145.携帯電話とデジタルテレビ (2003/07/11)

パルマガ機長さんが、携帯電話に搭載されたデジタルテレビの話題を、取り上げられておられます。昨日のワールドビジネスサテライトで紹介していたのを、私も偶然見ていたのですが、機長さんのおっしゃるモバイル・テレビのバッテリー問題は、確かに電話としての機能を阻害する可能性がありそうですね。


このように、電話やメール以外の用途がどんどん開発されて、一つの携帯電話ではバッテリー問題を含めて賄いきれない様になれば、機長さんのおっしゃるように、携帯電話に加えてもう一つPDAを持つ需要が出てくるのではないかと言うのは、さすがなかなか鋭い視点ではないかと思います。


ハンカチとちり紙が、似てはいるがお互い代替にはなり得ない様に、携帯電話と役割を分担して共存していくパームの姿というのも、正当な進化であると言う事を機長さんが示唆されているのは見事です。


もちろん世の中には様々な人がいて、ちり紙で濡れた手を拭いたり、ハンカチで鼻をかんだりしても良いのですが、帯に短したすきに長し。中途半端に一つにまとめるより、帯とたすきを両方持つほうが便利かもしれません。


ところで昨日、JRの電車の中で隣の人が、携帯テレビ(アナログの物)を取り出して、車内で見ようとしていたのですが、雑音が多すぎて5分と続けて見ていられなかったようです。関西には、京阪電車の特急にテレビカーと言うのがかなり前からありますが、これも受信状態はあまり良くありません。


これまで、アナログテレビ放送がモバイルではうまく受信できなかったが、デジタル時代はモバイルテレビが普及するかもしれないと考えて開発するのは当然かもしれませんが、それを一気に携帯電話に組み込むサイズにしてしまうメーカーの技術はさすがだと思います。


開発メーカーの方のコメントにも、携帯電話のサイズに組み込む事ができる技術が、完成の域に達しているというメッセージを発したと言う事で、実際にどのように利用できるかはこれからの課題と言う事なのでしょう。


パームにデジタルテレビが組み込まれているのが、当たり前のようになるかもしれません(見るか見ないかは別にして)。

144.少年犯罪と子供のしつけ (2003/07/11)

また悲惨な事件が起きてしまいました。これまでも類似の事件がありましたが、それらの教訓を生かせなかった事が残念です。このような事が繰り返し起こる事だけは避けなければなりません。


小泉首相が、安全な社会でなくなったと公言してからも、何ら対策が打てず、あらゆる場面で危険が増えてきています。子供の誘拐のみならず、引ったくり強盗窃盗婦女暴行と、ありとあらゆる犯罪が身近頻繁に起こっています。


町でパトカーを見掛けるのは、交通安全週間などのキャンペーン期間中か、サミットなどの特別な時だけ。たまに見かけても駐車違反を取り締まるミニパトカーだったりする事が多い様に思います。


昔は、もっと頻繁に町の中をパトカーが巡回していたように思うのですが、これほど治安が問題になってきているのですから、キャンペーン中の巡回だけでは治安は守れません。


USに住んでいた時、会社の同僚の新しい家に招待された事がありました。簡単な地図と住所をもらって車で行こうとしたのですが、一方通行の入り口が分からず同じ所で何回かうろうろしていると、知らない間にすぐ後ろにパトカーがいて、パトライトを光らせ始めたのです。


「うっ、いかん!へたに動くと撃たれてしまう」と、同乗者に身動きをしない様に注意して、警察官が来るのを待ちました。


パトカーを降りてやってきた警察官は私に、「どこに行きたいんだ?」と聞いたのです。私が住所を言うと、「パトカーに付いてこい!」と言って、先導して同僚の家の前まで行ってくれました。


これに限らずUSでは、スーパーの駐車場の車椅子の乗降用のスペースに一般の車が止まれば、すぐにどこからともなくパトカーがやってきて取り締まります。


ところで、日本とUSを比較すると、日本では小さい子供と親の距離が離れすぎているように思われます。USでは、3-5メートルが限界で、それ以上親と子が離れる事は、ショッピングセンターなどの公共の場所では許されない様に思います。


小さい子供の側には必ず親や引率者がいて、誰が親jか分からないような子供はいません。遊園地などでは、子供の腰にビニールの紐を付けて、親の腕とつないでいるのをよく見かけます。


親の声の届かない所へ子供が行ってしまう事は、親自身にも周りの他人にも許されない事なのです。これは、しつけの問題であると同時に、誘拐の危険性を防ぐ為なのです。


日本では、子供が一人でスーパーやショッピングセンターを歩いていて、親がどこにいるか分からない事は、珍しい事ではありません。これから徐々に人々の意識が変わってきて、手の届かない所に子供が行く事に、不安を感じるようになって行くのでしょう。それぐらい日本の安全は危ういものになったのかもしれません。

