199.虎印商標争い (2003/09/21)

優勝の勢いに乗って、さらなる戦いへ突き進む阪神タイガース。今度は、タイガー魔法瓶商標争いを始めたようです。


猫科の動物で、唯一を成して生活するのはライオンだけで、そのほかは単独で行動するそうです。一匹狼とよく言いますが、オオカミは逆に群で行動するそうです。


その虎のことですから、同じ仲間であっても縄張りを侵害するものは、ほっておく訳にはいきません。個人が持っていた商標だけでなく、同じ大阪の企業までもが標的になっているようです。


このタイガー魔法瓶と阪神タイガースの商標争いの行方には、商標の問題としてどうなるか興味のあるところですが、虎印と言えばもう一つ忘れてはならない会社があります。


タイガー計算器と言う会社をご存知ですか?大正から電子式卓上計算機(電卓)が普及するまで、機械式計算機を製造販売していた企業です。元々は、大阪の十三に本社があったそうです。


産業が発達する前は、計算をすること自体あまり需要はありませんでした。しかし、戦後日本が工業国を目指し始めてからは、様々な産業において計算を必要としました。


例えば、戦後のカメラレンズの設計に於いては、収差を求めるために膨大な量の計算を必要としたため、設計現場では何十人もの女性が一列に並んで、計算業務に従事していたそうです。


電卓が現れる前は、計算と言えば歯車を使った機械式計算機か、計算尺を使うしかありませんでした。計算尺は、概算には向いていますが、桁数を必要とする計算には、機械式計算機が使われていました。


トランジスター式の計算機が発売されたのが1964年で、その後ICやLSIを使った電卓が普及するに及んで、1970年にタイガー計算器は製造を中止したそうです。今でも骨董品屋では、昔のタイガー計算器に高値が付いているそうです。


タイガー計算器の販売会社は、現在Windows等で稼働するソフトウェアを作る会社になっていて、株式会社タイガーとして存続しているそうです。(ご丁寧に本社所在地は虎ノ門!)また、タイガー計算器という会社も、大阪に存在しているそうです。


密林の王者「虎」百獣の王「ライオン」は、誰にも判りやすい強さの象徴ですから、商標としての利用に争いが絶えないのは、仕方がないことかもしれません。


しかし、商標は、継続的に使うことによって、世間に認められるように企業が努力してこそ、価値を生むものですから、優勝した年だけに限らず、継続的に価値を高める努力をして頂きたいものです。


記載内容に誤りがあるとのコメントを頂き、一部タイガー計算器に関する記載を修正させていただきました。(2006/12/25)

198.大阪人の嘆き (2003/09/19)

阪神の優勝から何日か経ちましたが、優勝セールはまだ盛んなようで、大阪梅田の阪神百貨店は言うに及ばず、日本全国で優勝にかけた記念セールを開催しているようです。


デパートで、山のように積まれた奉仕品を見ると、デパート奉仕してくれていると勝手に思い込んでしまい、買わなきゃ損という気になってしまいますが、実はお客さん奉仕している場合もあるのかもしれません。


阪神の優勝に沸いている大阪で、阪神の優勝はうれしいけれど、大阪人として同時に寂しさを感じておられる、Ethanさんとおっしゃる方からメールを頂きました。曰く、道頓堀に大勢が飛び込んでいる姿を見て、また大阪人が笑いものにされてしまうと。一部の目立ちたがり屋がやっていることによって、大阪人全体が馬鹿騒ぎが好きだと、他の地域の人から思われるのが心苦しいと。


ニュースによると、今回は5300人もの人が飛び込みをしたそうですから、これを一部の人間と言うかどうか微妙なところですが、大阪市の総人口を約262万人とすると0.2%になり、1000人に2人が飛び込んでいることになります。


もちろん大阪市以外の人もいたでしょうし、一人で何度もダイブする事もあったでしょうから、正確ではないでしょうが、一部の人と言うには少し多すぎるように思います。これほど多くの人がダイブすると言うことは、優勝したらダイブすると宣言していた人がかなりいたのではないでしょうか。(つまり優勝するとは思っていなかった?)


