333.King of Hobby (2004/04/24)

こしぱ WEBLOGとらじろうさんの4月20日の雑記を読ませて頂いき、アマチュア無線にかつて凝っていた時の事を思い出しました。


おそらく数十年前までは、電波の利用においてまだ発展期であり、どのように電波が地球上を伝搬するか、それほど正確には分かっていなかったように思います。限られた出力で、できるだけ遠くに電波を飛ばす事を目標に掲げる無線家たちは、太陽黒点の動向を探り、アンテナを工夫して指向性を高め、真空管を磨き、他の国々の時差を計算し、通信技術を高めながら目的の交信相手と巡り会えることを目指したのです。その過程で多くの発明がなされ、新技術の開拓に多大な貢献をしてきました。


ある者は、アンテナに新しい概念のアクティブ・レフレクターを考案し、ある者は超高周波を増幅するために導波管を板金加工し、ある者は海外と交信するために語学力を身につけ、ある者はナローバンドのテレビ通信を実験し、そしていつしかそれらの技術は特殊なものではなくなって、私達の誰もが利用することが出来るようになってきました。


今、携帯電話の中継局として使われているものは、アマチュア無線で使われてきたリピーターの技術を応用したものです。また、テレビ会議システムなどで使われている画像伝送技術は、SSTV(Slow Scan TV)の技術です。


昔はアマチュア無線を、"King of Hobby"と呼んでいました。世界中で統一された免許制度のもとに、言葉や文化を超えた交流ができたのです。これ以上のグローバルな趣味があったでしょうか?


そして、電子技術の進歩によって、以前は特殊な技術が必要であった無線機の運用が、今や誰でも手軽に携帯できるようになったのです。それと同時に、無線や電波と言うこと自体をほとんど意識しないで、携帯電話(無線機)を使いこなすようになってしまいました。


長距離通信が高価なものであった時代においては、世界中に自由に電波を飛ばす事はアマチュア無線の特権でした。電波という言葉には特別な響きがあります。1秒間に地球を7周り半(30万キロメートル)も駆けめぐる光と同じ速さで伝わると言う神秘性は、コンピューターのネットワークとはまた違った魅力があります。


これから無線技術がどのように発展し、人類の進歩に貢献するのか分かりません。でももうどこかで、無線が新たな世界を切り開いているような予感を感じるのは、私だけでしょうか?

330.カード型特殊顕微鏡 (2004/04/09)

陣来霧さん「ぼそっ。」で、なにやら怪しい通販の商品が紹介されています。あえてここにリンクを載せるのは避けましたが、興味のある方は陣来霧さんのサイトからご覧ください。


わざわざ取り上げるほどの商品ではないとは思いますが、こちらに振って頂いたようですので、少し反応してみたいと思います。


カード型特殊顕微鏡とはいささか大げさな感じがしますが、要するに変わったレンズを付けた厚紙と言ったものでしょうか。500倍1000倍に拡大することができる顕微鏡として使えるそうです。手軽に使えるため、必要な時に即座に取り出すことができるのが特徴のようです。


さて、観察する対象はお好みでと言うことですが、手軽に使える500倍の顕微鏡と言うことで、「生きた精子が泳ぐ様」を観察することができるそうです。つまり、精子の元気さを知ることができるそうです。


もちろん、これ以外にも観察することはできるのでしょうが、子どもの理科の付録にしかならない物を、敢えて用途を絞って大人のジョークとして売り込もうとしているようです。


陣来霧さんが、トライアルレポートを掲載されなかったのは、サイトの品位を保つばかりでなく、正しい判断だったと思います。もしレポートで、「元気でした!」と言われても、「それはおめでとうございます!」と言うのも変ですし、あるいは「元気がありませんでした」では、「それはお気の毒に」ぐらいしか返す言葉がありません。


さて、大人のジョークとしての用途もあるかもしれませんが、不妊でお悩みの夫婦には、「精子が元気に泳いでいるか?」が気になる場合があります。どのような条件で元気になるかが判り、意識的にその条件を作り出すことができるならば、成功率を高めることができるかもしhれません。


このような用途を考えた場合、通信販売より不妊治療を専門に行っている産婦人科の窓口で販売した方が、案外大量に売れるかもしれません。


受精妊娠と言うプロセスは繊細です。現代の様々なストレスにさらされた環境では、なかなか子どもに恵まれない夫婦が多いのも事実です。このジョークのような顕微鏡が、意外と役に立つかもしれません。


ところで、もし知り合いに不妊でお悩みの夫婦がいらっしゃって、そのお宅に遊びに行く機会があっても、決して冷蔵庫を勝手に開けてはいけません!試験管に入った精子のサンプルが並んでいる可能性がありますから。

311.品格を保つ難しさ (2004/02/04)

陣来霧さんから「物事の信憑性に関わる部分のお話」とのことで、そうでしたね、確かに。PUGOの会合の興奮が冷めやらないビルから外に出る当たりで、陣来霧さんとかねこさんと私が議論したあのことでしたね。(議論と言えるかどうか分かりませんが。)


陣来霧さんのサイトでの記述の信憑性を確かめようとするとき、これは正に今話題の「ジャネット・ジャクソン事件」と結びつくわけです。


世界中で10億人もの人が生中継を見ていたとのことですから、その影響たるやナブラチロワのスコートが落ちたどころではありません。(まだしつこく覚えている!)


