575.竹でできたスピーカー (2006/03/31)

から作られた紙を使ったスピーカーが開発されたというニュースが、asahi.comに掲載されています。これまでの針葉樹を使ったものに比べ軽くて硬いため、再生音域が広くなるそうです。


ただ、繊維の組成が異なるため、これまでの方法で振動版を作るのではなく、砥石を使って繊維を細分化した後に形成する方法を採用したそうです。発売は2007年末との事ですからあと2年近くかかりますが、どんな音が出るのか今から楽しみです。


スピーカーの素材としては、ビクターが販売している樺の木を使ったウッドコーンスピーカーが既にあります。カチッとした硬い音質でありながら、どことなく木のぬくもりを感じさせるこれまでにない味わいがあります。


特に薄くスライスされた木をスピーカーの形に成型する際、日本酒に浸してやわらかくしてから型にはめると言いますから、もうそれだけで人間味を感じてしまいます。このスピーカーを使うときには、人間の方もお酒に浸してから音楽鑑賞といきたいものです。


これまでのスピーカーの素材は、広葉樹に比べ比較的生長が早い針葉樹が主に使われていました。しかし、竹はその針葉樹よりさらに早く生長しますから、資源として有効に使うことによって、他の木材資源の利用を抑制する効果が期待できます。


そういえば、数年前に竹でできたギターが発売されました。アコースティック・ギターの素材には、マホガニーローズウッドなど、資源として保護しなければならないものが多く、まだブラジル産ローズウッド(ハカランダ)のように、原木での輸出が長らく禁止されているものもあります。


楽器のメーカーによっては、輸出禁止措置以前の原木のストックから、小出しに製品を製作しているところもありますが、近いうちに良質の材木は底をつくと予想されています。


代替材料として成長の早い竹を採用できれば、安定した材料の供給が可能になりますし、また竹の優れた特性を生かして、これまでにない新しい可能性を創出することも可能になるかもしれません。


「竹から生まれたかぐや姫」のように、これからも竹からいろいろなものが生まれて来るのではないでしょうか?(何のこっちゃ?)

574.近況報告とLVS (2006/03/18)

ご無沙汰致しております。すっかりサイトの更新をさぼっておりまして、2週間以上間があいてしまいました。とりあえず仕事が忙しいと言うことにしておきましょう。


確かにいつまで経ってもらちが明かない仕事をやっているのには違いないのですが、仕事そのものがどうしようもない仕事であるのか、あるいは仕事そのものは普通なのに、仕事量の見積もりを誰かが技術的に誤ってしまったために、このようなことになってしまったかは定かではありませんが、その両方が原因かも知れません。あと2ヶ月ぐらいはこの状態が続きそうです。


今回の仕事はLVS半導体業界では"Layout vs. Schematic"の略であります。ところが時々これを、"Logic vs. Schematic"と講釈する輩がいたりするものですから、一体何の事だか判らなくなってしまいます。LogicとSchematicは、半導体業界では同じものを意味します。


LSIを作る場合、ロジック回路をどのように並べて、どのように配線するかをまず決めます。ハードウェアを作る上での設計図に相当します。設計の工程の中でこの部分を通常はロジック設計と呼びますが、ロジックをもう少し限定的に放言する場合はネットリストスケマティックと呼びます。また、これらをLSI設計の前工程であることから、フロントエンド・デザインを言うこともあります。


フロントエンド・デザインには、実際のハードウェアに関する情報は含まれていませんから、ネットリストを使ってシリコンウェハー上に回路を形成するための、フォトマスクの設計を行わなければなりません。これには、トランジスター等の回路素子をウェハー上に配置・配線したり、電源線の配線やLSIチップに電極を取り付けるためのパッドを配置するなどの物理的な設計を行わなければなりません。設計の後工程であるため、バックエンド・デザインと呼んでいます。