さて、ここで同じ大阪エリアに住むぱむとろは、大阪人のこの馬鹿騒ぎの原因を分析し、全国の方々に大阪人を理解していただこうと努力してみることにします。


まず、大阪は商人の町でありました。商売をすると言うことは、お客様からへりくだって、もみ手で接しなければなりません。この商人の原則である、「へりくだる」、あるいは「謙遜する」と言うことが、大阪人には根付いているのではないでしょうか。


大阪人は、へりくだる、つまり自分を相手より下に置くことによって、相手に対して安心感を与えるのでしょう。昔の商人ならば、相手に安心感を与えることは有利に取引を進める上で重要でした。


なぜへりくだる為に、大阪人がお笑いズッコケに行ってしまうのかについては、もう一歩文化的背景を調べなければわからないのですが、上方落語に代表されるように、お人よしだが少し抜けているのが、大阪人の典型であるのかもしれません。


あるいは、昔土曜日がまだ半ドンだったころ、学校から帰ってきて家で昼ごはんを食べようとすると、必ず「吉本新喜劇」をやっていた記憶がある人は、自然と「ボケ」と「ツッコミ」が身についているのかもしれません。


対して、東京では「粋」と言う言葉がありますが、本物の江戸っ子のしゃべり方は正にと言うのに相応しいでしょう。経験がないので断言はできませんが、東京ではな人はダサい人より、快適に暮らすことができるような気がします。


東京で、初対面の人が挨拶代わりに大阪人のようにボケをやらかせば、信用をいっぺんに失い、「ダサい人ね!」と思われてしまうでしょうし、大阪では逆に、粋な挨拶でもすれば、「キザなやつ!」と思われるかもしれません。


つまり、大阪人がボケをかまし(大阪では行うことをかますと言います)、東京人がに見せようとするのは、どちらも相手に安心感を与え、信頼を得るための保身術のひとつであると考えることができます。


別の例で考えて見ましょう。一般的にアメリカ人は陽気フランクであると考えられています。確かに挨拶も陽気ですし、飛行機で隣に乗り合わせた人とはすぐに歓談を始めます。


ところが、USに住んでみると、アメリカ人の中には常に陽気な人もいますが、結構暗い陰気な人も多くて、平均すると日本人とさほど変わらないように思えました。


USの国民は、多くの民族が混ざっているので、その文化的背景はさまざまです。その中で、挨拶もせず黙っていると、不信感を相手に与えてしまうでしょう。危険人物と思われるかもしれません。陽気に話しかけ、握手もして、「俺は何も隠していないし、手に拳銃も持っていないよ!」と示すことが、相手に安心感を与えるために必要なのかもしれません。


さて本題に戻ります。大阪人が馬鹿なことをやらかすのは、相手に安心感を与えるために敢えてやっているのであり、本当に馬鹿なのではありません!道頓堀に飛び込むのは、ボケをかまして相手に安心感を与えているのです。だからこそ、きれいな川でなくヘドロで汚れた川に飛び込むのです。


と、へ理屈をたれて結論を出そうとしていたら、ダイエーが優勝したときに福岡でダイブするのを、役所が阻止しようとしていると言うニュースが入ってきました。福岡の人がダイブするには、実は深い訳がありまして、、、、

197.車載センサーで渋滞情報提供 (2003/09/18)

NIKKEI NETに、「ホンダ、車載センサー使い独自の渋滞情報提供
」と言う記事が掲載されています。これまでの渋滞情報は、道路交通情報通信システム(VICS)のような、道路側から発信される情報を利用していましたが、この新しいシステムは、通行中の自動車自身が情報を発信し、センターに電話回線で送ることによって、渋滞情報を共有しようと言うものです。


道路の渋滞状況を知ろうとすれば、道路を通行する自動車を観測し、同じ車が一定の区間をどのぐらいの時間をかけて通行したかを調べていました。つまり、渋滞情報を道路固有のの特性として捉えていました。


この新しいシステムは、カーナビゲーションシステムと連動させることによって、ある定められた道路の通過時間を記録し、そのデータを数多く集めることによって渋滞状況を把握しようとするもののようです。


