260.旅の余韻 (2003/12/01)

師走になってしまいました。あと今年も残すところ1ヶ月です。しかし、今日はまだ260回目の雑記を書いていると言うことは、まだ40回残っていると言うことです。さすがにだんだん苦しくなってまいりました。


ところで旅行と言うのは、日常と違った体験ができるところが良い訳で、それこそが目的であったりする訳ですが、いつもと違った体験を、そのままに受け入れて新しい価値観を見出してくるところに、旅行をする目的のひとつがあったりするのではないでしょうか?


いやいや、実はそんなに難しく考えているわけではありません。ただ言い訳をしているだけなのです。PalmTrotterは、日常身の回りに起こっていることに、突っ込みを入れるところから始まります。ところが、旅行から帰ってしばらくは、何を見てもすんなりと受け入れてしまい、突っ込もうと思わなくなっているのです。感覚が鈍っているというか素直になってしまったと言うか、これではPalmTrotterの雑記にはなりません。


さて、旅には様々な構成要素があります。私は、それらを生活の3要素「衣食住」に掛けて、旅行の3要素「移食住」を提唱しています(誰にしているのだ?)


「移」移動するための方法です。旅行と言うぐらいですから、移動しなければ始まりません。交通手段や徒歩で移動することが、旅行をするにはまず必要です。


次に「食」ですが、これは食事をどうするかと言うことです。最低限必要な食事に留まる場合もあれば、地元の名物に舌鼓を打つこともあるでしょう。ただ、初めて行く場所でおいしい食事にありつくには、ある程度の下調べとが必要になります。


最後の「住」ですが、宿泊のことです。ホテルであったり旅館であったりドミトリーであったり、施設の差はあっても安全な場所を確保することが最低限必要です。


さて、「移食住」だけでは、旅の目的を達成しないとお考えになるかもしれません。観光が目的であれば、そのための情報は大切です。しかし、旅が安全に終えることができるための絶対必要な要素は、「移食住」に集約されているのではないでしょうか?


鳥取県の三朝温泉にあるお寺のお堂に、書かれていた言葉を思い出します。


「旅の一番大切な目的は、出発地点に戻ること!」

259.2年D組 (2003/11/30)

本日は、全くのプライベートな内容で失礼いたします。昨日は、高校のクラス会に行って参りました。毎年11月の最後の土曜日に開催している、高校2年で同じクラスだったメンバーの集まりです。


毎年のように来る者もいれば、20年以上ぶりの者がいたりします。年末前の恒例行事になっており、4半世紀以上続いています。


これまで中断することなく継続して来られたのは、何にも増して献身的な幹事のおかげですが、毎年この時期になると、幹事とそれをサポートするメンバーが立ち回ってくれて、会場の手配からメンバーへの通知を行ってくれます。


また、当時の担任の先生が毎年欠かさず参加される事も、継続して来られた理由の一つでしょう。勿論先生の人望が厚く、またそれを今なお保っておられることも理由として上げることができるでしょう。


つまり、先生にも会いたい、クラスのメンバーにも会いたいという気持ちが全員の中にあるからこそ、長きに渡って続けてくることが出来たのだと思います。


“うりだい!”の瓜生氏が述べておられるように、参加人数を気にするより続けていくことが大切なのだと言うのは、PUGOを率いて来られた方ならではの説得力があります。


私も、当サイトの更新を目標の300回までした後はあまり考えていなかったのですが、多少形式が変わることはあるにせよ、少なくとも続けていく事は大切であるなと思った次第です。


「継続こそ力なり!」

258.近況報告 (2003/11/28)

しばらくご無沙汰いたしておりました。2週間ぶりの更新になりました。例年11月も最終週になる頃には京阪神でも初雪が降るのですが、これも温暖化の影響でしょうか、まだしばらく雪が降るほど寒くはなさそうです。


10泊12日でUSに行って参りました。全くの観光旅行です。同行者がおりましたので個人旅行と同じような無茶はできないのですが、かと言ってツアーと同じでは面白くありませんから、そのあたりの旅程の味付けが難しいところです。


