484.教室に生きた経済が入ってくる (2005/03/15)

3月12日に第5回日経Stockリーグの表彰式があったそうです。Stockリーグとは、中学生、高校生、大学生を対象とした株式学習コンテストで、1チーム3-5名で経済を学び考え、体験するものです。


第5回の参加者は計7,577名1,917チームに及びます。株式投資の基本的な考え方の「長期保有」「分散投資」を理解するために、500万円の仮想株式投資権が与えられ、各々決めた投資テーマに沿った複数の企業の株を、インターネットを使って実際の株価で仮想的に購入します。一定期間が終了した時点で、株による利益の順位がチームごとに発表されます。


審査は単に株による利益が高かったかどうかではなくて、株式投資に対する理解、ポートフォリオの独創性、表現力・文章力、熱意、論理性などが総合的に判断されます。


主催・後援には、日本経済新聞社文部科学省金融庁が名を連ね、最優秀賞のチームはメンバー全員が米国研修旅行に招待されます。


中学生から大学生までが、同じ条件で独創性を競い合うのもユニークですし、これほど生きた経済を学ぶことができる機会はめったにないでしょう。


教室での教育は、過去にこだわりすぎる嫌いがあります。過去の経験を教科書で学ぶことは、確かに重要なことですが、ともすれば化石のような古い知識考え方を押し付けてしまう可能性があります。


ある程度のルールを知らなければならない「国語」や「算数」(数学)とは異なり、「社会」や「理科」はダイナミックに変化します。特に「社会」は人間の日々の営みがテーマですから、社会構造や価値観、自然現象から大きく影響を受けます。


そして、知識や学問としての「社会」には、過去と現在を正しく認識することによって将来を予測し、それを望まれる形に近づけていくことが求められています。


社会活動のひとつである経済を、生きた教材にして学んだ1,917チームから選ばれた入賞レポートは、どれも力作ばかりで、たくさんの若いアイディアで溢れています。


ひょっとしたら、その中にパーム復活のヒントが隠されているかもしれません。

439.ローマ字の宿題 (2004/12/26)

小学4年になる子どもが、学校の冬休みの宿題をやっています。ローマ字を勉強しているようです。


この書き方で合っているかと聞くのでのぞき込んでみると、「しゃ → sya」「ちゃ → tya」、、、と答えを書いています。「うーん」、と唸ってしまったローマ字かな入力の達人のお父さん(それは私)


ちょっと国語の教科書を眺めてみるとこれらの答えは合っているようですが、別冊になったローマ字ドリルでは異なった書き方として、「sha」「cha」も習っている様子です。試しにパソコンではどちらも同じ仮名に変換されます。


思えばパソコンのローマ字入力に慣れていないときは、「を」だけはローマ字で入れることが出来ず、仮名入力モードにして入れていたことがありました。また「づ」を入力するのに「du」を使うことも、初めの頃は知りませんでした。


ヘボン式のローマ字をはっきり意識したのは、パスポートを初めて作ったときでしょうか。JCBカードは10数年前まで訓令式を使っていましたが、最近のクレジットカードはすべてヘボン式を採用しているようです。


小学校で習うローマ字表記は訓令式で、日本語の五十音表をそのままローマ字に置き換えたものに近く、ヘボン式は英語の発音に近くなるようになっているのですが、さらにこれらとは異なる日本式なるものまでありますから、実際の使われ方は混乱を極めます。


会社などで、本名をローマ字表記したものをメールアドレスに使うことがありますが、本人が自由に設定できる場合は、その人がどの表記法を使ったかによって様々なバージョンがあり得ます。そんなときはいくつかの表記方法を試しながら、正しいメールアドレスを探し出すことになるのです。


例えば、野球の王監督の場合、小学校で習うのは、「O^」(Oの上に山形)ですが、監督のユニフォームには「Oh」と書かれていますし、ヘボン式なら「O」の一字だけになってしまいます。その時々に応じて書く人が選んでいますから、かなりややこしいと言わざるを得ません。


それぞれの表記法には長所と短所があり、日本語の成り立ちを中心に考えるか、英語圏の人に発音しやすいように考えるかなどの視点があります。ただ、パスポートなどの公的な文書で指定されているのがヘボン式だとしたら、それに統一する方が無駄な混乱を避けることが出来ると思いますが、そうは簡単に行かないのが常のようです。


話しは少し変わりますが、今や「じ」と「ぢ」は同じ発音になっていますが、本来は違う発音をするものだという事をテレビの番組で見たことがあります。香川県辺りのお年寄りの方で、この発音を使い分ける人がいると言うことで、それぞれの発音を言い分けられていましたが、昔の日本語では「じ」も「ぢ」も同じ「ji(zi)」ではなかったのでしょう。


