352.アサヒカメラ最新号を見て思う (2004/06/20)

アサヒカメラ7月号特集グラビアのテーマは、「麗しのヌード」。なるほどアサヒカメラらしい芸術性の高い力作とおぼしき作品が並んでいます。海外からの作品と国内の作家の作品、カラーにモノクロと、一通りのバリエーションを網羅し、特集としての体裁を持っています。


アサヒカメラと言えば、カメラ・写真雑誌の中では硬派で通っており、写真コンテストなどの入賞作品にも、他の雑誌に比べヌード系の作品はあまり入賞しないとされていました。堅い作風の写真は、アサヒカメラの特徴そのものでした。


ところが最近思うのは、アサヒカメラにヌード系の写真が多くなったと言うことです。そう言えば、20年程前にも同じように変わっていった写真雑誌がありました。


古くからある月刊写真雑誌の御三家と言えば、アサヒカメラ、カメラ毎日、日本カメラでした。しかし、80年代に新しい写真雑誌の創刊が相次ぎ、御三家のうち特にカメラ毎日の発行部数が落ち込んでいったのです。


その後、カメラ毎日のヌード写真の特集が徐々に増え、安易な発行部数稼ぎに走ったように見えました。そして1985年5月号で、ついにカメラ毎日は休刊になってしまいました。


今月号のアサヒカメラには、特集グラビア以外にも休刊を予感させる記事があります。「ジャンル別2004夏のカメラ買い方ガイド」と言う記事では、なんと1000万画素のデジタル一眼レフと、4x5インチのビューカメラ比較記事が掲載されています。


しかもその比較の目的が、これからデジタルカメラと銀塩カメラのどちらを購入するべきかを判断する事なのです。


これは、長年この雑誌を購読してきたものにとって、かなりぶっ飛んだ記事なのです。


4x5インチフォーマットのビューカメラが、いくらレンズを含めて20万円で買え、しかも画質がすばらしいとしても、最新デジタル一眼レフに比べてお買い得だと言う理屈は、あまりにも滑稽であります。アサヒカメラの末期が近づいていると確信致しました。


デジタルカメラと銀塩カメラの趨勢を、写真雑誌として見極めなければならないのは解っていながら、銀塩カメラの衰退を間近に見て、これまで気付いてきた写真雑誌としての威信が崩れて行くのでしょうか?明らかに、編集方針に迷いが有り、パニックに陥っているように思います。


いっそのこと、デジタルカメラ専門誌を新しく創刊して、銀塩カメラだけを扱う専門誌としてアサヒカメラは生き残るのが妥当だと思います。同じカメラ・写真の範疇だからと言って、デジタルカメラと銀塩カメラのランニングコストや画質の比較ばかりしていては、休刊の時期を早めるだけでしょう。


デジタルカメラの新しい可能性を開拓する事と、古くからある銀塩写真の伝統を守る事はどちらも大切ですが、同じ雑誌の中で同時に語るには異質のものなのです。


アサヒカメラが、デジタルカメラと銀塩写真の将来を見据えた雑誌に発展・変貌することを、切に願います。

351.選択肢と幸福感 (2004/06/14)

日経サイエンス7月号に、「豊かさが招く不幸」と言う記事が掲載されています。生活が豊かになるに従って選択肢が増え続けた結果、最適なものを選ぶことに苦痛を感じるようになってきていると述べています。


一般的にものを選ぶ場合、選択肢の数が多ければ多いほどより良い選択が可能になり、満足する結果を得られやすいと考えます。ところが、個人の性格の違いにより、選択肢の多さがかえって苦痛になることがあるそうです。


人間を性向によって2つのグループに分けます。1つ目のグループを「追求型」と呼び、すべての可能性を調べ上げて選択肢の中から最適なものを探そうとする人たちです。2つ目のグループを「満足型」と呼び、最適なものを探そうとはせず、自分が満足できる選択が一つでもあれば、それ以上の可能性があったとしても興味を示しません。


まだ食べたことがないコーンフレークが273種類あると聞いても、「満足型」の人は今朝食べたコーンフレークに満足していれば気にしませんが、「追求型」の人はもっとおいしいものがあるかも知れないと、あらゆるスーパーを探し回るのです。


いま10種類の製品があり、「満足型」の人はそのうち半分ぐらいの確率で製品に満足するとします。「満足型」の人は、数種類の製品を試すだけで満足できる結果を得ますが、「追求型」の人は10種類すべてを試して最適なものを選ぼうとするでしょう。


ところが製品の選択肢が100種類になると、「満足型」の人はやはり数種類試すことによって満足できる結果を得るでしょうが、「追求型」の人は100種類全部試そうとしますから、大変骨の折れる作業になります。


幸運にも一番最初にその人にとって最適な製品を試すことができたとしても、残りの99個の製品を確かめなければそれが最適かどうか判断できませんから、「追求型」の人はすべてを試さない限り納得できないのです。


そして「追求型」の人が、現実的にすべてを試す事ができない膨大な選択肢から、ひとつのものを選ばなければならない時、あとで必ず後悔するそうです。最適でないものを選んだ可能性がある場合、最適なものとの差(機会費用)を失ったことになり、損失を被ったと考えるからです。


また一般的に良いものを選ぶことができた幸せより、良くないものを選んだ不幸のほうが、精神的ダメージが大きいそうです。


欲しいものから選ぶと言う行為は楽しいものです。しかし、「追求型」の人にとって、あまりの多くの選択肢の中から選ぶ場合、選ぶこと自体が苦痛になり得るのです。


USでは、過去30年でGDPが2倍以上になり、それに伴い経済活動における選択肢が増えているのも関わらず、幸福感が低下しているそうです。自由に選択できる事が、かえって精神的な負担になってしまう事があるのではないかと考えられています。


それにしても、今のパーム・CLIE売り場はどんどん縮小され、選択する自由が失われてきています。さまざまなパーム製品が売り場に溢れかえり、多くの選択肢から選ぶことに精神的負担を感じてみたいものだ、と思われている方も多いのではないでしょうか?


