475.デジタル化と社会秩序 (2005/02/16)

日本経済新聞に“ネットの死角備え手探り(下)罪悪感なき若者――偽札・窃盗…「遊び感覚」”、と言う記事が掲載されています。最近の犯罪には、デジタル世代ならではの罪の意識の低さが影響を与えていると、警告しています。


近年急激に増えてきている紙幣の偽造事件。プロによる紙幣の大量偽造と同時に、素人の遊び感覚での紙幣偽造が問題になっています。


パソコンとスキャナーがあれば簡単にできてしまうといった敷居の低さも手伝って、少年による犯罪が増えています。まさに子供銀行の如く遊び感覚で、罪の意識がほとんどないそうです。


確かに昔も同じようなことがありました。街の駄菓子屋で、おもちゃの子ども銀行券を出して、お菓子を買おうとしたことが。


誰が見ても嘘だとわかる場合は冗談になっても、本物に近くなるほど冗談にならなくなってくるのは、日常生活でよくあることです。特に貨幣偽造の場合は、社会を混乱させる危険性があるため、非常に重い罪となってしまうのです。


また、インターネットのオンラインゲームの中で獲得した武器や装備が盗まれたと、警察に盗難届けを出しに来る子どもが増えているそうです。人気が高い装備には数十万円もの価格が付くことがあるそうです。


これを、ゲームで使うIDやパスワードを盗み出すことによって横取りする者がいるらしいのですが、数十万円の価値が付くことがあると言っても、ゲームの中の状態を変えることが盗難に該当するかどうか、判断の難しいところです。


ただ、物体として形のあるものを盗むことが犯罪だと認識していても、形のないものの場合は、犯罪の意識が薄れてしまう傾向があるのは確かなようです。


また、親がネットワーク時代の決まりごとを、子どもに示すことができないことも、問題であると指摘しています。親の4割が、子どもの方がネットの知識が上回っていると認識していたそうですから、親にネット社会のルールやマナーを指導する事を期待するのは無理がありそうです。


ある大学の学生が書いたレポートの4割が、ネット上の他人の文章の丸写しであったという例が挙げられています。


「デジタル世界では、本物とコピーと言う概念が成立しない。」、と法科大学院教授が言われたそうですが、デジタルで表現されたものはコピーが容易であると同時に、オリジナルコピーの区別がつかないところが、デジタル社会の特徴と言えるでしょう。


考えてみれば、オリジナルを苦労してひとつ作ってしまえば、あとは複製安く大量に作ることができるところに、現代の大量消費時代を支えてきた産業の基本があります。オリジナル、つまりもとになる「版」を作り、それを所有する事によって、権利を主張できたのです。


しかし、デジタル化が社会に浸透してきた今、オリジナルには、その存在だけでは価値を伴わないようになってきました。いや、オリジナルの存在自体が危うくなってきています。


このままでは、これまで長い間社会が培ってきた、罪の意識や公共マナー、オリジナリティーに対する価値感などが、失われてしまう可能性があります。


早急に、デジタル化が進む社会において、秩序が保たれるよう対策を講じる必要があるのではないでしょうか?

463.架空の税金督促状 (2005/01/24)

asahi.comに「架空の税金督促状 新手の振り込め詐欺か」という記事が掲載されています。税金の支払いが未納であるという督促状が、国税不服審判所を差出人として送られて来るのだそうです。


「審判所には支払い督促の権限はない」とのことですが、このような役所関係から来る振り込め詐欺は信憑性がありますから、油断をすると簡単に引っかかりそうです。


「放置した場合は給与や不動産を差し押さえる」と書かれているそうですから、やっかいなことにならないようにと振り込んでしまう人もいるかも知れません。


裁判所を装って請求してきたり、警察を名乗ったりと、あらゆる社会のしくみの中の不完全なところを突いてきます。これまでの悪人は役所から遠ざかったところで暗躍するものと決まっていましたが、「出物腫れ物所構わず」といった状況になってきました。


