200.101から199の雑記を振り返る (2003/09/21)

前回、100回目の時にも99回の雑記を振り返ってみましたので、200回目の更新にもその後の99回の更新を振り返ってみたいと思います。


まずテーマ別に回数を数えてみますと、次のようになりました。



雑談
18
パーム
17
時事
15
科学・理科
15
コンピューター
11
旅行
11
海外生活

カメラ

携帯電話


さすがにパームネタが減ってきて、その代わりに雑談が増えてきています。パームのネタは、私自身が新規購入をするわけでもないので、どうしても話題にするような内容を探すことが困難になります。それなりに満足をして使っているのですが、安定成長期と言ったところでしょうか。300回に向けて、奮闘しなければならないところです。


PalmTrotterは、旅行に関してももう少し多くのテーマを提供していきたいと思っております。秋頃に海外旅行の計画をしておりますので、その中からみなさまにお伝え出来ることがあれば、掲載していきたいと思います。


あと今年も残すところ100日ばかりになって参りました。300回の更新に向けて、一日に一回の更新を目標に続けていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

199.虎印商標争い (2003/09/21)

優勝の勢いに乗って、さらなる戦いへ突き進む阪神タイガース。今度は、タイガー魔法瓶商標争いを始めたようです。


猫科の動物で、唯一を成して生活するのはライオンだけで、そのほかは単独で行動するそうです。一匹狼とよく言いますが、オオカミは逆に群で行動するそうです。


その虎のことですから、同じ仲間であっても縄張りを侵害するものは、ほっておく訳にはいきません。個人が持っていた商標だけでなく、同じ大阪の企業までもが標的になっているようです。


このタイガー魔法瓶と阪神タイガースの商標争いの行方には、商標の問題としてどうなるか興味のあるところですが、虎印と言えばもう一つ忘れてはならない会社があります。


タイガー計算器と言う会社をご存知ですか?大正から電子式卓上計算機(電卓)が普及するまで、機械式計算機を製造販売していた企業です。元々は、大阪の十三に本社があったそうです。


産業が発達する前は、計算をすること自体あまり需要はありませんでした。しかし、戦後日本が工業国を目指し始めてからは、様々な産業において計算を必要としました。


例えば、戦後のカメラレンズの設計に於いては、収差を求めるために膨大な量の計算を必要としたため、設計現場では何十人もの女性が一列に並んで、計算業務に従事していたそうです。


電卓が現れる前は、計算と言えば歯車を使った機械式計算機か、計算尺を使うしかありませんでした。計算尺は、概算には向いていますが、桁数を必要とする計算には、機械式計算機が使われていました。


トランジスター式の計算機が発売されたのが1964年で、その後ICやLSIを使った電卓が普及するに及んで、1970年にタイガー計算器は製造を中止したそうです。今でも骨董品屋では、昔のタイガー計算器に高値が付いているそうです。


タイガー計算器の販売会社は、現在Windows等で稼働するソフトウェアを作る会社になっていて、株式会社タイガーとして存続しているそうです。(ご丁寧に本社所在地は虎ノ門!)また、タイガー計算器という会社も、大阪に存在しているそうです。


密林の王者「虎」百獣の王「ライオン」は、誰にも判りやすい強さの象徴ですから、商標としての利用に争いが絶えないのは、仕方がないことかもしれません。


しかし、商標は、継続的に使うことによって、世間に認められるように企業が努力してこそ、価値を生むものですから、優勝した年だけに限らず、継続的に価値を高める努力をして頂きたいものです。


記載内容に誤りがあるとのコメントを頂き、一部タイガー計算器に関する記載を修正させていただきました。(2006/12/25)

198.大阪人の嘆き (2003/09/19)

阪神の優勝から何日か経ちましたが、優勝セールはまだ盛んなようで、大阪梅田の阪神百貨店は言うに及ばず、日本全国で優勝にかけた記念セールを開催しているようです。


デパートで、山のように積まれた奉仕品を見ると、デパート奉仕してくれていると勝手に思い込んでしまい、買わなきゃ損という気になってしまいますが、実はお客さん奉仕している場合もあるのかもしれません。