配置・配線、すなわちレイアウトが、正しく論理設計されたネットリストと一致した機能を持っているかを検証するのが、「レイアウトとスケマティックの比較」であるLVSという作業なのです。


思えば10数年前までは、LSIの設計のおいてLVSを行うためのソフトウェアが実用化されていませんでしたから、論理設計とレイアウトの検証を行う事なしに、マスクの製造を行っていました。しかし、ハードウェアの処理能力の拡大やソフトウェア技術の進歩によって、レイアウトにおける設計ミスを未然に防ぐLSIが可能になってきました。


現在のテクノロジーでは、半導体のフォトマスク一式で1億円以上の費用がかかりますから、設計ミスによる作り直しは、直接製品の単価に響いてきます。あらゆるデジタル機器の価格が下がり続けている影には、LVSの技術の進歩が少なからず貢献しているのです。


と、まあ表向きにはLVSはすばらしい技術なのですが、実際に携わっているとこれがなかなかくせ者でありまして、そもそも設計が美しく整然としていればいいのですが、世の中はそう美しいデザインばかりではありません。


余り美しくないデザインがなされたLSIの場合は、LVSも必然的に泥臭いものになってしまいます。正に今扱っているのがその典型的なものと言えましょう。


今担当しているLSIが世の中に出れば、それなりにインパクトがあり注目されるはずの製品に搭載されるのですが、「こんな設計でちゃんと動作するんかいな?」と思いながら、「自分は絶対にこの製品は買うまい!」と心に誓うのでありました。

573.脳を鍛えるゲームと子育て (2006/03/01)

最近確かに脳がなまって来ているという自覚はありましたね。何となくをかぶっているような感覚があったりして。古いテレビの中を、隙間から覗いたときのようなものでしょうか。


任天堂のDSのテレビCMで、松嶋菜々子さんが「もう一回やろう」と言った後に首をぐりぐり回すのは、順序が反対ではないかと思ったりしながら、我が家でも「もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング」に励んでおります。


一番苦手なのは、2分間じっと漢字を覚える問題。次に苦手なのは25個の数字の配列を覚える問題。要するに覚えることが苦手なのですが、全く疲れてしまいます。


反対に一番得意なのは、どんどん引き算をしていく問題。ただし、手書きの文字の認識率が悪い場合があり(字が汚いとも言う)、結果にばらつきがありますが、唯一20才の脳年齢をたたき出した問題であります。


そもそも、20才が一番頭の回転が速いと決め付けるのは如何なものか、などと言い出すのはたいてい年を取っている証拠。人生経験による思慮深さを測定するのは、今のゲーム機にはまだ荷が重いようです。


年末のクリスマス商戦においては、任天堂DSの品切れが続出したとの事ですし、また同じような機能の新製品を発売すると言うことですから、長期に渡って人気商品の座を占めているのでしょう。


PDAとしての機能拡張ができるために大人の購入者が増えているそうですから、PDA自体の認知度が高まることも期待しておきましょう。(いつもこんなことを言っていますが。)


さて、ゲームで頭を鍛えるのも良いのですが、日経サイエンス2006年4月号に、別の鍛え方が紹介されています。


「子育てで賢くなる母の脳」


これまでも妊娠・出産に伴って、自己の要求と生存だけを追求していた生物が、子どもの世話や幸せに重点を置く現象が知られていましたが、その原因として母親になると脳が再構築され、構造的な変化が起こるらしいのです。


それらは、母性行動を制御する脳の部位にとどまらず、記憶や学習、恐怖とストレスへの反応にまで影響が及んでいて、また母親のエサを取る能力が高まることによって、子どもの生存確率が高まる効果もあるようです。


迷路を走り抜けるラットの行動に関しても、出産を経験しているラットの方が、経験のないラットより優れていることが分かったそうです。また、これらの影響は、子育てが終わると元に戻るのではなく、老齢期まで持続するそうです。


