370.近くて遠いミラクルな国6: アンニョンハシムニカ (2004/08/07)

韓国に旅行する機会があったならば、古都の史跡を探訪するのも良いですし、韓国料理に舌鼓を打つのも良いでしょう。しかし、特別なことをしなくても新しい発見があるかも知れません。


大都市でバスに乗った時、運悪く席が空いていなければ、手すりにつかまって立っていましょう。きっとイスに座った人があなたのショルダーバッグを引っ張るに違いありません。


何も捕ろうとしているのではありません。イスに座っている人はみんな、立っている人の荷物を持ってあげる習慣があるのです。運良くイスに座ったら、近くに立っている人の鞄を引っ張ってみましょう。きっとその人は、当たり前のようにあなたの膝に自分の鞄を乗せてくるでしょう。


特に礼を言う人はいません。この当たり前のようにやってのけるところが、すごいところだと思います。日本のように、優先座席をわざわざ作って、車内放送でさんざん呼びかけても、いっこうに実行されない思いやりとは違います。


ソウルで、南山を貫くトンネルにバスが入る直前には、一斉に乗客が自分の近くの窓を閉めます。天井の換気口もしかり。号令が掛かったかのようにきびきびと行動するのには驚きました。


トンネルを出たときに一斉に開けるのも見事でした。窓の近くにいる人が当然のように、乗客全員のために行動するのです。しかし今はエアコン付きのバスになっていて、窓の開閉の必要がないかも知れません。


概して人たちのマナーは良いようです。儒教の影響が強く残っていると言われていますが、今の日本人が学ぶべき点は多いと思います。


「近くて遠い国」と言うことでお隣の韓国を紹介してきましたが、近くにありながらよく分かっていない国であると言えるでしょう。近すぎてあまり外国と言う感覚がなかったり、似ているところが多いため、理解しているような気になってしまうからかも知れません。


釜山を除くとソウルや大邸、全州などの大都市や、慶州や扶余の古都のほとんどが内陸部にあります。外部からの攻撃を受けにくい、自然の要塞のような地形に街が作られていることからも解るように、近隣諸国からの侵略が繰り返されてきた歴史があります。


また、釜山には国連墓地があり、朝鮮戦争時に亡くなられた様々な国の兵士たちの墓標が並んでいます。


その歴史があるが故に、私たちには近寄りがたいものがあるのかも知れません。しかし、確かな過去の歴史を忘れることなく、その教訓をこれからの両国の繁栄のために生かすべきなのでしょう。


ヨーロッパの国々の間にも過去には多くの侵略戦争がありましたが、今では経済や防衛に関して同盟を結び、グローバル化する世界の中で団結してその存在を主張しています。


アジアの国々も、米国やヨーロッパ各国に対して互角に渡り合うには、これまで以上に関係を強化していかなければならないと思われます。


1988年のソウルオリンピック2002年のワールドカップに多くの人が訪れたり、最近の韓国ドラマのブームによって、以前に比べると両国の距離感が縮まってきているように思いますが、まだまだお互いに理解していないことが多いのではないでしょうか?

「近くて遠い国、韓国」


今までに知らなかったお隣さんの素顔は、想像していたものとはかなり違っているのかも知れません。

369.近くて遠いミラクルな国5: 名物はパン? (2004/08/03)

さて、外国に行ってその国の名物料理もおいしいのですが、手軽に食べることの出来る庶民の味ファーストフードにも新しい発見があったりします。日本で言えば、天ぷらやすき焼き、お寿司だけではなく、うどんやそばを試してみると言った感じでしょうか。


キムパは大都市の市場などの屋台で売られていますから、気軽に食べることが出来ます。一見日本の巻きずしに似ていますから、同じ味を期待してしまうのですが、基本的に寿司ではありません。ただ、酢飯でないことを除けば、ほぼ同じと考えて良いでしょう。


暑い夏、しかも辛い食べ物で参っているときは、冷たくて辛くないムルネンミュンがお勧めです。酸味が効いたさっぱりスープの中にスイカが一切れ入っていたりします。日本では冷麺や冷やし中華に当たるでしょう。


御座候(ござそうろう)という回転焼きをご存知でしょうか?播州(姫路地方)の名物として、よくデパートの地下などで売られていますが、大邱のデパートで発見したときは驚きました。


日本と同じようにデパートの地下食料品売場に、「播州名物 御座候」と漢字で書かれており、赤あんと白あんがありました。ひとつ買って帰り食べてみると、少しだけ塩気が多い感じがしましたが、ほぼ同じ味でした。


洋食、例えばハンバーグなどを、少し気取った感じのレストランで注文をすると、昔懐かしい感じの味に出会えます。つまり見た目だけの洋食だと言うことなのですが、最近では変わってきているかも知れません。


ところで、韓国で一番驚いたのがパンです。とてもおいしいのです。きれいな店構えの焼きたてのパンを売るお店のデニッシュでも、あるいは田舎の駄菓子屋のようなひなびたパン屋の菓子パンでも、スーパーで売られている食パンでも、どのパンも柔らかくておいしいのです。


ふんわりにしていて香りが良く、味も結構です。これは何か製法の秘密があるに違いありません。フランスやドイツのパンがおいしいのは、伝統的な製法を守っている等何となく分かるのですが、韓国のパンがおいしい理由は何なのでしょうか?