訓令式が日本語の五十音表をそのままローマ字に使っていると言われていますが、五十音表そのものを現代の発音に合わせて作り直すことが必要なのかも知れません。


しかし、教育問題はさておいて、子どもが書いたローマ字が正しいかどうかを、ローマ字表記表を睨みながら確かめているお父さんは、あまりかっこいいものではありませんね。

431.日本人の採点二題 (2004/12/15)

教育の話題に事欠かない昨今ですが、また国際的な学力テストで日本の順位が下がったと言うニュースです。asahi.comに、国際教育到達度評価学会が昨年実施した学力調査の結果が掲載されています。


このようなニュースが多く飛び交うと、「あまり神経質に反応するのは如何なものか?」とか、「そもそもテストの結果に信頼性があるのか?」などと、うがった見方をする方もいらっしゃるかもしれません。


しかし、発表される結果がどれも同じように低下傾向にある場合は、何らかの考察が必要になるでしょう。学力の向上と共に日本の高度成長があったとは言い切れないかもしれませんが、あらゆる産業や文化活動の前提である学力が下がることが、好ましいことであるはずがありません。


今回の結果では、小中学生の理科の学力が特に低下したと言うことです。また、アンケートで「理科が楽しい」と答えたのは、参加46カ国・地域の中で最低レベルであったと言うことです。


試しにこのような国際的な学力調査を、各国・地域の先生にも受けてもらうと、どのような結果が出るのでしょう。また同様のアンケートをとったとしたら、日本の先生たちは自分が教えている教科を好きだと答えるのでしょうか?日本の先生たちは生徒が楽しくなるような授業になるように努力しているのでしょうか?先生自らが授業を楽しんでいるのでしょうか?


最近ゆとり教育を見直すと言う風潮があります。過去の詰め込み教育による落ちこぼれをなくすために、学習内容と授業時間を同時に削ったゆとり教育が取り入れられてきましたが、学力の低下が明確になってきたため、慌てて軌道修正を行おうとしています。


そもそも落ちこぼれが増えたと言っても、それが学習内容の詰め込みすぎが原因であるのかどうかは、簡単には判らないのではないでしょうか?授業自体が面白くなく退屈であれば、いくら時間をじっくり掛けても理解度は高まらないでしょう。


また、当然子どもたちの能力にはばらつきがありますから、このような学力テストの平均点の変化だけで全体像を予測するのも無理があります。


ネクタイの幅やスカートの丈ではあるまいし、流行のように学習内容と授業時間を延ばしたり縮めたりしても、本当の教育の質を高めることはできないでしょう。


教育は、その国の伝統に基づいた文化であるはずです。もちろん、変化していくことを否定する訳ではありません。しかし、今後ゆとり教育を見直すことになっても、ただ単に昔と同じところに戻って行く事だけは避けなければなりません。


ところで、MYCOM PC WEBに、英国DTIの情報通信技術活用度調査の結果が出ています。11カ国の企業内や役所関連のITの利用の度合いを調査したものですが、日本はフランス、イタリアと共に最下位グループに入っていたそうです。


日本人も、ラテン系の仲間入りでしょうか?(それはそれで別に良いのですが、、、)

423.OECD学習到達度調査 (2004/12/07)

2000年から始められた、PISAと呼ばれる各国の15歳の生徒(義務教育終了時)を対象とした学習到達度調査は、3年ごとに行われるそうです。41カ国が参加した2003年の調査結果が発表されました。


日本からは約4700人が参加したそうです。点数はOECD加盟国の平均得点が500点になり、標準偏差も100点になるように換算されているそうです。


読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーの3分野がありますが、各実施年によって重点的に調べる分野が決まっており、2000年は読解力、2003年は数学的リテラシー、2006年は科学的リテラシーが重点分野になっているそうです。調査の時間は2時間で、重点分野には調査の3分の2の時間を費やすそうです。


さて、日本の成績は前回よりレベルが下がったそうですが、特に読解力の低下が顕著だったそうです。新聞などの報道では日本の成績を平均点だけで比較していることが多いのですが、文部科学省のサイトを見ているといろいろ違った見方が出来ます。


例えば、日本の平均点がそれ程高くない調査項目であっても、レベル6(習熟度が一番高い生徒)の割合ではトップに匹敵する成績を残していたり、あるいは数学的リテラシーの中の不確実性ではオランダやニュージーランドに優秀な生徒が多いなど、それぞれの国で特徴があることがよく分かります。