これまでのシステムが、道路上にカメラや画像解析装置を配置しなければならなかったのに対して、どのような道路であっても、自動車が走りさえすれば自動的にデータが集まってくるのですから、インフラの整備にかかるコストを削減することが出来ます。


逆転の発想と言えるのでしょうが、既存のカーナビゲーションやGPS、無線通信技術をうまく組み合わせたシステムと言えるでしょう。


ただ、普及率がある程度上がってこないと十分な渋滞情報を集められないので、メーカー間で規格を統一し、素早くシステムを立ち上げていくことが必要になります。一定区間を1時間に数百台ぐらい通過すると、割と良い精度の渋滞情報が得られる様に思います。


ところで、渋滞情報を人々が利用してより空いている道路を見つけて走れば、渋滞が平均化するのは良い効果ですが、そもそも渋滞を解消する方策が十分に練られていないような気がします。


鉄道や航空管制に比べて、道路管制旧態依然たる方法に留まっているのではないでしょうか?平行した道路への流入を、運転者に意識させずに信号のコントロールで変化させ自然と回り道に迂回させるような、インテリジェント道路管制システムは実現できないものでしょうか?

196.デジタルカメラの新しい潮流 (2003/09/17)

9月16日にソニーが発表した新しいデジタルカメラ、「サイバーショット DSC-F828」のプレスリリースを見て、高機能デジタルカメラのひとつの標準形ができあがって来たと感じました。先立って発表されているミノルタ「DiMAGE A1」とともに、これからのデジタルカメラのひとつの潮流を形成して行くと思いました。


これらの2機種には、共通しているスペックがありますが、それは単なる偶然や模倣ではなく、これからの高機能デジタルカメラが必然的に備えなければならないスペックのように思います。


その共通したスペックとして、、



  1. レンズを固定式ズームレンズにし、焦点距離を35mmカメラ換算で28mm-200mmに設定したこと。
  2. 一眼レフ式ファインダーを使わず、TTL電子ビューファインダー視野率100%を実現したこと。
  3. デジタル画像処理によって多彩な機能を提供したこと。

の3点を上げることができると思います。


まず、レンズに関してですが、焦点面のごみの問題もあってデジタルカメラでは固定式レンズが望ましいのですが、交換できないため1本であらゆる撮影をこなす、オールマイティなレンズの搭載が必要になってきます。この両者が採用する、28mm-200mmという焦点距離は、それに最も相応しい選択だと思われます。


28mmより短焦点の24mm21mmになると、単により広い範囲が撮影できるだけでなく、その特殊な効果(デフォルメ)を積極的に使った広角レンズ特有の面白い写真を撮ることができます。しかし、ディストーションが顕著に表れ、画像の湾曲が不自然に見えることがあるため、一般的には使いこなすのが難しいと言われています。


また、200mmより長焦点になると、たとえば300mm400mmは、引き寄せ効果が大きいので、迫力のあるスポーツ写真や、遠近感を強調した立体的な写真が可能になります。しかし、肉眼で見るのとは異なる世界であるため、相応しい被写体を探すのにはそれなりの経験が必要になり、また通常の撮影においてはそれほど使う機会がないと言えるでしょう。


そもそも、一眼レフ魚眼レンズから超望遠まで使えますが、誰もがそのすべてを必要としているわけではありません。また、ライカレンジファインダーカメラなどでは、28mmからせいぜい135mmぐらいまでが常用レンズであり、逆に言えばこれまで人々に感動を与えてきた写真の多くは、その範囲のレンズで撮影されたきたわけです。


135mmでは、さすがに引き寄せ効果が少ないので、200mmまで伸ばしたのでしょう。35mmカメラに比べて、イメージサークルが小さくなるデジタルカメラでは、レンズを小さく設計できますから、無理なく7倍ズーム常用レンズとして搭載可能になったということだと思います。


2番目のTTL電子ビューファインダーは、一眼レフに今もこだわるメーカーにとっては悩むところです。これまで、一眼レフがカメラの最高峰であると宣伝してきたカメラメーカーにとって、それ以外のカメラを手がけることは方針の転換を意味します。ライカが、レンジファインダーカメラMシリーズを供給しながらも、一眼レフRシリーズを手がけたのと似ています。