これが下品であるとテレビ局を監督するFCCまでが乗り出して、徹底的に調査するとなってはもう中途半端にうやむやに終わらせることは出来ないでしょう。「“下品で嘆かわしい行い”で試合が汚されてしまった」とFCCのパウエル委員長が嘆いたとのことですが、米国の威信に関わる一大事に発展しています。


この上品・下品の定義は曖昧なものです。時と場合に応じて変化するでしょうし、相手によって受け取り方も千差万別です。ただ、これ程の大きなイベントで世界中のあらゆる文化の人が見る事を考えると、誰もが不愉快にならないようにするには上品すぎるぐらいでなければならないのでしょう。


例えば、オリンピックの開会式でこのような企画を実行したら、もう二度とその国では開催できないかもしれません。


また生放送と言うことで、このような個人的な趣味に走った演出に組織としての歯止めが利かないことも不幸でした。日本でも生放送には危険が付き物で、どこかのタレントがナニを露出することもしばしばあり、そのような場合放送局やプロダクションは平謝りに謝るのですが、当の本人は最初から反響の大きさまで予測済みなわけです。


ところで物事は常に境目がおいしい事が多いのです。例えばリンゴの皮と身の間が一番栄養が多かったりします。あるいは腐りかけがおいしいとも言います。(どちらも変な例!)


つまり、上品すぎても面白くはないし下品すぎるのも目を背けたくなり、その間に微妙に存在する上品と下品の間を狙うと面白いものが出てくる可能性があるのですが、外すと今回のような騒動に発展するのです。


サイトをやっているとこのあたりのバランスが難しいと思うことがあります。もう少し下品な方が面白いのにと思いながらも、安全サイドに寄った文章になったりします。これまでで一番下品かなと自分で思っている雑記は、「246.まっすぐなもの (2003/11/06)」ですが、他の人から見れば、「それよりこっちの方が下品だぜ」、なんて言うことになるのでしょう。


最後に陣来霧さんが信憑性を追求する事によって、「ぼそっ。」の品が落ちることのないように願うばかりです。

302.目標を見失った旅行者 (2004/01/12)

まだまだお正月気分の抜けない今日この頃。かろうじて300回年内更新を達成した反動と言えばそれまでですが、怠け癖がついてしまいこのままパームコミュニティーから消え去っていても、本人さえ気付かないのではないかと思います。


漫遊旅行者と言えどもあまり怠けていてはいけません。たとえそれに大した意味がない旅行であったも、自分なりに方向性を示さなければ意味が無くなってしまいます。そろそろ遅ればせながら2004年も始動致します。


とは行っても、実はここのところ毎日のように更新はしておったのです。サイトの模様替えと言いましょうか、ほとんど気付かれた方はおられないでしょうが、デザインの変更をしていますと、ああでもないこうでもないと結構凝りだして、しかし結局の所、ほとんど代わり映えしないところに落ち着いたりします。


これまで20個の雑記を1つのファイルにまとめていたのですが、その結果一つのファイルにいろいろなテーマで雑多な言葉が並ぶため、検索サイトから来られる場合期待していない検索ワードに引っかかることがありました。


そこで今年から、1つの雑記ごとにファイルを分ける事にしました。ファイルの編集作業がやりやすくなる目的もあります。この為Pilowebの切り出し設定を少し変更しております。お手数ですが、変更の程よろしくお願いいたします。


話は変わりますが最近の身の回りごととしては、子どもの小学校の育友会の活動で手紙を保護者に出さなければならないことがあるのですが、その中で使っては行けない言葉などが存在しています。


例えば、「子供」は差別用語だから「子ども」でなければならないとしています。「父兄」「父母」も駄目で、その代わりに「保護者」を使わなければなりません。「父兄」という言葉は、小学校の国語辞典からも削除されていて、「ふけい」で引くと「婦警」しか出てきません。


また、「申し出る」は間違いで、「申しでる」にしなければならないとのこと。どうも一つの単語として認知された複合語は、その語源に関わらず漢字の後には全て仮名が来るようになっているようです。「~かも知れない」も「かもしれない」でなければならないそうです。


その他、接続詞、副詞、形容動詞などは漢字を使わないようにすることになっているそうで、「又」、「尚」、「所で」などは仮名でなければならないそうです。


私が小学校で習ったときは、知っている漢字は全て使いなさいと言われていましたから、どうしても漢字を使いがちになりますが、漢字が多すぎると硬い文章になってしまうこともあり、仮名を多く使う方が現代的な文章とされているようです。


言葉は時代の背景と共に変化していくのは分かるのですが、ただ数十年先の日本語がどうなっているか想像すると、少し怖い気もします。

299.大晦日と格闘技 (2003/12/31)

今年の大晦日は、紅白歌合戦と格闘技の視聴率比べが注目されていました。今、注目の一戦、ボブ・サップ対曙の対戦が終わったところです。


相撲は格闘技と言うには上品で、如何に体が大きいとは言え、格闘技として張り合うには業界が違うような気がします。曙が負けたとはいえ、よく健闘したと思います。


ところで紅白歌合戦の方は、その時間は捨ての時間のようでした。昔から、紅白歌合戦の裏番組として、様々な試みが民放各社によってされてきましたが、同じ歌番組をぶつけてきたり民放合同で番組を制作したり、どれもなかなか決定的に紅白歌合戦を上回ることは出来なかったようです。


ですから、紅白歌合戦は代わり映えしないと言われながらも、長い間大晦日のお茶の間に欠かすことが出来なかったのでしょう。


格闘技の番組が、視聴率の上で紅白歌合戦に勝てたかどうか興味がありますが、その結果によっては来年からの大晦日の番組構成に影響を与えることでしょう。


紅白歌合戦も勝敗を決める当たりは格闘技的ではありますから、来年からはもう少し勝敗にこだわったエキサイティングなものになることは期待できないでしょうか?