435.ステートレス・デバイス (2004/12/23)

20年ほど前からでしょうか、それまでの大型機依存の弊害から脱却すべく、ダウンサイジングと称して大改革が行われました。大型機で集中的に処理していたものを、クライアントに分散させて、同時にシステムのオープン化を図ろうとしたのです。


その結果、世界中のクライアント・パソコンに同じオペレーションシステムが搭載されてしまう、という事態に陥っているのはご承知の通り。


セキュリティーホールが発表されるたびに、世界中のコンピューター・ネットワークが同時に危険にさらされている状況は、社会インフラとしてみた場合あまりにも脆弱です。一企業の製品の不始末によって、社会の基盤が揺れ動くことが近代的な社会だとは思えません。


そこで、MacOSであったりLinuxという勢力が覇権を奪い返そうと(しているかどうかは判りませんが)しており、これからもパソコンを始めとするクライアントマシーンのOSの勢力争いは続いて行く事と思われます。


一方、このパソコンのOS争いとは別のところで覇権を狙っているのが、サン・マイクロシステムズです。"Go light, get right."のキャッチフレーズで新しいクライアントマシーンの形態を提案しています。簡単に言えばダウンサイジングの逆を行くだけなのですが、OSとCPUを搭載したパソコンがクライアントマシンとしてこれほど普及した後から聞くと、かえって新鮮に感じます。


"Sun Ray Ultra-Thin Client"と名付けられたそのシステムは、「複雑で維持コストの高いファットクライアント」より進んだシステムだと言っています。


キーワードはステートレスデータを保持するディスクもなければOSもないそうです。つまりディスクもプログラムもクライアントにはないのです。昔のダム端末と似ていると言えるでしょう。そのためウィルスにも感染しませんし、ソフトウェアのインストールも必要ありません。


今のパソコンが完全に家電になりきれない理由はいろいろあるでしょうが、OSやソフトウェアのインストールの煩雑さや、ディスク等のハードウェアの管理の難しさが大きな理由であると思われます。それらがないデバイスならば、従来の家電のように誰にでも扱うことが出来るようになるかも知れません。


またパソコンは価格も家電にしては高価です。ステートレス・デバイスならハードウェアがシンプルになりますから、製品の価格をパソコンより押さえることができるでしょう。


パームの"HotSync"に似た名前の機能で、"HotDesking"と言う機能があるそうです。作業の途中で中断した時にサーバーにセッションの情報を記憶させることができ、次に接続したときに引き続き作業を行うことが出来るそうです。


重要な事は、その時にクライアントマシンは別のものでも良い点です。あらゆるステートはサーバーに保持されますから、会社と自宅などにクライアントマシンがあれば持ち運ぶ必要はありませんし、もし自分の端末を持ち歩く場合でも、今のノートパソコンよりははるかに軽いものになるでしょう。


低速なネットワークにも対応していますし、セキュリティー上もディスクに機密データが残ることもなく、サーバーでのウィルス対策も行いやすいでしょう。ネットワークがどこにでもあり、いつでも使える状況では、ディスクで大量のデータやプログラムを持ち運ぶ必要はありません。


携帯電話のビジネスモデルに近くなりますが、ホスティングサービスの利用に応じた料金体系と価格を低く抑えた端末によって、パソコンビジネスが大きく変わる可能性がありそうです。


今やいつでもどこでもコンピューティングの時代です。使う人がどこでも使えるのなら、アプリケーションを実行するのもどこでも良いのではないでしょうか?


「パソコンの時代は終わった」と言われる日は、近いかも知れません。(だってPDAの時代だけ終わるのは癪じゃないですか。)

434.ハイテク&ローエンド (2004/12/23)

例年、年末は早い目に休暇に入るところなのですが、今年に限って年内に仕上げなければならない設計が2件あり、人並みに忙しい年の瀬を迎えております。


よくデジタル家電ブームと言われますが、いったんデジタル化された製品が元に戻ることはあまりありませんから、一過性のブームで終わることはないと思いますが、家電と呼ばれてきたものが一気にデジタル技術を搭載するようになってきましたから、ブームと言えなくはありません。


半導体関係の仕事にそこそこ長い間携わっておりますと、半導体の技術(テクノロジー)とその応用分野の最近の変化を強く感じます。


以前は新しいテクノロジーは、必ずハイエンド、例えば大型のサーバーのような機器に搭載され、ローエンド、いわゆる民生品には2-3年経過してから採用されることがほとんどでした。


しかし、最近は民生品のデジタル化が進んだため、デジタル家電のようなローエンド機器に最新のテクノロジーを採用した半導体製品が搭載されるようになりました。いわゆるテクノロジー・ドライバーと呼ばれる製品として、家電が占める割合が大きくなってきたのです。


元来デジタルデータと言えば、文字や数字の情報を伝達する場合がほとんどでした。それらは企業間でやり取りされるだけで、家庭内にまで入り込んでくることはありませんでした。


ところが、音声、音楽、画像などの情報がデジタル化されるにつれて、それらを家庭内で再生する機器がデジタル化され、デジタル家電と呼ばれるようになって来ました。


このように最新のデジタル技術が家庭内に真っ先に入ってくるようになると、想像しなかったような革新的な技術によって、生活が大きく変わってしまうこともあるでしょう。携帯電話やインターネットの普及を、10年前に的確に予想することは難しかったのではないでしょうか?


