グーテンベルクと言えば、1400年代に印刷機を発明した人として知られています。印刷機はこれまでの人類の発明品の中でも、最も重要なもののひとつとしてあげられています。
印刷機が重要であった理由は、今のインターネットに似ているかもしれません。それまでは手書きの文字で記録されたものがあったとしても、広く世の中に広めるためにはさらに手書きで写していかなければならず、写されたものが正確であるかどうかも定かではありませんし、書き写すには多大な労力と時間がかかっていたのです。
それが印刷機の発明のおかげで、正確なコピーが迅速に大量に作ることが出来るようになったわけですから、文化的な革命であったと言えるでしょう。印刷機が発明された後のベストセラーがキリスト教の聖書であったと言うことから、宗教的にも大きな影響を与えた事は容易に想像することが出来ます。
印刷技術は、最初は鉛の活字の手組による組版から始まりました。版と言うのが同じ品質のプリントを大量に作ることの出来るオリジナルになるわけですが、これを作るためには今の技術でも多くのプロセスを踏まなければなりません。そして最終的に出来た版を使うことが出来る権利が版権であり、版権を持っているものにしか複製を作ることが出来ないのです。
さて、デジタル家電の話しに移る前に、ソニーがベータ方式のビデををUSに売り込んでいった記録を綴った、日経ビジネスに連載されていた「映像メディアの世紀」(佐藤正明著)に触れておかなければならないでしょう。
「タイムシフティングマシーン」、つまり見たい時に番組を見ることが出来ない人に、放送時間をシフトする事が出来る機械と言うふれ込みで、ソニーの故盛田氏はUSで同じ規格を採用してくれる企業を募ったと言います。
しかし、USでの反応は、録画する事によって著作権が侵害される可能性があることに集中したそうです。勿論それまでにもビデオ録画機は放送局などでは普及していましたが、映像を商品として供給する側と消費する側では、同じ機械を使っても意味が異なっていたのです。
ではデジタル家電で一体何が起ころうとしているのか?オリジナルの版と同じものを、誰もが大量に作ることが出来るようになってしまう可能性があるのです。これでは本当のオリジナルを持っている人はたまりません。
このような議論では、しばしば個人が楽しむ分には問題がないのだし、個人は大量にコピーをしたりはしないから大きな問題ではないと言う意見が出てきます。確かに世の中が善人ばかりならそれで良いのですが、悪人も少なからずいる現状では、そうは言ってはおれないのが現実なのでしょう。
もし、トナーだけで画像を再現する今のコピーマシンが進化して、印鑑が押されていれば印肉で、鉛筆で書いた文字なら鉛筆の粉で再現できるコピーマシンが出来たなら、オリジナルの書類とコピーの書類の境界がなくなってしまうかも知れません。その時に「イチロー」の直筆のサインの値段が今と同じであるという保証はありません。
ちんさんのネットラジオ「エアーボンチ」でも著作権やビジネスモデルで大きく揺れ動いていますが、テレビ放送もデジタル配信が進んでくれば、同様の問題が噴出することは目に見えてきます。
デジタル家電の出現と普及によって、多くのメディアで「ビジネスモデルのリストラクチャリング」が始まろうとしています。その時流にのって成長する企業もあるでしょうし、旧来のビジネスモデルから抜けきらずに衰退する企業もあるかもしれません。
グーテンベルクが作り出した版と言う概念が、500年以上たった今、消え去ろうとしているのかも知れません。