2月5日に日本に帰ってきて、ミネソタのいろいろな場面、風景を思い出しますが、やはり一番印象に残るのはミネソタの人たちです。
メイヨークリニックで機敏に動き回る医師や看護士たち。深夜まで鉄人の如く働き続ける同僚。素朴なミネソタの人たちと出会えたことが、旅の一番の収穫です。
滞在していたホテルは、部屋にキッチンの付いた長期滞在用。安心してワインを買ってきたのはよかったが、コルク抜きが見当たりません。フロントに電話すると、コルク抜きを貸してくれるとの事。早速ワインのボトルを抱えて参上です。
もうお馴染みになったフロント係のおばさまは、さっきからコルク抜きをいじくりまわしている様子で、どうやって使うものかを思案中。フロントにやって来た私にそれを手渡すと、"Engineering Test!"と言ってニタニタしています。
これがなかなか優れ物のコルク抜きで、シールもきれいに取れるし、コルクも「ポン!」と何の苦もなく抜くことができました。
おばさまは、初めてのコルク抜きを一瞬で使いこなした日本の青年(?)に感心して、拍手しています。「日本人は手先が器用だわい!」なんて勘違いしているのではなかろうか。ただの酒飲みに過ぎないのに。
同じホテルの朝食の準備をしてくれているおねえさんは、さすがに長い間滞在している私の顔を覚えてくれて、ある日こんなことをおっしゃいました。
「2,3ヶ月前には10人ぐらいいたのよ。今はあなた一人しか中国人はいないけど。」
日本人も中国人も韓国人も、区別が付かないのは仕方がありません。私にも区別が付かないですから。日本人だと訂正しても、「ああ。そう。」ぐらいのリアクションです。
いつの間にかパソコンが話題になっていて、彼女はそれで毎日英語の勉強をしていると言います。そういえばネーティブの英語ではないので、どこから来たのか尋ねたら、ボスニアとの事。
ボスニアと言えば首都はサラエボ。サラエボと言えばユーゴスラビアと思った私は、「昔、リュブリアーナやザグレブに行ったことがあるよ。」なんて言ったのですが後の祭り。もともと影のある顔立ちが、さらに曇ってしまいました。
ボスニアは、マネーとジョブがダメだと嘆いていました。自分の家族だけがUSに移住したが他の親族はボスニアに残っており、数年に一度、母国に帰る渡航費用で貯金がなくなってしまうらしいです。
どうしてミネソタを選んだかと聞くと、エージェントが勝手に決めるらしく、ミネソタ以外の中西部にも一緒に来た友達の家族が住んでいるそうです。
最後に言い残していった「ミネソタは良い所だ!」とは正に実感なのでしょう。
さて、USの大型スーパーは24時間営業のところが多いので、深夜2時過ぎまで晩御飯抜きで仕事をしている時には、これほどありがたいものはありません。
営業しているといっても、店内の清掃や商品の補充で、至る所に"Wet Floor"の札が立ち、段ボール箱が山積みになっていますから、「買いに来てもいいよ」といったノリでしょうか。
この時間帯のレジには、大抵は陰気なおじさんがいることが多いのですが、なぜかその時は若い女性がレジにいました。朝まで一晩中働いているらしいので、さぞかしアルバイト代の深夜割り増しが付くのかと思いきや、昼間と変わらないと言います。
何か景気付けに気の利いたセリフでも言いたかったのですが、やっと出たのは"Good
Luck!"。
多分彼女にとっては景気がよくなるどころか、訳の分からない日本人が深夜に来て、下手な英語で絡んでいったと思っていたかも知れません。(ほぼ確実!)
陽気なアメリカ人には程遠いミネソタの人たちに、最初のうちは違和感を感じていました。しかし、時間が経つに連れて、無理に感情を表に出さないところが日本人と似ているのか、かえって居心地がよくなってきました。素朴で頑固なミネソタの人たちに、西海岸や東海岸とは違ったUSの一面を見たような気がしました。