これまでの長い間、新しい技術はまず企業が先取りして採用してきました。それは、銀行のオンラインであったり、衛星放送であったりして、私たちはただ情報の消費者として、流れに任せて利用しているだけで良かったのです。


これからは、真っ先にに最新の技術が家庭に導入されていきますから、私たちが新しい時代を先取りしていかなければなりません。それはチャレンジであると同時に試練でもあります。技術の潮流に流されてしまわないようにしたいものです。

429.バーチャルな世界と現実的な世界 (2004/12/13)

ソニーのハンディーゲーム機、プレイステーション・ポータブル(PSP)が発売されたそうです。これまで携帯機器が得意なソニーにこのようなゲーム機がなかったのが不思議なぐらいですが、満を持して投入するだけあってなかなか魅力的な製品のようです。


ギア好きの職場の同僚が発売日に手に入れて持ってきていたので少し眺めさせてもらいました。2万円そこそこの価格にしてはかなりの高級感を漂わしています。


ブラックの筐体だったのですが、アルミ素材と思われるシルバーとのコンビネーションも良く、大人が電車の中で遊んでいても違和感がない大人のデザインを目指したと言うだけあって、ソニーらしい垢抜けたものに仕上がっています。


液晶画面も今回はシャープ製のものが採用されているそうですが、その画面の美しさは特筆もので、PEG-VZ90の時よりさらに際立っています。


全体の質感は、クリエの5万円クラスと匹敵しています。これが2万円で買えるのですから驚きです。ゲームだけでなくビデオの再生機としても利用できますから、ゲームを特にしない人でも思わず買ってしまうかも知れません。


ハードウェアを売り切ってしまえばそれでおしまいになるクリエでは、ハードウェアだけで利益を出さなければなりませんから、赤字覚悟でハードウェアを奢るわけにはいきません。しかしゲーム機は、後でソフトの売り上げが付いてきますから、ハードウェアの価格は購入のハードルが低い事が必要です。誠にうらやましい限りです。


Project Palmの機長さんが、「ハード戦争のフリをしたソフト戦争?」と言うコラムで紹介されておられますが、子どもより大人のユーザーが多い事は知りませんでした。


そう言う私も、学生の時は「インベーダーゲーム」に必至になっていたテレビゲーマーの第一世代。今でもテレビゲームは嫌いではないのですが、子どもにゲームのやり過ぎを叱る立場上、自分から進んでゲームをすることはなくなりました。


ところで、同じソニーが製造するプレイステーション・ポータブルとCLIEは、ハードウェア的にはかなり似た製品ですが、性格はかなり異なっています。


一言で言うと、バーチャルな世界を創造するプレイステーション・ポータブル」現実的な世界を再現するCLIE」と言ったところでしょうか。販売台数は、バーチャルなプレイステーション・ポータブルの方が、現実的なCLIEより圧倒的に多いことでしょう。


何となく世の中のすべてが現実から逃避して、バーチャルの世界に逃げ込もうとしているのではないかと思ってしまうのは、私だけでしょうか?(それは考え過ぎ、あるいはひがみ過ぎです。)

421.グーテンベルクとデジタル家電 (2004/12/04)

グーテンベルクと言えば、1400年代に印刷機を発明した人として知られています。印刷機はこれまでの人類の発明品の中でも、最も重要なもののひとつとしてあげられています。


印刷機が重要であった理由は、今のインターネットに似ているかもしれません。それまでは手書きの文字で記録されたものがあったとしても、広く世の中に広めるためにはさらに手書きで写していかなければならず、写されたものが正確であるかどうかも定かではありませんし、書き写すには多大な労力と時間がかかっていたのです。


それが印刷機の発明のおかげで、正確なコピーが迅速に大量に作ることが出来るようになったわけですから、文化的な革命であったと言えるでしょう。印刷機が発明された後のベストセラーキリスト教の聖書であったと言うことから、宗教的にも大きな影響を与えた事は容易に想像することが出来ます。


印刷技術は、最初は鉛の活字の手組による組版から始まりました。と言うのが同じ品質のプリントを大量に作ることの出来るオリジナルになるわけですが、これを作るためには今の技術でも多くのプロセスを踏まなければなりません。そして最終的に出来た版を使うことが出来る権利が版権であり、版権を持っているものにしか複製を作ることが出来ないのです。


さて、デジタル家電の話しに移る前に、ソニーがベータ方式のビデををUSに売り込んでいった記録を綴った、日経ビジネスに連載されていた「映像メディアの世紀」(佐藤正明著)に触れておかなければならないでしょう。