しかし、いくら出産した女性の頭が賢くなると言っても、子育てが大変なことに変わりはありません。ゲーム機で脳のトレーニングと息抜きが同時にできるのは、母親にとって必要なことなのかも知れません。

572.ミネソタ見聞録11: 人すがら (2006/02/16)

2月5日に日本に帰ってきて、ミネソタのいろいろな場面、風景を思い出しますが、やはり一番印象に残るのはミネソタの人たちです。


メイヨークリニックで機敏に動き回る医師や看護士たち。深夜まで鉄人の如く働き続ける同僚。素朴なミネソタの人たちと出会えたことが、旅の一番の収穫です。


滞在していたホテルは、部屋にキッチンの付いた長期滞在用。安心してワインを買ってきたのはよかったが、コルク抜きが見当たりません。フロントに電話すると、コルク抜きを貸してくれるとの事。早速ワインのボトルを抱えて参上です。


もうお馴染みになったフロント係のおばさまは、さっきからコルク抜きをいじくりまわしている様子で、どうやって使うものかを思案中。フロントにやって来た私にそれを手渡すと、"Engineering Test!"と言ってニタニタしています。


これがなかなか優れ物のコルク抜きで、シールもきれいに取れるし、コルクも「ポン!」と何の苦もなく抜くことができました。


おばさまは、初めてのコルク抜きを一瞬で使いこなした日本の青年(?)に感心して、拍手しています。「日本人は手先が器用だわい!」なんて勘違いしているのではなかろうか。ただの酒飲みに過ぎないのに。


同じホテルの朝食の準備をしてくれているおねえさんは、さすがに長い間滞在している私の顔を覚えてくれて、ある日こんなことをおっしゃいました。


「2,3ヶ月前には10人ぐらいいたのよ。今はあなた一人しか中国人はいないけど。」


日本人も中国人も韓国人も、区別が付かないのは仕方がありません。私にも区別が付かないですから。日本人だと訂正しても、「ああ。そう。」ぐらいのリアクションです。


いつの間にかパソコンが話題になっていて、彼女はそれで毎日英語の勉強をしていると言います。そういえばネーティブの英語ではないので、どこから来たのか尋ねたら、ボスニアとの事。


ボスニアと言えば首都はサラエボ。サラエボと言えばユーゴスラビアと思った私は、「昔、リュブリアーナやザグレブに行ったことがあるよ。」なんて言ったのですが後の祭り。もともと影のある顔立ちが、さらに曇ってしまいました。


ボスニアは、マネーとジョブがダメだと嘆いていました。自分の家族だけがUSに移住したが他の親族はボスニアに残っており、数年に一度、母国に帰る渡航費用で貯金がなくなってしまうらしいです。


どうしてミネソタを選んだかと聞くと、エージェントが勝手に決めるらしく、ミネソタ以外の中西部にも一緒に来た友達の家族が住んでいるそうです。


最後に言い残していった「ミネソタは良い所だ!」とは正に実感なのでしょう。


さて、USの大型スーパーは24時間営業のところが多いので、深夜2時過ぎまで晩御飯抜きで仕事をしている時には、これほどありがたいものはありません。


営業しているといっても、店内の清掃や商品の補充で、至る所に"Wet Floor"の札が立ち、段ボール箱が山積みになっていますから、「買いに来てもいいよ」といったノリでしょうか。


この時間帯のレジには、大抵は陰気なおじさんがいることが多いのですが、なぜかその時は若い女性がレジにいました。朝まで一晩中働いているらしいので、さぞかしアルバイト代の深夜割り増しが付くのかと思いきや、昼間と変わらないと言います。


何か景気付けに気の利いたセリフでも言いたかったのですが、やっと出たのは"Good
Luck!"。


多分彼女にとっては景気がよくなるどころか、訳の分からない日本人が深夜に来て、下手な英語で絡んでいったと思っていたかも知れません。(ほぼ確実!) 


