221.日本の高貯蓄神話は崩れたか? (2003/10/13)

NIKKEI NETに“家計が貯蓄への余裕失う、初の「資金不足」に転落
”と言う記事が掲載されています。日本の高貯蓄神話が崩れる可能性が出てきていると警告しています。


日本が高度成長時代に貯えた貯蓄が、取り崩され始めたのです。高齢者の貯蓄が特に減少してきているそうです。


数年前までは、USに比べ日本の貯蓄率はダントツでした。アメリカ人は、自分たちの貯蓄率があまりにも低いことを憂いていました。ところが、近年アメリカ人と日本人のそれが逆転してきたというニュースが報道されるようになりました。日本の家計に異変が起こっているのです。


日本の消費を促すために、高齢者が持つ貯蓄を掃き出させる様な政策が取られています。極めて短期的な視点での経済効果を狙ったものだと言えるでしょう。消費を増やすには国民が稼いで貯めるのを待っていられなくなったのです。今の国民の稼ぎでは、肥大化した国家を維持できなくなって来ているのです。


最近、不動産の購入時に考慮しなければならないことに、資産の利益還元率があります。以前は自分が気に入って買えば良かったものが、それだけでは不良資産化する危険性があるため、資産としての健全性を考慮しなければならなくなりました。


同様に消費生活においても、気に入れば購入していたことが見直されてくるでしょう。価格に見合った性能や効果が見込めない製品では、購入する価値が無いと考えられます。好きな物を買うだけでなく、消費財にも投資効果を求めるようになるかも知れません。


パームの価格も、ステータスや見栄やカタログスペックによって決まるものではなくなります。勿論使う人によって何に価値を求めるかは異なっていますが、その人にとって投資する価値無ければ買うべきではありません。


貯蓄が増加している局面では、趣味性が強いものを購入しようとしますが、逆の局面では趣味性より実用性が重要になってきます。パームの実用性にもっと磨きをかける事が、これまでにも増して必要になってくると思われます。

216.お役所仕事ー2題 (2003/10/08)

NIKKEI NETの社説・春秋に、日本のお役所仕事に関する問題点の指摘が、同じ日に2つ掲載されています。一つは「社説2 薬のテレビ電話販売認めよ」で、厚生労働省の薬事法に関する問題点です。


薬剤師が帰宅した店舗に訪れた客に、テレビ電話を使って遠隔地にいる薬剤師が薬を選択し、資格のない店員が販売することに待ったをかけたものです。


その理由が、テレビ電話だと泥酔した客に薬を売った場合、用量を間違えて危険だと言うのです。しかし、酔った客に薬を売らないと言う決まりがあったとは思えませんし、薬剤師がいても同じことのように思います。


実際、薬剤師の常駐が求められていても、販売時には不在のケースが2割もあったと言う調査があるそうですから、薬剤師の常駐が義務化されていても既に形骸化しており、しいては薬剤師の不要論まで出て来るのは当然でしょう。


そもそも、印刷されたパッケージに入った一般的に常備薬といわれているものは、買ってきた時に飲むとは限らず、家庭の救急箱に常備されているものです。いちいち症状を薬剤師に見せてから服用する訳ではありません。


つまり、そのつど医師の処方箋によって処方される薬以外は、スーパーの棚から自由に取ってきて家庭で常備しておくもので、薬剤師が販売の独占をする必要性はありません。


これは、薬剤師の既得権を守るために、国民が犠牲になっている一例です。


次は、「春秋」で書かれているゆとり教育に関してです。文部科学省が進める新学習指導要領の問題点を指摘しています。


どうも、役所の仕事は、原因結果について考察しないで、なんとなくこれまでと違ったことを策定すればよいと言う感じがします。役所の仕事を無理やり作っているだけで、何ら結果に結びつかず、またしばらくして別のことを考え出す。まったくサイエンスの欠片もありません。


日本の教育レベルが高いと言われたこともありましたが、今や産業のグローバル化が進み、日本の企業だからと言って日本人を雇う必要もありません。世界に伍していける人材を輩出しなければ、グローバルな雇用市場で日本人が取り残されてしまうでしょう。人材の育成が文部科学省の役割であると言うことが分かっているのでしょうか?


日本のお役所仕事の問題は、今に始まったことではありません。近い内にシリーズでご紹介してみたいと思います。

215.持続可能な生産と消費 (2003/10/07)

日経エコロジーに“英国政府が「持続可能な生産と消費」の国家プランを打ち出す”と言う記事が掲載されています。


この中で、環境汚染をしない経済成長のあり方や、資源の有効活用、製品のライフサイクル評価、環境負荷の少ない技術等が提案されています。


例えば、携帯電話等の電子機器が、2年や3年で使い捨てられている現状は、やはり異常ではないかと思います。新しい製品にはそれなりの魅力があり、便利になってはいるのでしょうが、果たして買い換えなければならないほど違いがあるのかと言えば、出来ることは対して変わらないのが現実ではないでしょうか?


それより、資源や環境汚染への影響の方が大きいのではないでしょうか?100円で教材用、分解用として積まれているカメラや携帯電話の山は、本当にその寿命を全うしたのでしょうか?


充電池が駄目になったが、交換をすると高いから本体ごと取り替えるのが当たり前になっていますが、その方が合理的だと言います。一体誰の合理性を考えているのでしょうか?