阪神の優勝に沸いている大阪で、阪神の優勝はうれしいけれど、大阪人として同時に寂しさを感じておられる、Ethanさんとおっしゃる方からメールを頂きました。曰く、道頓堀に大勢が飛び込んでいる姿を見て、また大阪人が笑いものにされてしまうと。一部の目立ちたがり屋がやっていることによって、大阪人全体が馬鹿騒ぎが好きだと、他の地域の人から思われるのが心苦しいと。


ニュースによると、今回は5300人もの人が飛び込みをしたそうですから、これを一部の人間と言うかどうか微妙なところですが、大阪市の総人口を約262万人とすると0.2%になり、1000人に2人が飛び込んでいることになります。


もちろん大阪市以外の人もいたでしょうし、一人で何度もダイブする事もあったでしょうから、正確ではないでしょうが、一部の人と言うには少し多すぎるように思います。これほど多くの人がダイブすると言うことは、優勝したらダイブすると宣言していた人がかなりいたのではないでしょうか。(つまり優勝するとは思っていなかった?)


さて、ここで同じ大阪エリアに住むぱむとろは、大阪人のこの馬鹿騒ぎの原因を分析し、全国の方々に大阪人を理解していただこうと努力してみることにします。


まず、大阪は商人の町でありました。商売をすると言うことは、お客様からへりくだって、もみ手で接しなければなりません。この商人の原則である、「へりくだる」、あるいは「謙遜する」と言うことが、大阪人には根付いているのではないでしょうか。


大阪人は、へりくだる、つまり自分を相手より下に置くことによって、相手に対して安心感を与えるのでしょう。昔の商人ならば、相手に安心感を与えることは有利に取引を進める上で重要でした。


なぜへりくだる為に、大阪人がお笑いズッコケに行ってしまうのかについては、もう一歩文化的背景を調べなければわからないのですが、上方落語に代表されるように、お人よしだが少し抜けているのが、大阪人の典型であるのかもしれません。


あるいは、昔土曜日がまだ半ドンだったころ、学校から帰ってきて家で昼ごはんを食べようとすると、必ず「吉本新喜劇」をやっていた記憶がある人は、自然と「ボケ」と「ツッコミ」が身についているのかもしれません。


対して、東京では「粋」と言う言葉がありますが、本物の江戸っ子のしゃべり方は正にと言うのに相応しいでしょう。経験がないので断言はできませんが、東京ではな人はダサい人より、快適に暮らすことができるような気がします。


東京で、初対面の人が挨拶代わりに大阪人のようにボケをやらかせば、信用をいっぺんに失い、「ダサい人ね!」と思われてしまうでしょうし、大阪では逆に、粋な挨拶でもすれば、「キザなやつ!」と思われるかもしれません。


つまり、大阪人がボケをかまし(大阪では行うことをかますと言います)、東京人がに見せようとするのは、どちらも相手に安心感を与え、信頼を得るための保身術のひとつであると考えることができます。


別の例で考えて見ましょう。一般的にアメリカ人は陽気フランクであると考えられています。確かに挨拶も陽気ですし、飛行機で隣に乗り合わせた人とはすぐに歓談を始めます。


ところが、USに住んでみると、アメリカ人の中には常に陽気な人もいますが、結構暗い陰気な人も多くて、平均すると日本人とさほど変わらないように思えました。


USの国民は、多くの民族が混ざっているので、その文化的背景はさまざまです。その中で、挨拶もせず黙っていると、不信感を相手に与えてしまうでしょう。危険人物と思われるかもしれません。陽気に話しかけ、握手もして、「俺は何も隠していないし、手に拳銃も持っていないよ!」と示すことが、相手に安心感を与えるために必要なのかもしれません。


さて本題に戻ります。大阪人が馬鹿なことをやらかすのは、相手に安心感を与えるために敢えてやっているのであり、本当に馬鹿なのではありません!道頓堀に飛び込むのは、ボケをかまして相手に安心感を与えているのです。だからこそ、きれいな川でなくヘドロで汚れた川に飛び込むのです。