陽気なアメリカ人には程遠いミネソタの人たちに、最初のうちは違和感を感じていました。しかし、時間が経つに連れて、無理に感情を表に出さないところが日本人と似ているのか、かえって居心地がよくなってきました。素朴で頑固なミネソタの人たちに、西海岸や東海岸とは違ったUSの一面を見たような気がしました。

571.ミネソタ見聞録10: ミネソタ最後の夜 (2006/02/03)

ミネソタに来てから4週間がたち、最後のミネソタの夜を迎えています。ミネソタの夜といっても、特に何か違う訳ではありませんが、約1ヶ月の奮闘を振り返ってみると、少なからず感動を感じないわけには参りません。


今日の夕方の気温は-10℃で、やっとそれらしい寒さになってきましたが、4週間の間、日中ほとんど0℃前後だったことで、ミネソタの冬の厳しさを体験できなかったのは、ラッキーでもあり残念でもありといったところでしょうか。


観光で来ている訳ではないので、自由になる時間が多いとは言えませんから、それほど多くの体験ができませんでしたが、それなりに思い出に残る経験ができたと思っております。


とりあえず最初に仕事について振り返ってみます。(実は仕事できていたのでした。)そう言えばまったくこれまで仕事についての記述がなかったですね。最後の週は、夜中の2時まで晩御飯を食べずに働いた後、24時間オープンのスーパーで冷凍食品とサッポロ一番を買って帰り、ホテルで食べながらランドリーで洗濯をしていたという、何とも情けない状況でした。(しかしあの時の味噌ラーメンはうまかった!)


仕事の同僚が、ミネソタの特産であるワイルドライスを見つけたので分けてくれようとしたのですが、農産物を日本に持ち帰るのは困難だと言って断らなければならなかったのが残念でした。特産と言ってもなかなか手に入らないそうです。


一番エキサイティングだったのは、メイヨークリニックの診察体験でしょうか。内科、アレルギー科、耳鼻咽喉科とさまざまな診察を受けることができました。それから途中にいくつかの検査を受けてきました。また近いうちに「メイヨークリニック診察日記」などという特集でお伝えしたいと思います。


「大草原の小さな家」のローラ・インガルス・ワイルダーゆかりの地ツアーも、なかなか面白かったです。ミシシッピー川の流れと同じように、開拓者たちが試行錯誤をしながら、自分たちの定住の地を探し回ったのに思いを馳せるのは、想像した以上に楽しいものでした。もしもう一度訪れることができるなら、冬の枯れた大地でなく、草原生い茂るころに見てみたいものです。


会社の部長さんが、自宅の夕食に招いてくれました。4年前に新築された真新しい家は、総床面積が5000平方スクエアフィート(って何坪かまだ判っていませんが)でまさにドリームホーム!家の裏庭には、オークやチェリー、シュガー・メープルの大木がそびえ立ち、何もかも立派の一言です。USでも羨ましくなるほどの家に住んでいる人は、それほど多いわけではありませんから、豪邸拝見ができたのはありがたいことです。


さてミネソタの最後は、やはりモール・オブ・アメリカで締めくくらなければならないでしょう。金曜の夜ですから、休日ほど多くの人で賑わっているわけではありませんが、それでも十分な人が集まってきているようです。さすがに遊園地の急流すべりは休業でしたが、ジェットコースターは半分ぐらいの人を乗せて動いていました。


さて、明日は飛行機に乗って帰国です。今回USに来た時は、ノースウエスト航空の国際線のアルコール飲料は無料でしたが、この4週間の間に有料になってしまったようです。飛行機に乗る楽しみがまたひとつ消えてしまいました。ビールを飲んで寝て帰るつもりでしたが仕方ありません、機内映画でもじっくり鑑賞することに致しましょう。


それでは10回に渡ってお届けいたしました「ミネソタ見聞録」、これにて終了。(実はかなりヘトヘトだったりして。)