もし、資本主義における市場経済が、使い捨てを前提としているのなら、社会主義が崩壊したのと同じように、遠からず崩れ去って行くでしょう。さもなければ、地球が崩壊してしまいます。


ユネスコの世界遺産というのがあります。世界遺産として指定されるには、その財産の価値が高いかどうかだけでなく、継続的に維持をするために努力を払っているかどうかが重要だそうです。


地球に価値が無いという人はいないでしょう。その地球で、好きなことをやって生活をしていたのでは、地球を維持していく事は出来ません。オゾンホールや地球温暖化、あるいは資源やゴミの問題にどう取り組んでいるのかが、電子機器のスペックとしてこれから重要になってくるかもしれません。

205.津波の恐怖 (2003/09/26)

今回の北海道沖地震によって被災された地域の方々の、一日でも早い復旧を願っております。


今回の地震による津波は、3メートル以上にも及んだそうです。新聞に掲載された岸に打ち上げられた漁船を見ると、津波の恐ろしさを改めて感じます。北海道の地震は、これまでも十勝沖や北海道南西地震など、強い地震が発生していますが、特に奥尻島での津波による被害は、悲惨なものでした。


いま、インターネットで調べてみると、地震の後3分から5分で襲って来たといいますから、海岸に近い所にいる場合は、すぐに飛び出して丘に向かわなければなりません。震源地が近い直下型で、周りが海で囲まれた島であったと言う特殊なケースではありますが、津波が来るまでにそれほど余裕を与えてくれないことは、肝に銘じておく必要があります。


津波について調べると、「Tsunami Information Resource」などに、いろいろな情報を見つけることができます。津波の普通の波との違いで特徴的なのは、その波長が長いと言うことだそうです。一般の波は、波長が150メートルぐらいで、周期は10秒程度だそうですが、津波の場合は、波長が100キロメートル周期が1時間の単位になるそうです。


広い海を伝播する波の速度は、深さに反比例するそうで、太平洋の平均的な深さの4000メートルの場合、津波の伝播速度は毎時700キロメートルになるそうです。ほとんどジェット機と同じ速さで太平洋を渡ることになります。


深い海では津波のエネルギーは減衰せず、遠いところまで強いエネルギーが伝播するそうです。岸に近づき深度が浅くなるに従い、波の高さが増して行きます。


私たちは、大きな波といえばハワイなどのサーフィンをしている海を思い浮かべます。しかし、波長が長い波は「ザブーン」といった波ではなく、潮位が異常に高くなって来ると言った感じらしいです。しかし、その波が引いていくときは破壊力が凄まじく、防波堤などがなくなってしまうのは引け際の波のようです。


過去に何度も大きな津波で被害を受けてきている日本ですが、10メートル以上の津波が来たときに、その進入を海岸線で食い止める方法はないように思われます。少なくとも、地震発生後に津波を察知し、避難を速やかに促す必要がありますが、その体制の整備はおろか、必要性にさえ気づいていないのが現状です。


長年掛かって築いてきた財産も、守ることができなければ早晩失うことになります。災害の度に同じように財産を失って行くわけにも行きません。しっかりとした人命や財産を守るための体制作り、意識作りが必要になっているのではないでしょうか?

204.新生コダックの示すもの (2003/09/26)

The New York Times on the Webに、コダックが企業戦略を転換して、株主への配当72%削減すると発表したと言うニュースが掲載されています。1880年に創業以来配当を下げたのは初めての事だということです。


以前、「179.コダックが写真から撤退?」でも書きましたが、90年代に事業のデジタル化を進めたにもかかわらず、現在でもコダックの売り上げの70%はフィルムやその現像処理から得ているそうですし、また会社の利益のすべてがそこから得られているそうです。


その中核となる事業を捨ててまで方向転換をしようとしている理由は、カメラと写真のデジタル化が予想を上回る速さで進行しているからだそうです。年初の予想を2倍のペースで上回る速さでデジタル化が進んでいるそうで、フィルムの需要がなくなるのは時間の問題であり、しかもそう遠いことではないと見切りを付けたと言うことなのでしょう。


年初の予想がどのようなものであったか、あるいは2倍のペースがどのぐらい速いかはわかりませんが、いま利益を上げているからと言って今捨てなければ間に合わないと、必死に舵取りをしている様子が伺えます。


ただ、デジタル化するとはいえ、これから競合して行くであろう企業としてHPキャノンセイコーエプソンゼロックスがあがっていますが、これらは強力で不動の地位を築いている企業であり、競争に勝つのは容易ではないと警告しています。


コダックは、かなり昔から優れたカメラを輩出し、その光学技術には定評がありました。今も、USではソニーの次に売れているデジタルカメラを販売しているそうですから、デジタルの世界でもやっていける手ごたえは十分あるのでしょう。


しかし、過去にも先走って突拍子もない製品を作ることが多かったのも事実です。これからは、ハイアマチュア向けの、高機能デジタルカメラの分野を伸ばして生きたいそうですが、他のデジタル企業にはない、これまで培ってきた写真産業の伝統を生かした製品作りをしてもらいたいものです。


追伸:


明日は子供の小学校の運動会です。帰りに梅田のヨドバシカメラに寄って、ASA400のフィルムを買いました。思わずコダックの新製品に手が出てしまいました。これが最後になるかもしれないと思うと、少し悲しくなりました。