と、へ理屈をたれて結論を出そうとしていたら、ダイエーが優勝したときに福岡でダイブするのを、役所が阻止しようとしていると言うニュースが入ってきました。福岡の人がダイブするには、実は深い訳がありまして、、、、

195.18年ぶりは21年ぶりより早く来た (2003/09/16)

阪神が優勝したということで、いろいろなところで盛り上がっています。系列の百貨店はもちろんのこと、系列に関係なく全国的に優勝記念セールを催しているようで、景気回復の起爆剤に乗り遅れまいと必死になっています。


18年ぶりということで、長く待ったというファンが多いようですが、確か18年前の1985年に優勝したときも、かなり久しぶりだった様な記憶があったので、少し調べてみると、前回の優勝は21年ぶり(1964年以来)だったそうです。


1962年と1964年に優勝したころは、毎年巨人と優勝を争い2位になった事も多かったようですが、巨人9連覇以降、優勝や2位からだんだんと遠ざかって行ったようです。今回18年ぶりというのは前回よりは早く訪れましたから、今後は優勝間隔が短くなって行くのでしょうか?


関西で優勝が多かった球団といえば、上田阪急時代が記憶に残っています。毎年のように優勝記念セールを阪急百貨店で開催していましたが、いつも優勝しているといわゆるセール品ばかりの優勝セールになってしまい、新鮮味にかけたセールになってきます。西武も常勝チームであったときは、毎年のセールに新鮮味がありませんでした。阪神百貨店のセールとなれば、一体何が飛び出すかわからない面白さがあります。


中学生のころ、学校が終わってから自転車で、甲子園室内練習場へ行ったことがあります。おそらく2軍の練習だったと思いますが、その恐ろしく速い球や、甲高い打撃音に驚きました。練習が終わって帰っていく選手に、


「坊主、今、何時や?」


と聞かれ、恐る恐る答えたことをかすかに覚えています。最近の野球選手は、芸能人と同じぐらい垢抜けていますが、昔はもっとばんからだったのです。もっとも「ばんから」という言葉を使う事自体が、最近はめっきり減ってきました。

194.ベガの願い (2003/09/13)

何と美しい話なのでしょう!久しぶりに涙を頂戴いたしました。vega21にそのような逸話があったとは、全く知りませんでした。ふふふ総帥の感受性の高さを、改めて思い知らされた気がします。


星の光は、何千年、何万年かかって地球に届きます。時空を超えた神秘性は、太古の時代から人々を魅了して来ました。現代に住む私達も例外ではなく、星の輝きに生命の起源この世の果てを見つけようとします。


私がまだ学生だった頃、家庭教師のアルバイトで教えていた中学生に、プレアデス星団、通称「昴」を教えて貰ったことがあります。勉強が終わって帰り間際に、「意識しないでぼうっと眺めていると、だんだんたくさんの星が見えてくるよ」と教えられて、その子と2人で夜空を眺めていたことを思い出します。その後、昴と言えば、谷村新司の歌で有名になりました。


流れ星に願いを込めたり、宇宙に永遠の生命の夢を追いかけたり、星とはつくづく不思議なものだと思います。おそらく、まだ現代の科学では解明されていない、生命の起源の秘密時間と空間の謎が、星や宇宙の中に潜んでいる事を、私達は本能的に感じ取っているのかもしれません。


日経サイエンスの2003年8月号に、「平行宇宙は実在する」と言う記事がありますが、そのプロローグには、


「この世には別の宇宙がたくさん存在し,あなたとまったく同じ人生を歩んでいるもう1人のあなたがどこかにいる。そんなバカな?」


と書かれています。私達は、星に運命を見て、また来世を予想しますが、本当に彼方に輝く星たちに、私達の過去や未来がそっくりそのまま存在している可能性は否定できません。


この記事の中では、次のようにも述べています。


無限の空間のどこかでは,いかにありそうにない事柄であっても,可能性のあるものなら現実となる。私たちの望遠鏡では観測できない外側には,私たちの宇宙とそっくりな別の宇宙がある。