本当に疲れました。
連日36度を超える炎天下の中、朝から晩まで人混みをかき分けかき分け、愛・地球博に行って参りました。今回の名古屋旅行は万博は1日だけで、あとは名古屋の繁華街を歩いたり、水族館や科学館に行く予定でしたが、結局3日間万博に費やすことになりました。
何を隠しましょう、1970年の大阪万博に、私は全くはまっていました。いまだに甦る感動、鮮やかに脳裏に浮かぶ光景。「人類の進歩と調和」を謳った大阪万博は、私の心に長い間刻み込まれてきました。
そして35年経った今、小学5年になる息子が、愛・地球博にはまってしまったのです。血は争えません。
おそらく難解に違いない外国パビリオンの映像に顔を輝かせている子どもの顔を見ていると、35年前の自分を見るような気がしました。万博の魂は永遠に不滅なのでしょうか?
確かに、大阪万博以降、つくばの科学万博や大阪鶴見の花博など、行っては見たもののあまり印象的なものはありませんでした。万博としての規模の違いもあるでしょうが、明快なメッセージが伝わってこなかったような気がします。
今や、あらゆる経済活動、いや人間の日々の営みのすべてが、地球環境問題と密接に関わっています。もっと直接的に言えば、人間の存在そのものが、環境破壊の上に成り立っていると言えます。
確かに、この万博の開催自体が、環境破壊であると問題視されたこともありました。
「愛・地球博」は、地球上の総ての「いのち」の持続可能な共生を図るためのアイディアを出し合い、共有するための場を提供しようとしています。万博のテーマに対する各出展者の姿勢は様々で、どれも決定的な解決方法にはなっていないでしょう。
しかし、半年間の開催期間中、1500万人を越える入場者に対して、何らかのメッセージを伝えることは出来たのではないでしょうか?
かつて森重久弥氏は、「あらゆる文学や芸術、芸能は人々へのアラーム(警告)である」と言いました。一番大切なのは、愛・地球博が成功したかどうかではなくて、アラームを受け取った私たちが、これから将来に向かって「何を考え」、「何を実行するか」なのです。
3日間の短い間でしたが、愛・地球博を訪れて見たこと、感じたことを書かせていただきたいと思います。おそらく独断と偏見に満ち溢れるでしょうが、よろしくお願いします。