584.インド人もびっくり!3: カレーライス (2006/04/30)

さて、何と言っても一日で一番困る(実は面白い)のが昼食の時間です。工場にある食堂に2人を連れて行くのですが、メニューを選ぶのに一苦労です。


外国の人に食事を勧める場合に気を付けなければならないのは、食べては行けないものが含まれているかどうかと、とんでもなくまずいものを食べさせてしまうことです。


メニューが写真で表示されているのですが、料理名が日本語でしか書かれていませんから、一通り説明をしながら食べられそうなものを勧めることになります。インドの方は肉を食べないですから、例えミンチであっても入っているメニューを勧めることは厳禁です。


一日目。写真を見て馴染みがあると思ったのでしょう、男性のHさんがカレーライスを指さして「これがいい!」と言いました。ただ、これはビーフカレーだからビーフが入っていると言うと、首を横に振って「それは駄目だ」と言います。


チキンは問題ないと言うのですが、鮭の塩焼き鯖の味噌煮には見向きもしません。タンドリーチキンなら食べられそうだと言うことで、3人で同じ定食メニューを選びました。


タンドリーチキンはカレー味のソースが掛かっていて、女性のPさんは味もOKとのこと。ただし付け合わせのインゲン豆はお口に合わないご様子です。みそ汁も味がよく分からないというか、得体が知れないといった感じです。ちなみにご飯が一番まずかったようで、ネットリした日本のご飯は大苦手のようです。


その日はタンドリーチキンという、如何にもインドの人に合わせたようなメニューがあってほっとしました。聞いてみると、行きの飛行機ではベジタリアンメニューを予約してきたそうで、チキンも普段はそれ程食べるわけではないそうです。


さて次の日、メニューを見回して食べられそうなのはやはりチキンしかありません。しかし、今回はチキンの照り焼き(醤油味)が乗ったどんぶりです。少し危険かなと思いながら列に並んだのですが、時間が遅かったせいかすでに売り切れていて、残っているのはビーフの挽肉の入ったコロッケか、ビーフカレーしかありません。


どうしたものかと、とりあえずカレーがビーフカレーかどうかを食堂の係りの人に確認してみると、やはりビーフカレーです。実はビーフは食べられないのですと説明して思案していると、係りの人が言いました。「ビーフカレーと言ってもビーフはほとんど入っていませんよ!」 


うーん、自慢してはいけないような気がするのですが。インド人たちにビーフはほとんど入っていないと言うと、それなら仕方がないと言って、3人でビーフカレーを頂いたのでした。


カレーライスは彼らにとって、一番味のリスクがないのでしょう。辛さが弱いと文句を言いながらも完食していました。確かに肉らしきものは見当たりませんでしたね。良いのだか悪いのだか???


ただせっかく日本に来たのだから、日本にしかないものも食べてもらいたいものです。肉が駄目な人でも豆腐から作ったものなら安心して勧められるので、小鉢に入った「がんもどき」はどうかと促してみます。


以前ドイツ人に豆腐を食べさせて、日本食の中で一番まずいと言われたことがありましたが、その時は味が全くないのが理由でした。


がんもどきの見た目に少し不安を感じていた様子でしたが、食べてみて結構気に入ったようでした。今回は豆腐と言っても手を加えたものでしたが、がんもどきを少しでも気に入ってもらえたのはうれしかったですね。


昨日の夜、晩御飯に何を食べたのかを聞いてみると、ホテルのレストランで中華のフライドライスを食べておいしかったと、うれしそうな顔で言っていました。


日本で無難な食べ物を探すのも、なかなか大変そうでした。

583.インド人もびっくり!2: 英語、地方語、標準語 (2006/04/30)

今、中国が世界の工場とさえ言われるようになり、あらゆる工業製品の世界的供給地としての地位を築いています。また同様にインドは、世界のIT産業の一大供給地として注目を集めています。


中国がその人件費の安さを武器に工業化を進めてきたように、インドは英語を標準的に使いこなすところに、IT産業との親和性があると考えられています。


アジア諸国の中で英語のテストをすると、いつも日本は下位に甘んじています。確かに日本が誇る世界ブランドを擁する企業でさえ、ビジネスで使いこなせるほどの英語を話す人は限られています。


あらゆる産業のグローバル化によってますます世界標準語としての英語の必要性が叫ばれる中、小学校教育から英語必修にしなければいけないと言う議論が、以前にも増して盛んになってきました。


そして、英語教育の重要性を訴える意見の一方で、いつも論じられるのが国語教育の重要性です。小学生のうちは英語を学ぶより、国語をしっかり学ぶことの方が大切だという考え方です。


さて、インドは英国による統治以前は国内に標準的な言語がなかったため、英語がその役割を果たしてきました。ヒンドゥー語を話す人口が一番多いとは言え、それさえインド南部では理解する人がほとんどいないため地方語の一つに過ぎません。すなわちインド語(国語)と呼べる言語はないと言うことになります。


インドから来ている2人のエンジニアに聞いてみると、インドでは英語の教育は6才から始めるばかりでなく、授業はすべて英語だけを使うそうです。


では母国語としての教育はどうなっているかというと、それぞれの地方語の授業は必修科目としてありますが、ヒンドゥー語は希望者のみだそうです。ですから、2人のエンジニアはいつも英語で会話していますし、それぞれの地方語はお互い全く理解できないそうです。


つまり、英語が実質的に国語であり、就職の時も英語の能力を試すことはないようです。日本の就職において日本語を問わないのと同じなのでしょう。テレビのニュースは、英語と地方語とヒンドゥー語のすべてで流されているそうです。


英語が唯一国内で標準的に通じる言語であり、しかもそれが最もグローバル化の進んだITの分野でのめざましい躍進につながったと言えるでしょう。


コミュニケーション能力のための言語教育英語だけに集中し、地方語の教育は独自の文化を守るために継続しつつも、最大勢力であっても地方語の一つに過ぎないヒンドゥー語はオプションにするという割り切り方は、なかなか日本には真似の出来ないことです。


私たちは日本語という標準化された言語を持ち、またそれが日本古来の文化を担っているため、国語教育にはどうしても思い入れが強くなる傾向があるように思います。


そのために国語教育に必要以上の時間をかけていたり、いわゆるマニアックな問題を説くことに固執していることがないとは言えません。


小学校教育に英語を必修科目として入れる事を議論するとき、インドでの英語教育について考えてみることは、参考になるのではないでしょうか?


ところで、インドではきれいな英語を話す人が多い反面、すごく訛りのきつい人が多いのも事実のようで、今一緒に仕事をしている男性のHさんもなかなかのものです。普段から英語で会話しているからと言っても、家族の間では地方語を使っているでしょうから、それが訛りが強い理由なのでしょうか?


なぜ訛りが強いのか、明日本人に聞いてみようと思います。(そんなこと本人に聞けるのか?)