405.「PalmOSはなくなるんですか?」 (2004/11/05)

Project Palmの11月3日付けコラム、「必死か?本気か?」機長さんが提起され、ふふふPalmふふふさん「PalmOSという名の幻想」と言うコラムで発展させているPalmOSに関する考察に、少なからず寂しさを感じない訳には参りません。


機長さんのコラムの中ではTreoとPalmOSの2つを対象に述べられているので気付かなかったのですが、そのふふふさんのコラムでははっきりと、「PalmOSというものは、本当に実在するのでしょうか?」「本来存在すべきだったのか?存在するような価値があったのかどうか。」と書かれています。


あー、なんとPalmOSの正体をあからさまにする発言がされてしまったことでしょう!


パーム好きな人にはいろいろな人がいる訳で、その中には電子手帳の類が好きな人たちや、パームのソフトウェアが好きな人たちや、ソニーのCLIEが好きな人たちがいる訳ですが、それらの人たちを根底でつないでいるのはPalmOSである訳です。


確かにふふふさんがおっしゃるとおり、PalmOSが開発された時にはおそらくそれだけで商売になるとは思われなかったのでしょう。あくまでハードウェアを動かすために必要だから作った訳で、PalmOSは部品の一つでしか過ぎなかったのです。


この辺りがハードウェアを売っている企業は、どうしてもソフト戦略に手抜きがでます。周到にねじ込んでくるマイクロソフトに対向する手立てはないのかもしれません。


少なくとも、PalmSourceの設立がパームデバイスの振興とほぼ同時に起こっていれば、そしてスマートフォンの共通プラットフォームとしての活路を切り開くことができていたならば、PalmOSの存在価値はもっと高まっていたかもしれません。


TreoのOSにマイクロソフトを採用することは大きな賭けです。そこにはOSとしてのユニークさがありませんから、機能だけで競合他社としのぎを削らなければなりません。


PalmOneがこの賭けに負ければ、Palmと名のつくものが世の中から消え去るかもしれません。だからと言って、賭けに勝った時にPalmOSが残るとは限らないのです。


ウーン、サイトの名前を変えましょうか。(そういう問題ではない!)