ何らかの普遍的な興味の対象があり、パームがその対象を具現化していたのではないでしょうか?


本来はそれぞれ異なった世界にいるために、普段は決して交じり合うことのない別の集団にいた私たちが、パームと言うひとつの船に乗り合わせたために、コミュニティーが出来上がったと考えられます。


しかし、目指す方向は、それぞれ異なっているのです。


「パームがなくなれば、みんなどこへ行ってしまうのだろう?」、という質問の答えに、私たち一人一人の、本当の興味の対象が隠されているのではないでしょうか?

473.Palm Alternative Part 5 (2005/02/10)

■パームOS愛好型


パームOSと永遠の誓いを交わした限りは、あらゆる雑念には影響されない。世界中でパーム愛好家がたった一人になったとしても、それはそれで価値のあることと考えることができる。


近い将来、パームOSと結婚が認められるようになることを夢見ている。


おそらく、同姓同士の結婚が認められつつあるからと言っても、人間とソフトウェアの間で結婚が認められるのは、かなり未来のことであろう。


しかし、なにより相手がソフトウェアであるから、自分から裏切らない限り、相手に見捨てられる可能性はほとんどない。(バグが付き物ではあるが。)


そういう意味では、いい加減な人間相手に結婚するより安心して老後を迎えることができる可能性が高く、未来におけるトレンドになるかも知れない。


■おもちゃ好き型


おもちゃ好きは同時に、コレクターであることが多い。グリコのおまけに始まって、おもちゃ好きのコレクションは裾野が広い。


真のコレクター型になりきる事ができるならば、パームはこれからもおもちゃのコレクションとして、重要な意味を持ち続けるであろう。


■高級品志向型


高級品は、その永遠の輝きを楽しむところに醍醐味がある。従って最高級のパームにブランド物のケースを奢った最強のアイテムは不滅である。


また高級品は使い込むに従って、さらに品格を備えるものである。高級品が時間と共に磨きこまれた時、そこには古さや新しさといった画一的な価値観を越えた、芸術的な価値が生み出されるのである。


■改造マニア型


パームの改造にもそろそろネタが尽きていた頃である。思えば、パームほど改造心をくすぐるアイテムは、これまでになかったなとつくづく思うことがある。


もうこれからも、パーム以上に楽しめるものに出会うことはないだろう。


しかるにパームの改造はまだ当分やめられない。今度はリチウムイオン電池がダメになったパームに、燃料電池を搭載してみようと計画している。


■破壊マニア型


改造するつもりで破壊してしまったパームを、今更ながらもったいないことをしたと後悔している。中古市場に出すとしても、改造されてしかも動作しないから、単なるジャンク扱いである。


今度こそとiPodシャッフルをUSBメモリーに改造しようとしたら、また壊してしまった。トホホホ。


■アメリカ大好き型


もともと英語版を好んで使っていたので、今も青春を謳歌している。CLIEが売られていないのは少しさびしいのは確かであるが、USでパームが安泰であることの方がうれしい。


まだまだ購入意欲に燃えている。現役バリバリ


■ペット愛好型


パームをペットのように可愛がってきた。最近元気が無く、食欲も衰えてきたようだが、ペットはいつか死ぬものと考えているので、自然には逆らおうとはしない。


しかもペット愛好者は、必ず次ぎもまた同じようなペットを飼うことがほとんどであるから、またどこかで新しいペットを探してくるだろう。


■CPUフェチ型


いつしかJackitoを使うようになっていた。全身CPUのようなコンセプトがたまらない。


最近のデジタル家電は、大量のデジタルデータを高速に処理するエンジンを内蔵しているようであるが、CPUらしさがなく物足りない。


シースルーの自動巻き時計があるように、CPUの中で駆け巡っている電子を見ることができるシースルー・デジタル機器の登場を、今か今かと待ち続けている。(シースルーにしても電子が見えるとは限らないが。)


■防弾チョッキ愛用型


こんな物騒な世の中だから、胸ポケットのパームは欠かせない。これなしでは不安で表を歩けないようになってしまった。


携帯電話やiPodでは小さすぎるから、パームの手のひらサイズがジャストフィット。


しかし、最近聞いた話では、紙の手帳のほうが弾が貫通しにくいそうな。それなら紙の手帳を買ってみるのもいいかなと思う。種類も豊富にあるみたいだし。