久しぶりの教育問題に関する話題です。実は、教育問題を扱うと反響が大きいので躊躇するのですが、今の小学校の現状を知っていただきたいために、敢えて書いてみようと思います。
世の中では、「受験戦争が良くない」だとか、「塾に行く必要はない」だとか言われる方が大勢いらっしゃいますが、それは昔の自分の時代と今が同じだと信じているからこそ言えること。この現状を見て、将来の日本を憂いなくして想像できる人がいかほどいらっしゃることでしょうか。
今日は小学校の参観日。4年生の子どもたちも張り切っています。今日の授業は理科。早速授業を覗いてみましょう。
秋も深まってきましたので、子どもたちは校庭から落ち葉を拾ってきたようです。先生はたくさんの落ち葉を、教室のいくつかに分かれたグループそれぞれに、均等に分配していらっしゃいます。なるほど、落ち葉の特徴を調べて植物による違いを勉強するのでしょう。子どもたちも机をグループで寄せ合って、その真ん中に落ち葉を積み上げています。
先生は子どもたちに、1人ずつ落ち葉を並べてグループ中の誰かの顔を作ってみましょうと促しています。なるほど、落ち葉の色や形の特徴を掴むためには良い方法です。子どもたちはめいめい好きな色や形の落ち葉を使いながら、グループの中の誰かの顔の形を作っていきます。
しばらく自由な時間が過ぎた後、先生はグループごとに発表の時間を与えていきます。子どもたちは順番に自分が落ち葉で作った顔の絵をみんなに見せて、それが一体誰の顔であるのか、他の児童たちに質問して当てさせていきます。
子どもたちは、本当に楽しそうにやり合っています。しかし、そろそろ落ち葉の特徴は分かった頃だから、植物の勉強が始まるだろうと思っていても、いっこうに始まりません。そうこうしているうちに「キーンコーンカーンコーン」。
あれ、理科の授業ではなかったの?図画の時間だったっけ?
では気を取り直して隣の教室を覗いてみましょう。隣のクラスは社会の授業です。今日は、「消火器」のお勉強のようです。なるほど、消火器の役割を勉強して、どのように社会に役立っているか、また消防士さんの仕事がどのようなものであるかを勉強するのでしょう。
先生は、教壇の上に本物の消火器を置きます。先生は児童たちに、まず消火器がどのような形をしているか絵に描いてみるように指示します。子どもたちは思い思いにスケッチをしています。
しばらくの時間の後、先生は児童一人一人に描いた消火器の絵を、全員の前で説明させていきます。子どもたちは、自分が何に注目して絵に描いたかを説明していきます。
全員の説明が終わったところで「キーンコーンカーンコーン」。
あれ、社会の授業ではなかったの?図画の時間だったっけ?
しばらく前から人間の個性を伸ばす教育の必要性が叫ばれていたのは知っていますが、客観性で判断することを忘れてはいけないのではないでしょうか?何もすべての授業を個性を重視するあまり、図画にしなくてもよいのではないでしょうか?
参観日でない普段の授業は、もう少し普通の授業だったのかも知れません。参観日だからこそ、答えがはっきりしないような授業をしたのかも知れません。また、日本の中でもこの地域が特殊なのかも知れません。
しかし、この参観日の後、それまで塾なんて必要ないと言っていた保護者の間で、「どっか良い学習塾知らない?」と言う会話が密かに蔓延していたのは、紛れもない事実だったのです。
トゥーラン様、コメントをありがとうございます。訂正させていただきました。私が塾に行かなくてはなりませんね。
もしかして、消化器は消火器の間違いではないでしょうか?
消化器官の話なら理科になりますが・・。