今に限らず、学校教育、特に小学校の教育問題については、長い間いろいろな議論がされて来ました。そして、問題を解決するべく、多くの施策が採られて来ました。しかし、私達には改善されつつあると言う実感がないばかりか、さらに問題が大きくなっているように思われます。
学校、特に初等教育に期待するものは、個人ごとに異なっているでしょう。集団活動の場としての学校、知識を得るための学校、技能を獲得するための学校、社会人としての教養を身につけるための学校。様々な学校に対する期待があると思いますが、いずれにしても将来社会に出た時に、有益であることが重要です。
そもそも学校は、本来先進的でなければならないはずです。子どもたちが大人になったときに必要になることを先取りし、将来に来るべき社会のニーズに応える人材を育成しなければ、社会に出てから教育をやり直すことになります。
昔の寺子屋や適塾などは、時代の変化をいち早く読みとり、必要になるであろう人材を養成していたに違いありません。
ところが、実際子どもが通う小学校を覗いてみると、その教育の現場は旧態依然としたものがあります。勿論変化があれば何でも良いというわけではありません。しかし、40年前とほとんど何も変わらず、黒板にチョークで書き殴った文字を、子どもたちがさもありがたい言葉を頂くようにノートに書き写しているのが、正しい姿なのでしょうか?もしこのような授業をしている英会話学校があったら、とっくに潰れているでしょう。
私立の学校の場合は、もう少し積極的に改善しようという意識が働いているかも知れません。しかしそれとて、日本の教育現場の平均よりましな程度で、決して将来の日本を担う人材を教育するに相応しいかどうかは疑わしいでしょう。
今なお「読み・書き・そろばん(計算)」に終始し、日本的教育価値観を満たすことに満足する日本の小学校教育からは、世界で互角に戦える優秀な人材を輩出することはできないでしょう。
では、なぜ今の初等教育現場が、旧態依然とし保守的なものになってしまったのでしょうか?
根強く残っている学歴社会、あるいは文部(科学)省の施策の問題などがよく議論されています。また、企業活動のような海外との競争がないことも、教育が自然に進歩することを妨げています。教育はその国の文化ですから、海外から教育そのものを輸入することは困難です。
小学校、特に公立の小学校は、競争原理が働かず、進歩のないまま時代に取り残されてしまっているのです。
教育現場に競争原理が働かないことに加えてさらに特徴的なのは、教育は結果がすぐには判らないと言うことがあります。
すなわち、革新的な教育をやろうとしても、その結果が出る(学校の卒業生が立派な人(?)になる事が世間に認められる)のは、教育が施されてから何年も経ってからなのです。
産業界では、新製品や特許によって一朝一夕に脚光を浴びる事があるのに対して、教育界ではその効果の確認が困難である為に、進歩的で革新的な教育を速やかに評価する事ができなかったのです。
産業界では、新たな業種が生まれ台頭してくることは珍しくありません。また新しい科学分野が創出されることも珍しくありません。大学では、新しい学部・学科を設立し、新しい科学分野に迅速に対応しようとしています。
しかし小学校では、昔から算国理社(特に国語)が勉強の中心で、多少の内容の変遷はあったとしても、保守的で新しい時代のニーズを取り込むことには無関心であるように見えます。
では、保守的な教育現場を変えていくには、どのようにすればよいのでしょうか?