386.ナパ・ワイナリー紀行2: ロバート・モンダヴィ (2004/09/29)

まずナパのワインを語る上で忘れてはならないのが、今日ご紹介するロバート・モンダヴィ(Robert Mondavi)でしょう。設立されたのが1966年と比較的新しいにもかかわらず、カリフォルニア・ワインを一級品として世界に知らしめたことにより、「カリフォルニア・ワインの父」と呼ばれています。


ステンレスタンクによる低温発酵と、フランスの伝統的なオークの樽による熟成方法を組み合わせたのを始め、1990年代からはNASAの衛星写真によってぶどうの健康・生育状態をワイン作りに生かしてきました。伝統的な手法と最新の技術の融合によって、肥沃なカリフォルニアの土地に合ったぶどう作りを行い、最高のワインを目指したのです。


サンフランシスコからゴールデンゲートブリッジを渡って80Km程北上すると、ナパ・バレーに到着します。すでにあたりは一面のブドウ畑です。ハイウェイ29をさらに北上するとOakVilleと言う町にロバート・モンダヴィのワイナリーがあります。


優雅なたたずまいの建物には、いつも多くの観光客が訪れています。ナパでナンバーワンと称されるワイナリーツアーは人気があります。ワイナリーの歴史からワイン作りの全工程、最後にテイスティングとワインのお土産付きと来れば、一度試しておく価値はあるでしょう。


工場見学はさておき、とにかく試飲がしたい場合は、テイスティングルームに直行するのもよろしいかと思います。(かく言う私も直行しました。) テイスティングには3つの部屋が用意されていて、それぞれ試すことができるワインのグレードが異なります。


1つ目の部屋はワイナリーの入り口に一番近く、テイスティングは1人7.5ドルワインショップも兼ねてカジュアルな雰囲気です。ただ、テイスティングできるのは普及価格帯のワインに限られます。2つ目の部屋はもう少し落ち着いた雰囲気で1人15ドルお客さんも落ち着いてワインを味わっておられる様子です。


しかしせっかくここまで来れば、あまり日本ではお目にかかれないワインを試してみたいものです。そこで3つ目の部屋でテイスティングと参りましょう。この部屋は、どこかのお屋敷のパーティーに招かれたような雰囲気があり、お客さんも腰を落ち着けて談笑しています。


古くて大きな皮製のテーブルと椅子があり、暖炉の灯が暖かい雰囲気をかもし出しています。


テイスティングできるワインは、ロバート・モンダヴィ・ワイナリーの中でも選りすぐったものばかりです。ワインショップで1本150ドルはするワインを4種類テイスティングできて1人30ドル。ほとんどがCabernet Sauvignon(カベルネ)ですが、Chardonnay(シャルドネ)も選ぶことができます。


まずは1999年物2000年物のそれぞれ2種類のぶどう畑から作られたCabernet Sauvignonをテイスティングしてみました。


はっきり言ってショックを受けました。これまでにこれほどタンニンの渋みが際立ったワインに出会ったことがありませんでした。いかにもこれから年数を重ねるごとに深みを増していくことを予感させます。カリフォルニアワインの真髄を見たような気がしました。


その後、Chardonnayも追加でテイスティングしてみましたが、Cabernet
Sauvignon程の特徴は感じられなかったのが少し残念でした。


ロバート・モンダヴィによるワインの中で、日本で手に入れやすいものとしては、Woodbridgeと言うブランドがあります。本来ロバートの親たちが1800年代にイタリアから入植した町の名前なのですが、ロバート・モンダヴィのサブブランドとして、求めやすい価格で品質の良いワインを提供しています。


カリフォルニアワインを世界に知らしめたロバート・モンダヴィは、ナパ・バレーのワイナリーの中でも、その代表格と言えるでしょう。

385.ナパ・ワイナリー紀行1: 前書き (2004/09/28)

私が初めてワイナリーに行ったのは、ニューヨーク州フィンガーレークエリアでした。Seneca Lake周辺に数多くのワイナリーが集中しており、秋のぶどうの収穫のシーズンには多くの観光客が訪れていました。


各ワイナリーで使われているワイングラスには、"UNCORK Newyork !"と言うキャッチフレーズがワイナリーのロゴと共に、サンドブラストで描かれています。記念に持ち帰ったものが今でもいくつか残っており、良い思い出になっています。


しかしUSのワイン雑誌を見ていると、ニューヨークワインはあくまでテーブルワインであり、本格的なワインとしてはカリフォルニア産が良いと書かれています。そこで今度はサンノゼに行ったついでにホテルにあったパンフレットを見て、「ミラソー」と言うワイナリーに行ってみました。


「ミラソー」(”Mirassou")は家族経営のワイナリーを150年間続けてきたUSで最古参のワイナリーの一つです。日本では「ミラス」と表示されていることが多いのですが、現地での発音は「みらっそーぅ」と聞こえます。