350.クリエショック (2004/06/11)

CLIEの欧米市場撤退のニュースからだいぶ日が経ちましたが、いまだにそのショックから立ち直っておりません。その為にサイトの更新も滞ってしまいました。(サボりの言い訳です。)


このニュースについて触れずに全く違う話題で更新を続けようかとも思いましたが、CLIEの将来が危ぶまれるかも知れない事態に、パームの普及を願う当サイトが言及しないわけには参りません。


そもそも、パーム普及作戦やらパーム販促作戦と言ってみたところで、自分でパーム製品を作ったり売ったりしていないのですから、国内ではSONYさんにお願いして、がんばってもらわなければどうにも成らない訳です。


コストパフォーマンスを重視するアメリカ人やヨーロッパ人が納得する価格では、SONYが納得する性能のパーム製品を供給する事ができなかったと言うことでしょう。しかしまた機が熟せば、SONYによる欧米市場の再開があることを信じております。


昔、初めてフラッシュ内蔵のカメラが売り出された時、全く売れずにすぐに消え去ったそうです。当時写真を撮るシチュエーションと言えば、旅行に行った時の記念写真が主でしたから、、日常的に室内で撮影すると言うことを想像しにくかったようです。


その後、ストロボが普及しコンパクトカメラばかりでなく本格的な一眼レフにまでストロボが内蔵されるようになり、室内で気軽に撮影することができるようになりました。同じようにPDAの普及には、何らかの生活環境の変化が必要なのかも知れません。


ところで、最近中国が工業製品の生産国としてだけでなく、消費国としても注目を集めています。北京で開催されている自動車ショーには、多くのメーカーが高級車を展示しているそうです。


また、携帯電話の普及が進み、既に2億台以上が売れているそうです。2億と言えば米国の全人口に近づいてきていますから、これまでの欧米市場中心の考え方を、転換する時期に来ているのではないでしょうか?


日本では国民皆中流意識があって、購買傾向が国民全体で同じ方向を持っているのが普通のように考えてしまいがちです。多くの商品で流行りすたれが同時に起こり、若干の地域格差があるとしても、多くの点で単一のマーケット戦略が使えます。


しかし人口の多い中国ではそうは行きません。同じ国の中に様々な階層の人たちが存在し、それらの人たちが形成する市場はそれぞれで異なり、それらを一言で中国市場と呼ぶことは不可能です。そして例え中国の一部の階層でしか売れなくても、すぐに億単位の市場になるのです。


アメリカ人にはコストパフォーマンスで割高感のあったCLIEの高級機種が、意外と中国では大ヒットに成るのではないでしょうか?少なくとも一部の階層には受け入れられるでしょう。普及率が低いままでも、市場規模はそれなりの額になると思われます。


特にSONYお得意のエンターテインメントとPDAの合体は、中国受けするように思います。これからは中国市場をメインターゲットとしたCLIEを、開発してみては如何でしょうか?

349.もっと酸素を! (2004/06/01)

「パーム普及作戦」のような数回にわたる特集企画は大変疲れます。特に書いているうちに力がこもって来る時は、終わってから息切れすることがしばしばあります。


この息切れと言うのは本当で有りまして、最近数週間、喘息で苦しんでおりました。夜寝て、数時間後には止まらぬ咳が襲ってきました。喘息になると気管・気管支が収縮・狭窄し、気道を確保できない為に呼吸することが困難になってきます。


ひどい時は、金魚鉢の水面でパクパクしている金魚の如く息も絶え絶え、本当に「もっと酸素を!」と叫びたくなりますが、叫ぶ余裕もない呼吸困難に陥ります。


アレルギー3大疾病には喘息のほか、アトピーアレルギー性鼻炎がありますが、喘息はその中でも最も危険な病気で、年間7千人喘息による窒息死によって亡くなっているそうです。


以前は、喘息は一度なると直らないと言われていましたが、最近では薬の進歩によって、日常生活に支障が出ない程度にコントロールできるようになると言われています。


特に最近では、成人喘息の症例が増えているらしく、過去に小児喘息やアレルギー疾患の経験がない人でも、急に発症することがあるそうです。また、喘息による窒息死は、喘息の症状が軽症でも多くの例があり、また比較的若い人にも多いそうですから注意が必要です。


アレルギー疾患には、原因となるアレルゲンが存在する訳ですが、最近はそれらだけが原因ではなく、大気汚染環境ホルモンなどの影響が懸念されています。


某家電メーカーが、「酸素でリフレッシュ!」と、酸素発生器を売り出していますが、既に自然の空気は私たちが呼吸するのに相応しくなくなってきていると言うことでしょうか?


水道の水も飲用に適さないと言われ、ペットボトルに入ったミネラルウォーターや天然水が日常的に消費されるようになって久しくなります。水も空気も人工的な汚染が進み、本来の天然水も自然の空気も自然界には存在しないようになったのかも知れません。


天然水や新鮮な空気がすべて人工的に合成された物になってしまい、天然と言う言葉の意味が、「かつて自然界に存在したもの」などに変わってしまう事のないように願いたいものです。