257.天国の弁護士 (2003/11/14)

このジョークは、20年ほど前にリーダーズ・ダイジェスト日本語版に掲載されていたものです。


ここは天国の入り口です。


生前、人の役に立つ良いことをした人だけが入ることを許された、楽園の入り口です。


そこには神様がおられて、新しく天国にやって来た者たちに、生前のおこないに応じて天国の家を与えてくれるのです。


新しく天国に来た一人の弁護士が、その神様の下へひざまずきました。


「神様、私は生前弁護士をしておりました。私に天国の家をお与えください。」


神様は、生前の記録をパラパラとめくり、その生前弁護士に、広い土地の付いた新築の豪邸を、お与えになりました。


次に、新しく天国にやって来たローマ法王が、神様の下へひざまずきました。


「神様、私は生前ローマ法王をしておりました。私にも天国の家をお与えください。」


神様は、生前ローマ法王に、生前の記録もろくに見ないで、小さな中古住宅をお与えになりました。


生前ローマ法王は、生前弁護士との差を見て、さすがに不満に思ったのか、こう尋ねられました。


「神様、不平を言う訳ではないのですが、生前弁護士と私の家では、えらい差があります。いったいどうしてでしょうか?」


すると神様は、


ローマ法王は、天国には掃いて捨てるほどいっぱいおる。ところが、弁護士で天国に来たのは、彼が初めてなのじゃ!」

256.欠陥住宅訴訟 (2003/11/14)

NIKKEI NETに、「名義貸し建築士の責任認める、欠陥住宅訴訟で最高裁」と言う記事か掲載されています。記事を見れば、至極当然の判決にしか見えませんが、このような裁判が最高裁まで闘われて、最高裁の判断が初めて示されたと言うことですから、これまで最高裁の判例がなかったと言うことなのでしょう。


判例は最高裁のものが出されて、初めて最終的な判断が出たと見なされます。控訴審では判決が出たとしても上告審で覆る事がありますから、司法としての最終判断とは考えにくいのです。


これほどまでに、欠陥住宅のことが社会問題化しているにもかかわらず、今頃になって工事監理者の責任を言及する最高裁の判決が出たと言うことに、驚きを感じます。


もちろん、あらゆる製品に欠陥が全くないと言うことは難しいことです。住宅にも瑕疵による欠陥があることは、ある程度は仕方がないことでしょう。


しかしやるべきことをやらず、その結果必然的に欠陥住宅を作ってしまったのなら、責任を問われるのが当然でしょう。資格と言う特権の上に胡坐をかき、名義貸しなどと言う事を続けている限り、欠陥住宅を無くすことはできないでしょう。


住宅問題に関しては建築に関するものばかりでなく、賃貸の場合でも多くの問題が発生しています。例えば、賃貸物件から転出する場合、室内の汚れをクリーニングするためにデポジットがほとんど返金されなかったり、追加で請求されたりするケースが多いようです。


もちろん、故意過失によって多大な損傷を与えた場合には弁償する必要がありますが、通常の使用における汚れや劣化に対しては、本来賃貸料に盛り込まれているいるものです。もし、次の人に貸すためにそれらをまっさらにしなければならないとしたら、逆にそれまでは人に貸せない状態の住居に対して賃貸料を取っていたと言うことになりますから、家主がこれまでの賃貸料を受け取る根拠がなくなります。


このような説明をしっかりできる、不動産業者は意外と少ないようです。しかし、USでは州の法律として細かく条件が書かれていますし、不動産業者は入居の前に説明をしなければならないようです。消費者保護が謳われていますが、まだまだ十分とは言えないようです。


最近、裁判に関して国民の注目が集まって来ています。裁判官弁護士を扱ったテレビドラマも、多くなってきました。訴訟を起こすこと自体が、忌み嫌われていた時代は終わりました。広く開かれた司法を通して、安心して住める社会になってもらいたいものです。

255.特許制度の趣旨を問う (2003/11/14)

ソフトバンクIP電話に関する特許に関した発言が注目されています。ソフトバンクが取得した特許は、一切ライセンスしないし、特許が切れる間際に特許料を請求すると言う強気の方針を表明したかと思えば、一転して他社のライセンスを使っていた場合は早い目に教えて欲しいと弱気な発言をしています。


もしこれらの発言が本当に本人の口から出たものなら、何と身勝手な話でしょう。「お前は許さんが俺は許せ!」と言うことでしょうか。


また最近、日立も特許政策の見直しをして、他社にライセンスしない方針に転換しようとしています。


本来特許法は、特許を広く公開してすばらしい発明の恩恵を、多くの人々が享受できるようにするのが趣旨であり、発明者の利益を保護するのは発明者の金銭的な利益を守るためではないのです。


もちろん、発明がすぐに真似をされてしまい、発明者の努力が報いられなければ発明をする動機を失いますから、保護はされるべきではあります。しかし、大して新規性革新性のない発明が、人より少しだけ先んじて申請したからと言って、長期にわたり権利を独り占めにできるのが妥当であるとは思えません。


本当に革新的であり、他人が同じ発明をするのに何年も掛かるものに対して、20年間の独占使用権が認められるのは、当然かもしれません。その発明のおかげで、人々が快適な生活を送ることができるような商品が提供されれば、社会的貢献度が高いと言えるでしょう。


しかし、生活に役立つわけでもなく、他の有用な発明や商品の開発を、いたずらに遅らせるような発明に対して与えられた特許は、社会の敵と言えましょう。


昔のように、一部の発明家が思いつきで行っていた時と違い、現在は企業や個人が、同じテーマで同じような発明を競い合っています。一番先に申請された発明がもしなかったとしても、二番目の発明が直に申請されるような状況で、一番目にだけ長期間権利を与えることによる社会的損失もあるのではないでしょうか?


本当に新規性・革新性があり、競争者に対して何年かのアドバンテージがあるのなら、そのアドバンテージの期間だけ発明に対する権利を行使できるようにするべきでしょう。


そのためのは、申請されたものだけを審査していたのでは、新規性の程度が判断できませんから、特許の公開審査請求などの機能を変えて行かなければならないでしょう。


特許をかいくぐる為に多くの労力が使われている現状は、本来の特許制度の趣旨に反しています。その為に無駄に費やされている人類の知恵を、もっと有用な用途に振り向けるべきです。


大昔に制定された特許の制度も、時代のスピードに合わなくなっています。国際特許を同時に申請できるなどと言う些細な改善に留まらず、特許制度を時代に即した人類に貢献するものに変えていってもらいたい物です。


新規性・革新性を問う特許制度が、旧態依然としていてはおかしいでしょう?