147.一番難しい会話 (2003/07/11)

皆さんは、外国語の会話でどのような状況での会話が、一番難しいと思われますか?


会話のシチュエーションには様々な状況があります。テレビの英会話番組などでは、様々な日常の会話のケースを設定して、その場面に応じた会話を練習するようになっています。旅行中に必要なホテルでの会話や、道の尋ね方買い物の会話病院での会話など。


でも本当に難しい会話は、英会話番組ではやってくれません。おそらく、先生の説明ではカバーしきれないほど難解な会話がなされているからです。


よく子供の会話は難しいと言われますが、それは言葉として難しいのではなくて、何を言っているのか解からないから難しいのです。日本語でも、幼い子供たちの会話は大体の意味は分かっても、正確には分からない事が多いのですが、それは言葉そのものが正確でない為です。


さて、本当に難しい会話は何かと言えば、昼食時の雑談です。これはめちゃくちゃ難しい


もちろん相手が日本人向けに質問してくれたり、こちらのペースで話してくれる場合は別ですが(それはもはや雑談とは言わない)、複数のアメリカ人が普通の会話をしているところに、一人で割って話しの中に入れるとしたらネイティブ以外の何者でもなく、特に昼食の雑談の類いは、もっとも難解な会話の一つであると思うのです。


なぜ難しいかと言うと、話題が多様であり、テンポが速く、文化的背景の知識が必要であり、結論がどこに向かっていくか予想できず、みんないい加減思い付きでしゃべっているからです。


大人になってから20年間、USに住み続けた中国系の人でさえ、時々意味が分からない事があると言っていました。スラングや文化や歴史や政治家やタレントの名前など、聞いても分からない単語がてんこもり。


まあ、長島監督と聞いた時に、日本人が思い浮かべるのと同じ事を連想できるアメリカ人が居るでしょうか?


その国に生きてきた人の、文化や歴史を理解するのは簡単ではありませんが、お互いを理解し合えるようになる為には、必要な事かもしれません。

146.つばぜり合い (2003/07/11)

今回のテーマは、少し汚い話しになるかも知れません。(とわざわざ断る時は必ず汚い話しです。)皆さんの周りの人で、しゃべる時に唾を飛ばす人はいますでしょうか?必死になってしゃべり出すと、しぶきのように飛んでくる人もいるかも知れません。


もちろんこれは、しゃべり方によるのですが、話す言語によっても異なってくるように思います。このように感じたのは、USにいた時に何度かあった、白熱した議論が展開された時です。


日本では、どうも見ても唾のしぶきの3度や4度、掛かってきそうな勢いでまくし立てているのですが、一向に飛んでこないのです。いや、不思議でした。いくら発音の中に、飛んできそうな強いアクセントがあろうとも、飛んでこないのです。


それから、アメリカ人と話すたびに気を付けていたのですが、どうも言語自体に唾が飛びにくい秘訣があるように思いました。


日本語は、ほとんどの音が音節でできていて、子音の後に必ず母音がある為、口の中のどこかを破裂して子音を出した後に、息を吐きながら母音を発生するので、飛びやすいのではないかと思ったりしていますが、良く分かりません。


中国に旅行で行った時、中国人の唾の飛ばし方のすごさに参った事があります。本当にしぶき状態になる事もありました。中国人同士が言い争いを始めると、端から見ていてもすごいしぶきが飛んでいる事が分かりました。正に、つばぜり合いです。


まあ、フランス語などはいかにも少ない様に思えますが、スペイン語やイタリア語は日本語並みかなと思ったりしています。言語学者の方に、是非研究して頂いて、つばぜり合いに決着を付けてもらいたいものです。「つばきで解かる正しい発音練習」なんて言う本が書けるかもしれませんよ。


ところで、タイトルの「つばぜり合い」、別に唾を飛ばし合うのではなくて、戦いの時、刀の鍔(つば)を迫り合うほど激しく戦う事を言うのだそうです。


でも、互いに唾を飛ばしながら言い争いしている姿も、それらしいとは思いませんか?