143.CPUに潜む2つの原子力発電所 (2003/07/09)

これまでコンピューターやパソコン、ネットワークの進歩は、デバイス技術、特にマイクロプロセッサー(CPU)の技術に支えられてきました。もちろん、それ以外のメモリーや記憶装置などの進歩も貢献していますが、CPUが中心的役割を果たして来たのは間違いないでしょう。


現在は2-3Ghz程度のCPUが主流になっていますが、10Ghz30GhzなどのCPUが登場するのも、そう先の事ではないと予想されます。


パームも同様に、以前より高速なCPUを搭載する機種が増えてきましたが、近い将来音声認識による自動翻訳等の用途に発展していくには、更に高速なCPUが要求されるでしょう。


もう2年も前の事になりますが、IEEEの会議でCPUの発熱を問題にしていた事がありました。これまでは、CPUの発熱量は単位面積当たりではせいぜいホットプレートと同じぐらいだったのが、近い将来原子炉の中の温度と同じになり、2010年には太陽の表面温度と同じになると言われていました。この温度の問題によりこれまでの技術の延長線上では、数十GhzのCPUを実現する事はできないため、インテルは新しいデバイス構造を提案していました。


また同じ会議で発表されたNECの資料によると、IT関連の機器による電力消費はこのまま増加していくと、日本だけで2010年には285Bwhになり、これは原子力発電所30基分に相当すると言われています。


過去に何度もシリコン半導体の限界説が唱えられては、新しい技術で打開してきましたが、今回の限界は打開していけるのでしょうか?あるいは打開すべきなのでしょうか?


また発熱以外にも眼界が近づいている問題があります。


半導体のプロセスが進歩すると、製造に必要なマスクのコストも増大し、最新のプロセスにはマスク一式で1億円かかるとも言われています。設計変更があればその都度必要になりますから、それなりの生産量が確保でき、コストを吸収できるものでなければ最新のプロセスを利用する事はできないでしょう。


また、数Ghzを超えるクロック周波数を使う場合、微細化された配線では減衰遅延が大きくなりすぎて、デバイスのスイッチング速度に間に合わなくなってきており、これまでの微細化技術とは逆に、巨大配線プロセスなども開発が進んできています。配線の抵抗浮遊容量を減らす為には、集積度犠牲にしなければならなくなっています。


グリッドコンピューティング等で、CPUと電力の負荷を平準化する事で、これらの限界を補える可能性もあります。これだけで全ての問題を解決できる訳ではありませんが、ハードウェアをこれ以上肥大化していくのではなく、ソフトウェアによって効率よくハードウェアを活かしていく方法を、もっと考えなければいけないのではないでしょうか?私はソフトウェアの進化に大きな期待を寄せます。


ソフトウェアは利用技術と言われていますが、これまでは肥大化していくハードウェア如何に使い切るかを重要視してきたように思います。ハードウェアの高速化・大容量化が前提であり、ソフトウェアそのものの基本的な部分は、あまり進歩してこなかったと言う事はないでしょうか?


これまでのようなハードウェアをどう使い切るかではなく、人が何を望んでいるか、つまり本当に人の役に立つ情報を(ハードウェアの肥やしでなく)処理できるソフトウェアが、必要になってきているのではないでしょうか?

142.がんばれ検索キーワード: 2003年6月編 (2003/07/08)

さて、もう7月になって1週間が過ぎてしまいましたが、6月に検索サイトで当サイトが引っかかったが、どうも役には立たなかっただろうと思われる検索キーワードを紹介して、少しでも検索された方の労をねぎらうコーナーです。(よく分からない趣旨ですが。)