以前はUSで一番古いワイナリーだと称していました。しかし、USには禁酒時代があったために、一番古いワイナリーがひとつではなかったのです。創業年が古いワイナリーと、禁酒時代にも舟で沖に出て醸造し、継続営業年数が長いワイナリーがあったためです。そのせいか、最近は一番古いワイナリーだと言うことにあまりこだわっていないようです。


「ミラソー」があるのは、同じカリフォルニアでもサンフランシスコの南側になり、モントレー(Monterey Country)になります。ワイナリーツアーに参加すると、フランス語訛りの強い気さくなおねえさん(本当はおばさんですが)が案内してくれました。ツアーといっても、その時の客は私を含めて3人だけ。


ツアーの途中で、その年に農学部を卒業したばかりと言うかわいらしい女の子が、長靴を履いてバケツを持ってうろうろ歩いているのに出くわしました。どうもバクテリアを使って赤ワインの熟成期間を短縮する実験をしていると言います。熟成が終わればフィルターでバクテリアは取り除くそうですが、実験はうまくいったのでしょうか?


ただ赤ワインはビンテージを特に気にしますから、いくら熟成が早くなっておいしいワインが出来たとしても、年数が経たない限り市場価値は高くならない可能性があります。


やはり一度行った事のあるワイナリーのワインは贔屓にしてしまい、日本でも「ミラソー」を見かけたときは必ず買ってしまいます。皆さんもMirassouをお店で見かけられましたら是非どうぞ。(宣伝してどうする!)


さて、カリフォルニアワインといえば、ナパソノマが有名ですが、昨年秋にナパのワイナリー巡りをした時の様子を、次回から数回に渡ってお伝えしたいと思います。

370.近くて遠いミラクルな国6: アンニョンハシムニカ (2004/08/07)

韓国に旅行する機会があったならば、古都の史跡を探訪するのも良いですし、韓国料理に舌鼓を打つのも良いでしょう。しかし、特別なことをしなくても新しい発見があるかも知れません。


大都市でバスに乗った時、運悪く席が空いていなければ、手すりにつかまって立っていましょう。きっとイスに座った人があなたのショルダーバッグを引っ張るに違いありません。


何も捕ろうとしているのではありません。イスに座っている人はみんな、立っている人の荷物を持ってあげる習慣があるのです。運良くイスに座ったら、近くに立っている人の鞄を引っ張ってみましょう。きっとその人は、当たり前のようにあなたの膝に自分の鞄を乗せてくるでしょう。


特に礼を言う人はいません。この当たり前のようにやってのけるところが、すごいところだと思います。日本のように、優先座席をわざわざ作って、車内放送でさんざん呼びかけても、いっこうに実行されない思いやりとは違います。


ソウルで、南山を貫くトンネルにバスが入る直前には、一斉に乗客が自分の近くの窓を閉めます。天井の換気口もしかり。号令が掛かったかのようにきびきびと行動するのには驚きました。


トンネルを出たときに一斉に開けるのも見事でした。窓の近くにいる人が当然のように、乗客全員のために行動するのです。しかし今はエアコン付きのバスになっていて、窓の開閉の必要がないかも知れません。


概して人たちのマナーは良いようです。儒教の影響が強く残っていると言われていますが、今の日本人が学ぶべき点は多いと思います。


「近くて遠い国」と言うことでお隣の韓国を紹介してきましたが、近くにありながらよく分かっていない国であると言えるでしょう。近すぎてあまり外国と言う感覚がなかったり、似ているところが多いため、理解しているような気になってしまうからかも知れません。


釜山を除くとソウルや大邸、全州などの大都市や、慶州や扶余の古都のほとんどが内陸部にあります。外部からの攻撃を受けにくい、自然の要塞のような地形に街が作られていることからも解るように、近隣諸国からの侵略が繰り返されてきた歴史があります。


また、釜山には国連墓地があり、朝鮮戦争時に亡くなられた様々な国の兵士たちの墓標が並んでいます。


その歴史があるが故に、私たちには近寄りがたいものがあるのかも知れません。しかし、確かな過去の歴史を忘れることなく、その教訓をこれからの両国の繁栄のために生かすべきなのでしょう。


ヨーロッパの国々の間にも過去には多くの侵略戦争がありましたが、今では経済や防衛に関して同盟を結び、グローバル化する世界の中で団結してその存在を主張しています。


アジアの国々も、米国やヨーロッパ各国に対して互角に渡り合うには、これまで以上に関係を強化していかなければならないと思われます。


1988年のソウルオリンピック2002年のワールドカップに多くの人が訪れたり、最近の韓国ドラマのブームによって、以前に比べると両国の距離感が縮まってきているように思いますが、まだまだお互いに理解していないことが多いのではないでしょうか?

