411.印刷部数が示すもの (2004/11/18)

asahi.comに、「日本雑誌協会、400誌の印刷部数を公表」と言う記事が掲載されています。これまでの出版社による自己申告では曖昧さがあり実態が分からなかったため、印刷工業会のお墨付きのデータによって発行部数を正確に把握しようというのが狙いです。


発行部数が正確でないと、雑誌の影響の度合いを広告主が評価ができないため、統一した基準によるデータが長年求められていたそうです。印刷部数の公表によって、出版業界の勢力図に変化が起こるかも知れません。


あるテニス雑誌では、印刷部数が出版社の自己申告の10分の1近くになってしまったケースもあるそうで、これまでの発行部数のデータがいかにいい加減であったかを物語っています。


まだ経過措置が採られているため、印刷部数と自己申告による販売部数が共存して発表されるそうですが、2-3年のうちには全ての雑誌の印刷部数を公表することになるそうです。


雑誌の分野によっては印刷部数の公表に消極的なところもあるそうです。車、スポーツ、パソコン、コミックの4分野が消極的だったと言うことですが、こんなところにも日本的業界の馴れ合いによる悪癖が蔓延しているのでしょうか?


これまでの自己申告による発行部数より正確な印刷部数が発表されることによって、広告主が印刷部数の多い雑誌に優先的に広告を打つのは当然の事でしょう。しかし、雑誌の読者である私たちは、印刷部数の多い雑誌を読んでいれば安心などとは考えないで、これまで以上に本当に自分にとって価値のある雑誌はどれであるかを見極めていきたいものです。


雑誌の影響力を測るには、本来の発行部数、すなわち印刷部数ではなく実売部数で判断するべきでしょう。実売部数を増やすことに比べ、印刷部数を増やすことはそれ程難しいことではないからです。


今でさえ実売部数は印刷部数の7割と言われているそうですが、更に印刷部数に注目が集まることによって、売れもしない雑誌を大量に印刷だけして発行部数を水増しし、古紙として裁断・回収に回される読み手のない雑誌が増えて行くことがないよう、切に願うのであります。

401.新潟県中越地震 (2004/10/24)

新潟県中越地震によって被災された方々には、心よりお見舞い申し上げます。


最初の地震から丸一日が経ち被害状況が明らかになるに連れて、今回も多くの犠牲を伴ってしまったことを残念に思います。ごく近年においてさえ、日本は多くの大地震を経験して来ましたが、その経験によって被害を最小に食い止める努力が今回も生かせなかった事に憤りを感じると共に、まだ努力が足りなかったのではないかと言う疑問が沸いてきます。


特に今回は、台風23号による地盤のゆるみも重なって、多くの地崩れが発生しているようです。地震だけではなく複合的な要因によって、被害が拡大する事の危険性を見せつけています。


新聞のニュースでインタビューされていた被災者の方が、阪神大地震の時は他人事のような気がしていたと言われていました。これはある程度仕方のないことだと思います。


実際に経験してみないと想像さえ出来ないことはたくさんあります。過去の経験に基づいた想像を、はるかに超える悲惨な状況が起こり得るからです。想像を絶するとはこの事を言うのでしょう。


阪神大震災からもうすぐ10年が経ちますが、あの地震が発生したその当日に、被災した地域から10キロも離れていない大阪梅田では、勤め帰りのサラリーマンがカラオケに興じていたのです。


また地震から数週間後、リュックサックを背負った被災地に住む人たちが、大阪梅田のデパートに来られているのをよく見かけました。地元で手に入りにくい食品や日用品のために、買い出しを余儀なくされていたのです。


リュックに生活用品を詰め込んで、やっと部分開通した電車に乗って帰って行かれる人と、ブティックの大きな袋を下げた勤め帰りのOLが、同じ駅の中ですれ違うのです。そのコントラストはあまりにも鮮烈です。


また、阪神大震災では同じ被災地に住む方々の中でも、家の被害に差がありました。直下型で断層によって引き起こされる都市型地震の場合、断層の位置によって道路1本隔てただけで揺れ方が大きく異なったのです。その為、同じ地域の住民の間でも被害が一様でなく、それによっていざこざが引き起こされることがありました。


今回の地震でも、多くのボランティアの方が活躍されるでしょうし、自衛隊の方による救済活動にも頭が下がる思いです。まだまだ余震が続いているようですが、被災地の方々には、ぜひ希望をもって復興に向かわれ、また美しい越後の風景を取り戻してもらいたいと願うばかりです。

398.台風23号 (2004/10/21)

昨日の台風23号によって被害を受けられた方々に、お見舞い申し上げます。今年になってから10個目の台風上陸となってしまいました。また年間記録を更新したようです。


今年はUSでもハリケーンによる被害が甚大だそうです。台風やハリケーンは30年周期で多くなる年があるそうですから、ここしばらくは油断できません。


昨日午後7時頃帰宅したのですが、橋の上から見る川の流れは正に濁流で、川と言うより海に近いものがありました。川底の形によって波が上がるのですが、波の高さが1メートル以上はあります。