オランダ 飾り窓 レポート 体験
残念ながら、当サイトは全く外れでしたね。地球の歩き方などの旅行ガイドにも載っていたりしますので、比較的簡単に情報を集める事ができるでしょう。ブリュッセルの駅からすぐ見下ろせるところに、デパートのショーウインドーのような立派な飾り窓があったのに驚いた事があります。
無線LAN ワイヤレス電話  混信
無線LANとワイヤレス電話が、混信するかどうかは分かりませんが、ワイヤレス電話はチャンネルは少ないので、近くの家の電話と混信した事があります。電話を掛けようと受話器を取ると、既に会話が聞こえるのです。秘話性ゼロです。仕方なくワイヤレス電話を取り外し、有線電話に取り替えました。USでは、ワイヤレス電話は確実性に欠けるので、病気で緊急電話を掛ける必要があるような場合は、ワイヤレス電話の設置を制限するように警告されています。
ブランド 時計 ムーブメント 情報 コストパフォーマンス
メッキ
以前は時計メーカーが、ムーブメントを作っている事が多かったようですが、日本発のクォーツ旋風の後、機械式時計のムーブメントは専業メーカーによる共通部品化が進み、スイス製の時計でも自社でムーブメントを作っているところは、少なくなっているようです。もちろんゼニスロレックス等の一部のムーブメントは自社製を採用しているそうですが、カルティエオメガなどの多くの製品は、ETAと言うムーブメント専業メーカーの物を採用している事が多いようです。ETAは、香港の時計メーカーも採用しているので、スイス製の時計と香港製の時計の中に、同じムーブメントが使われている事もあるそうです。またクォーツの場合は、100万円の高級時計に1000円のムーブメントが使われている事もあるそうです。
ルイ・ヴィトン MADE IN USA 品質
USで売られている物には、ブラジル製が多かったとように思います。フランスで買い求めると、フランス製に混じってスペイン製があったりします。USで買うと皮の部分の色が濃い事があり、使い込んでいった時の色合いが異なってきます。色合いに関しては、個人の好みの問題もありますが、耐久性も少し異なるような気がします。
耐用年数 電気製品
昔は、白物家電は8年とか10年とか言われていましたが、最近は当たりはずれが多くなってきたように思います。USでは、たとえば洗濯機のモーターが壊れた場合、メーカーに型番を言えばパーツで手に入れる事ができました。モデルチェンジをそれほど頻繁にやらないせいか、古い型番でも部品の在庫があったりします。部品が手に入れば、みんな自分で交換しています。そろそろ日本でも家電製品は、長く使い続ける事ができるように工夫しても良い時期ではないでしょうか?
ビジネスクラス 快適 ハワイ ANA
ビジネスクラスにはいくつか分類があるようですが、ANAが国際線定期便を飛ばし始めた頃は、「J」と言うクラスでした。その後「C」クラスに変更になったようです。「J」クラスは、シンガポール航空やバージンアトランティック航空のようなサービスが良い航空会社が採用していて、一般的な「C」クラスより、同じビジネスクラスでもより快適性が高いようです。
リーダーズダイジェスト 日本語
日本語版の最終号を、大事に保存しています。リーダーズダイジェストは、書店の店頭販売より郵送による定期購読が中心でした。廃刊の挨拶で当時の編集長がその理由を、郵便の制度がUSと違い、日本の硬直化した郵便制度では定期購読の採算が取れない為、廃刊するに至ったと説明していました。しかし、私は廃刊の少し前にリーダーズダイジェストがすっぱ抜いた、旧ソ連スパイの合衆国への亡命の記事が、直接の原因でなかったかと思っています。

以上、当サイトが役に立たなかった検索キーワードでした。これに懲りず、またの当サイトへのお越しをお待ち致しております。

141.意識を持つコンピューター (2003/07/07)

もう20年以上前になりますが、確か読売新聞の特集記事で人工知能の事が書かれていたことがありました。座談会形式で数人の識者が将来のコンピューターについて語っていました。


当時はAI人工知能と言う言葉が流行っており、家電やカメラの新製品は必ずと言って良いほどインテリジェンスを謳い文句にしていました。AI洗濯機、AI炊飯器、AI扇風機、AI電子レンジ、AIカメラ、云々、云々。まあマイクロプロセッサーが本格的に民生機器に搭載され始めた時期であり、それをインテリジェンスと称していたのですが、近い将来意識(心)を持ったコンピューターが登場する事は、当然のように期待されておりました。


「2001年宇宙の旅」のHALや、「鉄腕アトム」を誕生させるには、そろそろ人工知能を実現しておかないと間に合わないと考えていた人がいたのかも知れません。


その座談会の中で、ある人がこんな事を言っていました。


「コンピューターの意識と言うのは、メモリーがどんどん増大して、過去の人類の経験や文化・習慣等の記憶があるレベルにまで達した時に、ろうそく明かりぽっと灯るみたいに芽生えるのではないか」、と。


正確には少し違う表現であったかもしれませんが、この意識の芽生えろうそくの明かりに例え、しかも最初の内は、それが薄ぼんやりしたものであると言っていたのが印象に残っています。


最近では、脳の研究も以前より進んで来ており、その複雑さが解明されつつありますから、人間の脳と同じようなコンピューターが、そう簡単にできるとは誰も思わなくなりました。しかし、コンピューターのメモリーがどんどん増えて、過去から人類が蓄積してきた情報をどんどん記憶していくと、ある日誰も気づかないうちに、ぽっと意識の明かりが灯っている事があっても不思議ではありません。(いや、やっぱり不思議だ!)