日本の成績が悪かったと言われている読解力では、フィンランドが圧倒的に優れていて、韓国、カナダと続くそうです。日本は、中位以上の生徒が60%を占めてはいるものの、レベル1未満の数がOECD平均を上回っており、生徒間で格差が開いてきている事が懸念されます。


さてこの発表を受けて、文化相の対談が共同通信に掲載されていたのですが、「勉強しなくなったために、学力が低下傾向にある事を認識すべきである。学力向上策に徹底的に取り組む姿勢を示した。」とされています。


そこまでで止めておけば良かったのですが、その後、「『僕は勉強したいから塾に行きたい』と子どもの方から親にお願いするぐらいでないといけない」と文化相が言ったとか。


文化相自ら、「に行かなければ勉強が出来ない」と言ってしまって良いのでしょうか?これでは、日航の社長が飛行機が遅れたことの言い訳に、「それなら新幹線に乗れば良い」と言っているようなものです。


これは、既に日本の小中学校に期待してはいけないと言うことなのでしょうか?(その通りなのかもしれません。)

422.どうして学習塾が流行るのか? (2004/12/06)

久しぶりの教育問題に関する話題です。実は、教育問題を扱うと反響が大きいので躊躇するのですが、今の小学校の現状を知っていただきたいために、敢えて書いてみようと思います。


世の中では、受験戦争が良くない」だとか、に行く必要はない」だとか言われる方が大勢いらっしゃいますが、それは昔の自分の時代と今が同じだと信じているからこそ言えること。この現状を見て、将来の日本を憂いなくして想像できる人がいかほどいらっしゃることでしょうか。


今日は小学校の参観日。4年生の子どもたちも張り切っています。今日の授業は理科。早速授業を覗いてみましょう。


秋も深まってきましたので、子どもたちは校庭から落ち葉を拾ってきたようです。先生はたくさんの落ち葉を、教室のいくつかに分かれたグループそれぞれに、均等に分配していらっしゃいます。なるほど、落ち葉の特徴を調べて植物による違いを勉強するのでしょう。子どもたちも机をグループで寄せ合って、その真ん中に落ち葉を積み上げています。


先生は子どもたちに、1人ずつ落ち葉を並べてグループ中の誰かの顔を作ってみましょうと促しています。なるほど、落ち葉の色や形の特徴を掴むためには良い方法です。子どもたちはめいめい好きな色や形の落ち葉を使いながら、グループの中の誰かの顔の形を作っていきます。


しばらく自由な時間が過ぎた後、先生はグループごとに発表の時間を与えていきます。子どもたちは順番に自分が落ち葉で作った顔の絵をみんなに見せて、それが一体誰の顔であるのか、他の児童たちに質問して当てさせていきます。


子どもたちは、本当に楽しそうにやり合っています。しかし、そろそろ落ち葉の特徴は分かった頃だから、植物の勉強が始まるだろうと思っていても、いっこうに始まりません。そうこうしているうちに「キーンコーンカーンコーン」


あれ、理科の授業ではなかったの?図画の時間だったっけ?


では気を取り直して隣の教室を覗いてみましょう。隣のクラスは社会の授業です。今日は、「消火器」のお勉強のようです。なるほど、消火器の役割を勉強して、どのように社会に役立っているか、また消防士さんの仕事がどのようなものであるかを勉強するのでしょう。


先生は、教壇の上に本物の消火器を置きます。先生は児童たちに、まず消火器がどのような形をしているか絵に描いてみるように指示します。子どもたちは思い思いにスケッチをしています。


しばらくの時間の後、先生は児童一人一人に描いた消火器の絵を、全員の前で説明させていきます。子どもたちは、自分が何に注目して絵に描いたかを説明していきます。


全員の説明が終わったところで「キーンコーンカーンコーン」


あれ、社会の授業ではなかったの?図画の時間だったっけ?


しばらく前から人間の個性を伸ばす教育の必要性が叫ばれていたのは知っていますが、客観性で判断することを忘れてはいけないのではないでしょうか?何もすべての授業を個性を重視するあまり、図画にしなくてもよいのではないでしょうか?


参観日でない普段の授業は、もう少し普通の授業だったのかも知れません。参観日だからこそ、答えがはっきりしないような授業をしたのかも知れません。また、日本の中でもこの地域が特殊なのかも知れません。


しかし、この参観日の後、それまで塾なんて必要ないと言っていた保護者の間で、「どっか良い学習塾知らない?」と言う会話が密かに蔓延していたのは、紛れもない事実だったのです。