水害は恐ろしいものだと思いながら橋を渡り終えて振り返って眺めてみると、橋桁が今にも濁流に呑み込まれてしまいそうになっています。


「対岸の火事」ではありませんが、「橋から眺める濁流」も後から考えると恐ろしいものです。


今回の台風では停電になりましたし、付近の道路が陥没して通行止めになったままですし、川に掛かっていた送水管が流されてしまったようです。身近に台風の脅威を感じました。


今日、その川を改めて眺めてみると、昨日は3メートルほど水位が上がっていたようです。確かにそうでもなければ1メートルもの波が上がらないでしょうね。


私が小学生の頃、台風23号と24号が続けて近畿地方を襲ったことがありました。23号は雨台風で横殴りの雨が窓の隙間から入り込み大変でしたし、24号は風台風で多くの被害が出ました。昔の方が、台風の被害が大きかったように思いますが、その中でもこの2つの台風は印象に残っています。


今、台風24号が日本の様子を伺っているようですが、さらに日本への上陸記録を伸ばすことのないように願いたいものです。

396.ゴミクマと言われても、、、 (2004/10/19)

クマが冬眠を前に全国的に出没しているようです。クマと言えば北海道にいるものと思っておりましたが、ツキノワグマがこれほど日本中にいるとは思いませんでした。


軽井沢では数年前からクマが出没しているそうで、ゴミ箱をあさるクマのことを「ゴミクマ」と呼ぶそうです。人間が出すゴミは結構おいしいそうで、一度ゴミの味を占めるとなかなか足を洗うことは出来ないそうです。


USのヨセミテ国立公園内にあるヨセミテ・ロッジに泊まるとき、フロントで「車の中には一切の食品が無いことを誓約する書類」にサインをさせられます。ロビーにはビデオがおいてあり、クマが駐車中の車のガラスを破り、中から食べ物を見つけだして食べ散らかしている様子が延々と映し出されています。


問題なのは車が被害に遭うことだけではなく、このように車の中に食べ物がある事を知ったクマは、同じ事を繰り返すようになることです。


最近では、クマの好物リストの中にポテトサラダビーフジャーキーが加えられているそうですが、クマを人間の世界の食べ物から遠ざける事が必要です。


"Keep Bears Wild"は、ヨセミテ国立公園で3年越しで行っているキャンペーンですが、そのおかげでクマによる事故が減ってきているそうです。子供のクマに母クマが、自然の中から食べ物を探し出すことを教えることが出来るような環境を作り出すのが重要だと言っています。


新聞によると、今年になって急にクマが多く出没しているのは、夏の猛暑と異常に多い台風によって森の中の食料が無くなったためだとされています。すなわちこれらは今年特有の現象であり、クマの被害も今年に限ったことであるように考えられています。


しかし、一度人間の世界の物を食べてしまったクマたちが、ドングリを探すより人間の出すゴミを食べる方が楽だと考えても不思議ではありません。


クマと人間が接触することは、双方にとって不幸なことです。クマの生息域と人間の生活圏が交じり合わないようにする恒久的な対策が必要だと思います。

395.ダイエーはどうなるか? (2004/10/16)

ダイエー産業再生機構の支援を仰ぐ事になってしまいました。その経緯にはすっきりしないものがありますが、結局なるようにしかならなかったという感じがします。


マイカルが民事再生法の適用を決めた頃にはすでにダイエーも危なかったのですから、長い間引き延ばしたものだと思います。ダイエーが立ち直るために懸命に努力をしたにも関わらず、このような結果になってしまったのだと信じたいですが、実際のダイエーの店舗を体験してみると、全くの危機感は感じられませんでした。


関西、特に阪神間はダイエーのお膝元です。兵庫県にはダイエーの店舗が44あり、全国の都道府県で一番多いそうです。全盛期には神戸の三宮界隈には片手に余る数の店舗が肩を寄せ合い、食品から婦人衣料、男性専科や若者衣料、電化製品などを、それぞれ別のビルで取り扱っていました。


それぞれのビルには名前が付けられていて、メンズ・ダイエーとかレディス・ダイエーエレクトロ・ダイエーなど、三宮を歩くとダイエーを避けて通れないほどと言っても言い過ぎではありませんでした。


ただ、ダイエーはあまり高級なイメージはなく、特に電化製品などは今で言うディスカウントストアーのようなところもありました。


オーパやバンドールなど、新しくできたときには斬新でスマートだったのに、次第に色あせてきていつの間にか無くなってしまうところもたくさんありました。あまりブランドを大切にしている様には思えませんでした。


またダイエーでは最近でさえ店員が雑談をしている事が珍しくなかったですから、破綻しない訳がありません。


マイカルに続いてダイエーが関西系のスーパーで経営破たんするのは、関西経済の衰退を象徴しているようです。栄枯盛衰のなれの果て、次にその抜け殻を手に入れるのはいったい誰なのでしょうか?