145.携帯電話とデジタルテレビ (2003/07/11)

パルマガ機長さんが、携帯電話に搭載されたデジタルテレビの話題を、取り上げられておられます。昨日のワールドビジネスサテライトで紹介していたのを、私も偶然見ていたのですが、機長さんのおっしゃるモバイル・テレビのバッテリー問題は、確かに電話としての機能を阻害する可能性がありそうですね。


このように、電話やメール以外の用途がどんどん開発されて、一つの携帯電話ではバッテリー問題を含めて賄いきれない様になれば、機長さんのおっしゃるように、携帯電話に加えてもう一つPDAを持つ需要が出てくるのではないかと言うのは、さすがなかなか鋭い視点ではないかと思います。


ハンカチとちり紙が、似てはいるがお互い代替にはなり得ない様に、携帯電話と役割を分担して共存していくパームの姿というのも、正当な進化であると言う事を機長さんが示唆されているのは見事です。


もちろん世の中には様々な人がいて、ちり紙で濡れた手を拭いたり、ハンカチで鼻をかんだりしても良いのですが、帯に短したすきに長し。中途半端に一つにまとめるより、帯とたすきを両方持つほうが便利かもしれません。


ところで昨日、JRの電車の中で隣の人が、携帯テレビ(アナログの物)を取り出して、車内で見ようとしていたのですが、雑音が多すぎて5分と続けて見ていられなかったようです。関西には、京阪電車の特急にテレビカーと言うのがかなり前からありますが、これも受信状態はあまり良くありません。


これまで、アナログテレビ放送がモバイルではうまく受信できなかったが、デジタル時代はモバイルテレビが普及するかもしれないと考えて開発するのは当然かもしれませんが、それを一気に携帯電話に組み込むサイズにしてしまうメーカーの技術はさすがだと思います。


開発メーカーの方のコメントにも、携帯電話のサイズに組み込む事ができる技術が、完成の域に達しているというメッセージを発したと言う事で、実際にどのように利用できるかはこれからの課題と言う事なのでしょう。


パームにデジタルテレビが組み込まれているのが、当たり前のようになるかもしれません(見るか見ないかは別にして)。

144.少年犯罪と子供のしつけ (2003/07/11)

また悲惨な事件が起きてしまいました。これまでも類似の事件がありましたが、それらの教訓を生かせなかった事が残念です。このような事が繰り返し起こる事だけは避けなければなりません。


小泉首相が、安全な社会でなくなったと公言してからも、何ら対策が打てず、あらゆる場面で危険が増えてきています。子供の誘拐のみならず、引ったくり強盗窃盗婦女暴行と、ありとあらゆる犯罪が身近頻繁に起こっています。


町でパトカーを見掛けるのは、交通安全週間などのキャンペーン期間中か、サミットなどの特別な時だけ。たまに見かけても駐車違反を取り締まるミニパトカーだったりする事が多い様に思います。


昔は、もっと頻繁に町の中をパトカーが巡回していたように思うのですが、これほど治安が問題になってきているのですから、キャンペーン中の巡回だけでは治安は守れません。


USに住んでいた時、会社の同僚の新しい家に招待された事がありました。簡単な地図と住所をもらって車で行こうとしたのですが、一方通行の入り口が分からず同じ所で何回かうろうろしていると、知らない間にすぐ後ろにパトカーがいて、パトライトを光らせ始めたのです。


「うっ、いかん!へたに動くと撃たれてしまう」と、同乗者に身動きをしない様に注意して、警察官が来るのを待ちました。


パトカーを降りてやってきた警察官は私に、「どこに行きたいんだ?」と聞いたのです。私が住所を言うと、「パトカーに付いてこい!」と言って、先導して同僚の家の前まで行ってくれました。


これに限らずUSでは、スーパーの駐車場の車椅子の乗降用のスペースに一般の車が止まれば、すぐにどこからともなくパトカーがやってきて取り締まります。


ところで、日本とUSを比較すると、日本では小さい子供と親の距離が離れすぎているように思われます。USでは、3-5メートルが限界で、それ以上親と子が離れる事は、ショッピングセンターなどの公共の場所では許されない様に思います。


