311.品格を保つ難しさ (2004/02/04)

陣来霧さんから「物事の信憑性に関わる部分のお話」とのことで、そうでしたね、確かに。PUGOの会合の興奮が冷めやらないビルから外に出る当たりで、陣来霧さんとかねこさんと私が議論したあのことでしたね。(議論と言えるかどうか分かりませんが。)


陣来霧さんのサイトでの記述の信憑性を確かめようとするとき、これは正に今話題の「ジャネット・ジャクソン事件」と結びつくわけです。


世界中で10億人もの人が生中継を見ていたとのことですから、その影響たるやナブラチロワのスコートが落ちたどころではありません。(まだしつこく覚えている!)


これが下品であるとテレビ局を監督するFCCまでが乗り出して、徹底的に調査するとなってはもう中途半端にうやむやに終わらせることは出来ないでしょう。「“下品で嘆かわしい行い”で試合が汚されてしまった」とFCCのパウエル委員長が嘆いたとのことですが、米国の威信に関わる一大事に発展しています。


この上品・下品の定義は曖昧なものです。時と場合に応じて変化するでしょうし、相手によって受け取り方も千差万別です。ただ、これ程の大きなイベントで世界中のあらゆる文化の人が見る事を考えると、誰もが不愉快にならないようにするには上品すぎるぐらいでなければならないのでしょう。


例えば、オリンピックの開会式でこのような企画を実行したら、もう二度とその国では開催できないかもしれません。


また生放送と言うことで、このような個人的な趣味に走った演出に組織としての歯止めが利かないことも不幸でした。日本でも生放送には危険が付き物で、どこかのタレントがナニを露出することもしばしばあり、そのような場合放送局やプロダクションは平謝りに謝るのですが、当の本人は最初から反響の大きさまで予測済みなわけです。


ところで物事は常に境目がおいしい事が多いのです。例えばリンゴの皮と身の間が一番栄養が多かったりします。あるいは腐りかけがおいしいとも言います。(どちらも変な例!)


つまり、上品すぎても面白くはないし下品すぎるのも目を背けたくなり、その間に微妙に存在する上品と下品の間を狙うと面白いものが出てくる可能性があるのですが、外すと今回のような騒動に発展するのです。


サイトをやっているとこのあたりのバランスが難しいと思うことがあります。もう少し下品な方が面白いのにと思いながらも、安全サイドに寄った文章になったりします。これまでで一番下品かなと自分で思っている雑記は、「246.まっすぐなもの (2003/11/06)」ですが、他の人から見れば、「それよりこっちの方が下品だぜ」、なんて言うことになるのでしょう。


最後に陣来霧さんが信憑性を追求する事によって、「ぼそっ。」の品が落ちることのないように願うばかりです。