取りあえず少しばかり面白そうな体験がありましたので、そのうち雑記の中にUFOを見た話など(ウソウソ)旅行中のことを織り交ぜて行きたいと思っております。


今週はPUGOの定例会が開かれていて、旅行中であったため参加するチャンスを逃してしまいました。いろいろなサイトで紹介されているPUGOのレポートを読ませて頂いていると、会場の楽しい雰囲気が良く伝わって来ます。また次回の機会にお邪魔したいと思っております。


さて、まだ本調子ではありませんので雑記にさえなっていませんが、とりあえず日常業務(何の業務だ?)に復帰した事をお伝えして、近況報告とさせていただきます。

257.天国の弁護士 (2003/11/14)

このジョークは、20年ほど前にリーダーズ・ダイジェスト日本語版に掲載されていたものです。


ここは天国の入り口です。


生前、人の役に立つ良いことをした人だけが入ることを許された、楽園の入り口です。


そこには神様がおられて、新しく天国にやって来た者たちに、生前のおこないに応じて天国の家を与えてくれるのです。


新しく天国に来た一人の弁護士が、その神様の下へひざまずきました。


「神様、私は生前弁護士をしておりました。私に天国の家をお与えください。」


神様は、生前の記録をパラパラとめくり、その生前弁護士に、広い土地の付いた新築の豪邸を、お与えになりました。


次に、新しく天国にやって来たローマ法王が、神様の下へひざまずきました。


「神様、私は生前ローマ法王をしておりました。私にも天国の家をお与えください。」


神様は、生前ローマ法王に、生前の記録もろくに見ないで、小さな中古住宅をお与えになりました。


生前ローマ法王は、生前弁護士との差を見て、さすがに不満に思ったのか、こう尋ねられました。


「神様、不平を言う訳ではないのですが、生前弁護士と私の家では、えらい差があります。いったいどうしてでしょうか?」


すると神様は、


ローマ法王は、天国には掃いて捨てるほどいっぱいおる。ところが、弁護士で天国に来たのは、彼が初めてなのじゃ!」

256.欠陥住宅訴訟 (2003/11/14)

NIKKEI NETに、「名義貸し建築士の責任認める、欠陥住宅訴訟で最高裁」と言う記事か掲載されています。記事を見れば、至極当然の判決にしか見えませんが、このような裁判が最高裁まで闘われて、最高裁の判断が初めて示されたと言うことですから、これまで最高裁の判例がなかったと言うことなのでしょう。


判例は最高裁のものが出されて、初めて最終的な判断が出たと見なされます。控訴審では判決が出たとしても上告審で覆る事がありますから、司法としての最終判断とは考えにくいのです。


これほどまでに、欠陥住宅のことが社会問題化しているにもかかわらず、今頃になって工事監理者の責任を言及する最高裁の判決が出たと言うことに、驚きを感じます。


もちろん、あらゆる製品に欠陥が全くないと言うことは難しいことです。住宅にも瑕疵による欠陥があることは、ある程度は仕方がないことでしょう。


しかしやるべきことをやらず、その結果必然的に欠陥住宅を作ってしまったのなら、責任を問われるのが当然でしょう。資格と言う特権の上に胡坐をかき、名義貸しなどと言う事を続けている限り、欠陥住宅を無くすことはできないでしょう。


住宅問題に関しては建築に関するものばかりでなく、賃貸の場合でも多くの問題が発生しています。例えば、賃貸物件から転出する場合、室内の汚れをクリーニングするためにデポジットがほとんど返金されなかったり、追加で請求されたりするケースが多いようです。


もちろん、故意過失によって多大な損傷を与えた場合には弁償する必要がありますが、通常の使用における汚れや劣化に対しては、本来賃貸料に盛り込まれているいるものです。もし、次の人に貸すためにそれらをまっさらにしなければならないとしたら、逆にそれまでは人に貸せない状態の住居に対して賃貸料を取っていたと言うことになりますから、家主がこれまでの賃貸料を受け取る根拠がなくなります。


このような説明をしっかりできる、不動産業者は意外と少ないようです。しかし、USでは州の法律として細かく条件が書かれていますし、不動産業者は入居の前に説明をしなければならないようです。消費者保護が謳われていますが、まだまだ十分とは言えないようです。


最近、裁判に関して国民の注目が集まって来ています。裁判官弁護士を扱ったテレビドラマも、多くなってきました。訴訟を起こすこと自体が、忌み嫌われていた時代は終わりました。広く開かれた司法を通して、安心して住める社会になってもらいたいものです。