小さい子供の側には必ず親や引率者がいて、誰が親jか分からないような子供はいません。遊園地などでは、子供の腰にビニールの紐を付けて、親の腕とつないでいるのをよく見かけます。


親の声の届かない所へ子供が行ってしまう事は、親自身にも周りの他人にも許されない事なのです。これは、しつけの問題であると同時に、誘拐の危険性を防ぐ為なのです。


日本では、子供が一人でスーパーやショッピングセンターを歩いていて、親がどこにいるか分からない事は、珍しい事ではありません。これから徐々に人々の意識が変わってきて、手の届かない所に子供が行く事に、不安を感じるようになって行くのでしょう。それぐらい日本の安全は危ういものになったのかもしれません。

143.CPUに潜む2つの原子力発電所 (2003/07/09)

これまでコンピューターやパソコン、ネットワークの進歩は、デバイス技術、特にマイクロプロセッサー(CPU)の技術に支えられてきました。もちろん、それ以外のメモリーや記憶装置などの進歩も貢献していますが、CPUが中心的役割を果たして来たのは間違いないでしょう。


現在は2-3Ghz程度のCPUが主流になっていますが、10Ghz30GhzなどのCPUが登場するのも、そう先の事ではないと予想されます。


パームも同様に、以前より高速なCPUを搭載する機種が増えてきましたが、近い将来音声認識による自動翻訳等の用途に発展していくには、更に高速なCPUが要求されるでしょう。


もう2年も前の事になりますが、IEEEの会議でCPUの発熱を問題にしていた事がありました。これまでは、CPUの発熱量は単位面積当たりではせいぜいホットプレートと同じぐらいだったのが、近い将来原子炉の中の温度と同じになり、2010年には太陽の表面温度と同じになると言われていました。この温度の問題によりこれまでの技術の延長線上では、数十GhzのCPUを実現する事はできないため、インテルは新しいデバイス構造を提案していました。


また同じ会議で発表されたNECの資料によると、IT関連の機器による電力消費はこのまま増加していくと、日本だけで2010年には285Bwhになり、これは原子力発電所30基分に相当すると言われています。


過去に何度もシリコン半導体の限界説が唱えられては、新しい技術で打開してきましたが、今回の限界は打開していけるのでしょうか?あるいは打開すべきなのでしょうか?


また発熱以外にも眼界が近づいている問題があります。


半導体のプロセスが進歩すると、製造に必要なマスクのコストも増大し、最新のプロセスにはマスク一式で1億円かかるとも言われています。設計変更があればその都度必要になりますから、それなりの生産量が確保でき、コストを吸収できるものでなければ最新のプロセスを利用する事はできないでしょう。


また、数Ghzを超えるクロック周波数を使う場合、微細化された配線では減衰遅延が大きくなりすぎて、デバイスのスイッチング速度に間に合わなくなってきており、これまでの微細化技術とは逆に、巨大配線プロセスなども開発が進んできています。配線の抵抗浮遊容量を減らす為には、集積度犠牲にしなければならなくなっています。


グリッドコンピューティング等で、CPUと電力の負荷を平準化する事で、これらの限界を補える可能性もあります。これだけで全ての問題を解決できる訳ではありませんが、ハードウェアをこれ以上肥大化していくのではなく、ソフトウェアによって効率よくハードウェアを活かしていく方法を、もっと考えなければいけないのではないでしょうか?私はソフトウェアの進化に大きな期待を寄せます。


ソフトウェアは利用技術と言われていますが、これまでは肥大化していくハードウェア如何に使い切るかを重要視してきたように思います。ハードウェアの高速化・大容量化が前提であり、ソフトウェアそのものの基本的な部分は、あまり進歩してこなかったと言う事はないでしょうか?


これまでのようなハードウェアをどう使い切るかではなく、人が何を望んでいるか、つまり本当に人の役に立つ情報を(ハードウェアの肥やしでなく)処理できるソフトウェアが、必要になってきているのではないでしょうか?