かと思えば、同じasahi.comには、「さっと一筆、偽札判定ペン」という記事があり、偽札を即座に判定できるペンが発売されているというニュースです。


お札にこのペンでなぞると、紙の特殊な成分にインクが反応して、偽札の場合は茶色に、本物の場合は薄い黄色になり、すぐに消えるそうです。


個人商店などですぐに確かめることができる為、昨年末から売り上げが急増しているそうです。お札を使うたびに目の前でペンで確認されるのも、疑われているようでイヤな感じがしますが、これ程偽札が大量に使われるようになると、仕方がないことかも知れません。


昔のUSでは、偽札の多い現金よりクレジットカードの方が信用があると言われていましたが、日本でも同じ状況になってきたのでしょう。


アジアの観光地の銀行では、相変わらずUSの紙幣で特定の記号のものは受け取らないそうですが、日本の紙幣も、海外で信用をなくし始めているのではないでしょうか?


偽札を受け取ったのに気付かない場合、その損失は受け取った人が被らなければならないとしたら、私たちも偽札判定ペンを持ち歩かなければならないかも知れません。


キャッシュカードクレジットカードも悲惨な状況ですし、紙幣も安心できないとすれば一体何を信用すればいいのでしょうか?


最近はショッピングや銀行などで、ポイント制度が流行っていますが、今のところ問題になったケースは聞きませんから安心できるでしょうか。イヤ、それとも発覚していないだけ?

458.多発する偽札事件 (2005/01/14)

最近よく偽札が発見されたと言うニュースを目にします。初詣のお賽銭にもたくさんの偽札が見つかったようです。


貨幣を偽造することは、国家を混乱に陥らせる可能性があるためか罪が重いようですが、人を傷つけるわけではないので罪悪感が少ないのでしょう。


今回の新札には、最新の偽造防止技術が採用されています。ホログラム、すきいれパターン、潜像模様、パールインキ、マイクロ文字、特殊発光インキ、深凹版印刷、識別マークなどなど。


これだけあれば偽造することはさぞ難しかろうと思う訳ですが、あに図らんや、早速新札の偽札も出回っている様子です。


昔なら、印刷の技術で製版して時間が掛かりましたが、今やパソコンとスキャナー、それにプリンターがあれば、特に技術を必要とせずにあっという間に作れてしまうようです。


最新の偽造防止技術を採用すれば、全く本物と同じ物を作ることは不可能でしょうが、街中で流通させるのにはそこまでは必要ないと言うことなのでしょう。一般の人が見ただけで判断できない程度に精巧であれば、銀行に戻ってくるまで発見されないのです。


最近では市中銀行の検札機をかいくぐり、日銀で初めて発見された偽札もあったそうですから、かなり精巧に作られたものもあるようです。


日銀で偽札を発見することも大切ですが、それよりも偽札が流通しないようにしなければなりません。


少し話はそれますがUSに住んでいた時、クレジットカードのサインはローマ字漢字のどちらが安全かを議論したことがありました。


カードを落として悪用される時、アメリカ人にとって漢字は難しいだろうから、漢字のサインなら真似をされにくいから安全だと言う意見でまとまりかけていました。ところが、漢字のサインの真似が下手だとしても、それを確認する人も漢字が良く分からないから、結局どんなサインでも同じ事で、クレジットカードは落とさないことが一番だという結論になりました。


どんなに高度な偽造防止技術を使ったとしても、偽札を使う時に見分けることができなければ、偽札の流通を防ぐことはできません。偽造防止技術を高度にするだけでなく、そろそろ貨幣システム全体の将来像を考えていかなければならない時期に来ているのではないでしょうか。

457.青色発光ダイオード訴訟の落とし所 (2005/01/13)

日経BPに、青色発光ダイオードに関する訴訟の、和解成立後の記者会見についての記事が、掲載されています。


200億円の支払いを会社側に命じた一審判決とは逆に、発明者側に不利な結果に終わったようです。


「日本の司法制度は腐っている」とは発明者の中村修二氏の弁ですが、司法改革もまだ始まったばかりですから、ひょっとしたら本当に腐っていたのかもしれません。


和解勧告に従わずに、高裁の判決を仰ぐ事はできなかったのでしょうか?そうすれば高裁の判決を受けてから、必要ならば上告する事が出来たかも知れません。


6億円程度の報酬が適当とする和解案が、裁判所から提示されたとされています。一審判決で200億円の支払い金額が言い渡された時に、、「そんな裁判をしていると日本の企業の活力が失われてしまう」経済界から非難されましたから、今回の和解案の金額は経済界の意向を強く受けたものと言えるでしょう。