「近くて遠い国、韓国」


今までに知らなかったお隣さんの素顔は、想像していたものとはかなり違っているのかも知れません。

369.近くて遠いミラクルな国5: 名物はパン? (2004/08/03)

さて、外国に行ってその国の名物料理もおいしいのですが、手軽に食べることの出来る庶民の味ファーストフードにも新しい発見があったりします。日本で言えば、天ぷらやすき焼き、お寿司だけではなく、うどんやそばを試してみると言った感じでしょうか。


キムパは大都市の市場などの屋台で売られていますから、気軽に食べることが出来ます。一見日本の巻きずしに似ていますから、同じ味を期待してしまうのですが、基本的に寿司ではありません。ただ、酢飯でないことを除けば、ほぼ同じと考えて良いでしょう。


暑い夏、しかも辛い食べ物で参っているときは、冷たくて辛くないムルネンミュンがお勧めです。酸味が効いたさっぱりスープの中にスイカが一切れ入っていたりします。日本では冷麺や冷やし中華に当たるでしょう。


御座候(ござそうろう)という回転焼きをご存知でしょうか?播州(姫路地方)の名物として、よくデパートの地下などで売られていますが、大邱のデパートで発見したときは驚きました。


日本と同じようにデパートの地下食料品売場に、「播州名物 御座候」と漢字で書かれており、赤あんと白あんがありました。ひとつ買って帰り食べてみると、少しだけ塩気が多い感じがしましたが、ほぼ同じ味でした。


洋食、例えばハンバーグなどを、少し気取った感じのレストランで注文をすると、昔懐かしい感じの味に出会えます。つまり見た目だけの洋食だと言うことなのですが、最近では変わってきているかも知れません。


ところで、韓国で一番驚いたのがパンです。とてもおいしいのです。きれいな店構えの焼きたてのパンを売るお店のデニッシュでも、あるいは田舎の駄菓子屋のようなひなびたパン屋の菓子パンでも、スーパーで売られている食パンでも、どのパンも柔らかくておいしいのです。


ふんわりにしていて香りが良く、味も結構です。これは何か製法の秘密があるに違いありません。フランスやドイツのパンがおいしいのは、伝統的な製法を守っている等何となく分かるのですが、韓国のパンがおいしい理由は何なのでしょうか?


韓国に行けば、焼き肉やカルビが定番です。確かにおいしいのですが、大都市では観光客向けに特別にアレンジされているような感じがしないでもありません。


生活の中で磨かれてきた庶民の味の中にこそ、本当においしいものが発見できるのかも知れません。(その方が安く上がるので貧乏旅行にはありがたい!)

368.近くて遠いミラクルな国4: 食は全州にあり (2004/07/31)

最近では日本でも韓国料理専門店が増えてきましたが、韓国に来ればやはり本場の味を試さないで帰るわけには参りません。


韓国料理と言えば唐辛子をふんだんに使った料理がまず頭に浮かびますが、扶余で選んだ晩ご飯の辛さは、危険度レベル5。食べ終わるまでに何度お茶のおかわりをしたことか。(おかわりの単位は、コップではなくてやかんです。) 中国やフランスでは、料理を食べることが出来るかどうかは食材で決まりますが、韓国では辛さの度合いが重要な意味を持ちます。


名物料理として一度は試したいのが参鶏湯(サムゲッタン)です。若鶏のおなかの中に、餅米や小豆や高麗人参などの薬草を入れて、スープで煮込んだ韓国の代表料理ですが、なるほど身も柔らかく、中の詰め物もおいしく頂ける、名物料理として誰にでもお勧めできる料理だと思います。


しかし、韓国料理で一番ポピュラーなものは、やはりビビンパでしょう。韓国の穀倉地帯の中心都市である全州は、ビビンパの発祥の地として有名です。さっそく本場全州の中央会館でビビンパを注文してみましょう。


韓国料理ではまずキムチが食卓に運ばれてきますが、その数の多さに驚きます。それらはたいがい辛いか酸っぱいかのどちらかであり、よほどこの味に慣れていないとそう多くを食べることは出来ません。


一通りキムチをつついたところで本命のビビンパがジュージューと音を立てて登場します。この音がしている間はかき混ぜるのが優先です。ビビンビビンとかき混ぜます。このかき混ぜることは韓国の文化のようで、しっかりとかき混ぜないとビビンパがおいしくならないとされています。


全州中央会館は、今では本場全州からソウルに移転し、明洞をはじめソウル市内に数店舗展開しているようですが、当時はまだ全州にしかなく、ソウルからツアーを組んで食べに来ていたそうです。一度中央会館のビビンパを食べたら、他のビビンパは何となく偽物に思えてしまいます。


お箸は朝鮮半島から日本に伝来しましたが、おさじをお箸と同じように日常の食生活に使う習慣はやって来ませんでした。


ビビンパをかき混ぜながら、なぜ日本にお箸と一緒におさじが食生活の習慣として伝来しなかったかを考えるのも、意味があることかも知れません。