「タイムシフティングマシーン」、つまり見たい時に番組を見ることが出来ない人に、放送時間をシフトする事が出来る機械と言うふれ込みで、ソニーの故盛田氏はUSで同じ規格を採用してくれる企業を募ったと言います。


しかし、USでの反応は、録画する事によって著作権が侵害される可能性があることに集中したそうです。勿論それまでにもビデオ録画機は放送局などでは普及していましたが、映像を商品として供給する側と消費する側では、同じ機械を使っても意味が異なっていたのです。


ではデジタル家電で一体何が起ころうとしているのか?オリジナルと同じものを、誰もが大量に作ることが出来るようになってしまう可能性があるのです。これでは本当のオリジナルを持っている人はたまりません。


このような議論では、しばしば個人が楽しむ分には問題がないのだし、個人は大量にコピーをしたりはしないから大きな問題ではないと言う意見が出てきます。確かに世の中が善人ばかりならそれで良いのですが、悪人も少なからずいる現状では、そうは言ってはおれないのが現実なのでしょう。


もし、トナーだけで画像を再現する今のコピーマシンが進化して、印鑑が押されていれば印肉で、鉛筆で書いた文字なら鉛筆の粉で再現できるコピーマシンが出来たなら、オリジナルの書類とコピーの書類の境界がなくなってしまうかも知れません。その時に「イチロー」の直筆のサインの値段が今と同じであるという保証はありません。


ちんさんのネットラジオ「エアーボンチ」でも著作権やビジネスモデルで大きく揺れ動いていますが、テレビ放送もデジタル配信が進んでくれば、同様の問題が噴出することは目に見えてきます。


デジタル家電の出現と普及によって、多くのメディアで「ビジネスモデルのリストラクチャリング」が始まろうとしています。その時流にのって成長する企業もあるでしょうし、旧来のビジネスモデルから抜けきらずに衰退する企業もあるかもしれません。


グーテンベルクが作り出したと言う概念が、500年以上たった今、消え去ろうとしているのかも知れません。

410.ROBOT解体LIVE2004 (2004/11/16)

「ROBOT解体LIVE2004」なる催しものが、今年の夏休み全国の数都市で開催されてきました。夏休み以後にも追加開催されましたが、そのうちの大阪会場へ先月行って参りましたので、その様子をお伝えしたいと思います。


タイトルからすると何か恐ろしい事が起こりそうな予感がありますが、要するに会場に来ている子どもたちがステージに上がり、ロボットを分解して行くことによってそのメカニズムを勉強してみようというイベントです。


未来ロボット技術研究センターが主催し、所長が自ら子どもたちに解説しながら分解の方法を伝授しながら、その過程であらわになってくる数々の部品の機能を説明してくれるのです。「先端技術の隅々まで解剖解説するLIVE型知的アトラクション」と言う触れ込みも、まんざら大げさではありません。(いや、少し大げさかも知れません。)


インターネットで予め申し込んだ人には、ロボットの記念切手1シート(郵便局で使える本物)と豪華なパンフレットが頂けてしまい、しかも無料なのです。これは行かない訳には参りますまい。(ただし今年は全て終了!)


行った時には既に会場は600人以上の参加者で埋め尽くされ、解体されるロボットの登場を生唾を飲み込んで、今か今かと待っている様子です。(生唾はいらない!)


morph3と名づけられた人間型ロボットの説明が一通り行われると、ついに解体LIVEの始まりです。会場の子どもたちが1-2人ずつステージに上がり、精密ドライバーでロボットの腕や脚を順番に取り外していきます。


この所長が、また軽妙なしゃべり口で見事に子どもたちをトリコにしていくのです。ステージに上がった小学校低学年ぐらいの子どもたちは、手先の器用な子から、いつまでも外れないとネジを右に回し続ける子まで、みんな真剣にロボットに向かい合っていました。


1時間半ぐらいのLIVEは、解体の合間にスライドを見せたりロボットの解説をしながら、あっという間に終わってしまいました。その後所長への質問コーナーが設けられ、大勢の方々が行列を作って、所長と話をしたりロボットを触ることができました。また所長と話をした後は、みんな決まってロボットと記念写真を撮っていました。


おもしろいのは、会場に来ていたお客さんが2つの異なるグループに分かれることです。1つ目は小学生ぐらいの子どものいる家族連れ。予想したとおりです。もう一つは、20歳前後の大学生か企業でロボットを研究しているように見える男性です。


子どもがロボットを抱えてうれしそうな顔でポーズを取っているのは微笑ましいですが、大人の男性がロボットを抱いてニッコリ写真に収まっている様は、あまり絵になるとは思えませんでした。


中学、高校生辺りがほとんどいなかったのが気にかかりましたが、この会場でロボットを見た少年たちの中から、将来夢のあるロボットを作ってくれる研究者・技術者が生まれてくるような予感を感じながら、会場を後にしました。