私たちは、裁判は法の下に全ての人が平等に裁かれると思い込んでいます。建前はそうであっても、実際は理想どおりに行かないのが世の常です。そもそも、法は国民一人一人の幸せを願って制定されたものではなく、国家維持するためにあると言えましょう。


ですから、日本の企業の活力が失われてしまうとまで言われれば、企業が有利な方向に裁判が流されていくことは大いにあり得ることです。


さらに穿った見方をすれば、日本の職務発明に関する特許法の改正をUSが迫っているため、あまりにも突出した報酬を与える判決は、葬り去らなければならなかったのかもしれません。


今回多額の報酬を認めてしまうと、近い将来職務発明についての特許法を改正しようとした時、反発が強くなることが考えられます。


これらも含めて一番争いが少なくなるようにするには、今回の和解が裁判所にとって最良の結果であったに違いありません。


争いを収めるには、落とし所が肝心と言います。そして、落とし所には、必ずしも誰もが納得する根拠があるとは限らないのです。(納得できる根拠を示して欲しいとは思いますが、、、)

455.督促状にご用心(その2) (2005/01/08)

昨日の「454.督促状にご用心」の追記です。ついに裁判所までを利用するようになった詐欺ですが、ここまで来るとなかなかやっかいです。


これまでも裁判所を名乗った郵便物で督促状が届くことがあったようです。そして、その対策は無視し続けることだったのです。それが裁判所を名乗った偽の郵便物かどうかは、容易に見分けることが出来たのです。


裁判所から発送される郵便物は、「特別送達」という特殊な郵便で届きます。基本的には書留と同じですが、確かに本人に届けられたという記録が、郵便局から裁判所に返送されるところが異なります。この送達をした記録によって、例えば裁判の判決が送達された場合ならば、控訴期間の計算が行われます。


さて、偽の督促状は通常の郵便で届きますから、無視することも可能でしょう。しかし、本当に裁判所が発送した督促状の場合は、2週間以内に異議の申し立てを行わなければ、強制執行をされてしまうことも考えられます。


本物の特別送達によって届けられた督促状に対しては、速やかに異議の申立をする必要があります。強制執行は、最初の督促状の送達から1ヶ月ぐらいで実行される事があるようです。


もちろん異議の申し立てをしただけでは事は終わりません。訴訟のスタートラインに立っただけです。そこで相手が、あたかも何らかの契約が完了しているような契約書を、偽造して証拠として持ち出してきたときには、こちらもまともに裁判を戦っていかなければなりません。


その為には弁護士か司法書士に依頼して、裁判のための準備書面を作成して、相手の戦略に対抗していかなければならないのです。


さて、裁判所が詐欺事件に利用されてしまうようになったのには、大きく2つの問題があると思います。


まず、支払い督促制度が、誰でも簡単に利用できるという問題です。


通常は債務者の住所を管轄する裁判所に支払い督促の申し立てをするのですが、直接裁判所に行く必要はなく、郵送で受理されるのです。


債権者の便宜を図って簡便な手続きによって督促が出来るようになっているのですが、裁判所は悪人がそのような申し立てをする事を想定していないのです。実在しない人物が債権者として申告していても、裁判所には判らないでしょう。


次に、裁判所には善悪の区別ができないという問題です。


裁判所の仕事は、真実の追究ではありません。人々の言い争いごとの仲裁をしているだけなのです。事実がどうであろうと、裁判所は争いがなくなるようにするだけです。


もし債権者を名乗るものが、本気でその手の弁護士を雇って裁判に乗り込んできた場合、善良な市民には太刀打ちできないでしょう。裁判で証拠として提出された書類が、偽造である事を証明するのは至難の業です。そもそも争いの事実自体がでっちあげですから、裁判になる以前の問題なのです。


このような詐欺犯にとって、セキュリティー意識の低い裁判所は彼らの格好のパートナーになりうるでしょう。法の番人たる裁判所が、無法者に好きなように利用されている姿は滑稽ですが、国民にとっては悲劇以外の何物でもありません。


ところで、5年ほど前に脚光を浴びた「裁判官ネットワーク」は、その後成果をあげているのでしょうか?