ただ、電子ビューファインダーが100%視野率TTLで実現できるのに、わざわざ高く重い光学系を搭載する必要もないと思います。一眼レフのクイックリターンミラーは、振動と騒音をきたし、機械系に高い制動力を要求しますし、光学式のファインダーで100%の視野率を実現するには、コストがかかります。


しかも、その高価な一眼レフファインダーが見やすいかと言えばそうとも言えず、フォーカシングスクリーンを通して見る画像は、正に磨りガラスに映ったぼやけた像でしかありません。現在、一眼レフファインダーを搭載する機種を提供しているメーカーも、いずれは電子ビューファインダーになって行くと思われます。


最後のデジタル画像処理は、今後最も進歩が期待でき、デジタルカメラの新しい試みがどんどん提案されていくことでしょう。これまでのフィルム式のカメラは、ファインダーで絵作りをするため、ファインダーがカメラで一番重要でありました。しかし、これからは、デジタル画像処理による撮影後の絵作りが重要になってきます。


このことは、2番目のファインダーが重要でなくなってきたことにも関係します。以前は写真の基本的作業、すなわち合焦露出フレーミングにはすべてファインダーが重要な役割を担ってきました。フィルムに露光した時点で、写真の出来具合がほとんど決まってしまったからです。ファインダーの良し悪しは、写真の出来具合に決定的な影響力を持っていました。


しかし、デジタルカメラでは露光した後からでも、画像処理によって写真に変化を付けることができるようになります。ファインダーの性能より、デジタル画像処理のアルゴリズムに、写真の出来具合が左右されるようになって来ました。


デジタルカメラは、これまでのフィルム式のカメラで苦労した、フィルム感度の問題光源の適応性現像プロセスのばらつきの問題などを解決することもできます。またこれまでは、一部の趣味の世界であった暗室作業と同じ事が、画像処理プロセッサーによって誰にでも失敗なく行うことができるようになります。


このように、デジタルカメラはこれまでの銀塩カメラを置き換えるだけでなく、全く新しい写真表現を実現することが可能になるのです。これまでの一眼レフにこだわり続けるのではなく、デジタルカメラの可能性を理解し、十分に生かしきる技術を投入して行くメーカーだけが、生き残って行くように思います。


デジタルカメラの新潮流を感じたこれらの機種が、どのように市場を形成していくか、注目しています。

195.18年ぶりは21年ぶりより早く来た (2003/09/16)

阪神が優勝したということで、いろいろなところで盛り上がっています。系列の百貨店はもちろんのこと、系列に関係なく全国的に優勝記念セールを催しているようで、景気回復の起爆剤に乗り遅れまいと必死になっています。


18年ぶりということで、長く待ったというファンが多いようですが、確か18年前の1985年に優勝したときも、かなり久しぶりだった様な記憶があったので、少し調べてみると、前回の優勝は21年ぶり(1964年以来)だったそうです。


1962年と1964年に優勝したころは、毎年巨人と優勝を争い2位になった事も多かったようですが、巨人9連覇以降、優勝や2位からだんだんと遠ざかって行ったようです。今回18年ぶりというのは前回よりは早く訪れましたから、今後は優勝間隔が短くなって行くのでしょうか?


関西で優勝が多かった球団といえば、上田阪急時代が記憶に残っています。毎年のように優勝記念セールを阪急百貨店で開催していましたが、いつも優勝しているといわゆるセール品ばかりの優勝セールになってしまい、新鮮味にかけたセールになってきます。西武も常勝チームであったときは、毎年のセールに新鮮味がありませんでした。阪神百貨店のセールとなれば、一体何が飛び出すかわからない面白さがあります。


中学生のころ、学校が終わってから自転車で、甲子園室内練習場へ行ったことがあります。おそらく2軍の練習だったと思いますが、その恐ろしく速い球や、甲高い打撃音に驚きました。練習が終わって帰っていく選手に、


「坊主、今、何時や?」


と聞かれ、恐る恐る答えたことをかすかに覚えています。最近の野球選手は、芸能人と同じぐらい垢抜けていますが、昔はもっとばんからだったのです。もっとも「ばんから」という言葉を使う事自体が、最近はめっきり減ってきました。