韓国に行けば、焼き肉やカルビが定番です。確かにおいしいのですが、大都市では観光客向けに特別にアレンジされているような感じがしないでもありません。


生活の中で磨かれてきた庶民の味の中にこそ、本当においしいものが発見できるのかも知れません。(その方が安く上がるので貧乏旅行にはありがたい!)

368.近くて遠いミラクルな国4: 食は全州にあり (2004/07/31)

最近では日本でも韓国料理専門店が増えてきましたが、韓国に来ればやはり本場の味を試さないで帰るわけには参りません。


韓国料理と言えば唐辛子をふんだんに使った料理がまず頭に浮かびますが、扶余で選んだ晩ご飯の辛さは、危険度レベル5。食べ終わるまでに何度お茶のおかわりをしたことか。(おかわりの単位は、コップではなくてやかんです。) 中国やフランスでは、料理を食べることが出来るかどうかは食材で決まりますが、韓国では辛さの度合いが重要な意味を持ちます。


名物料理として一度は試したいのが参鶏湯(サムゲッタン)です。若鶏のおなかの中に、餅米や小豆や高麗人参などの薬草を入れて、スープで煮込んだ韓国の代表料理ですが、なるほど身も柔らかく、中の詰め物もおいしく頂ける、名物料理として誰にでもお勧めできる料理だと思います。


しかし、韓国料理で一番ポピュラーなものは、やはりビビンパでしょう。韓国の穀倉地帯の中心都市である全州は、ビビンパの発祥の地として有名です。さっそく本場全州の中央会館でビビンパを注文してみましょう。


韓国料理ではまずキムチが食卓に運ばれてきますが、その数の多さに驚きます。それらはたいがい辛いか酸っぱいかのどちらかであり、よほどこの味に慣れていないとそう多くを食べることは出来ません。


一通りキムチをつついたところで本命のビビンパがジュージューと音を立てて登場します。この音がしている間はかき混ぜるのが優先です。ビビンビビンとかき混ぜます。このかき混ぜることは韓国の文化のようで、しっかりとかき混ぜないとビビンパがおいしくならないとされています。


全州中央会館は、今では本場全州からソウルに移転し、明洞をはじめソウル市内に数店舗展開しているようですが、当時はまだ全州にしかなく、ソウルからツアーを組んで食べに来ていたそうです。一度中央会館のビビンパを食べたら、他のビビンパは何となく偽物に思えてしまいます。


お箸は朝鮮半島から日本に伝来しましたが、おさじをお箸と同じように日常の食生活に使う習慣はやって来ませんでした。


ビビンパをかき混ぜながら、なぜ日本にお箸と一緒におさじが食生活の習慣として伝来しなかったかを考えるのも、意味があることかも知れません。

367.近くて遠いミラクルな国3: 落花岩 (2004/07/30)

新羅と唐の連合軍によって滅ぼされた百済は、日本との間に深いつながりがあったため、多くの技能者や文化人が日本にやって来たとされています。飛鳥の人口の7割が、百済から渡来した人々であったとさえ言われています。


「くだらない」とは、「百済ではない人」から由来したという説がありますが、それ程に進歩的な文化や技術を持っていたのでしょう。


その百済最後の都があったのが扶余です。ソウルから高速バスで3時間あまり。日本の奈良と似ていると言われていますが、やはり明日香により近いように思えます。到着してみるとかなりひなびた様子で、荒廃した人参工場があったりして、いかにも滅亡した都と言った感じがします。


街を地図を見ながら歩いても、端から端まで20-30分で歩けてしまいます。史跡としては定林寺跡がありますが、百済塔とやたらと大きい石仏しか残っておらず、哀れさが伝わってきます。


扶余にも慶州と同じく立派な国立博物館がありますが、多くの宝物が略奪されたと見えて、それ程多くの展示物があるわけではありません。百済の最盛期を彷彿させるものを見つけることは出来ませんでした。


扶蘇山は徒歩30分ほどで登れる山で、この山の頂上付近にあるのが落花岩です。新羅・唐の連合軍によって攻めたてられ、最後に3000人もの宮女が、下を流れる白馬江に身を投げ、その様子が遠くから花が散るように見えた為に、落花岩と名付けられたそうです。


後に日本が百済に援軍を送り大敗した「白村江の戦い」の白村江は、白馬江の下流に当たります。


落花岩には百花亭と呼ばれる東屋が建てられています。さらに身を投げた宮女を偲んで、扶蘇山の山麓に皐蘭寺が建立されています。


お寺の裏には、百済の時代から沸き続けていると言われる薬水があります。飲んでみたいと思ったのですが、慶州の甘露水の一件がありましたので止めておきました。


青く透き通った薬水をぼんやり眺めながら、今は静かに時が流れる扶余の気だるい夏の昼下がり、遠い昔の古都に思いを馳せることにしました。

366.近くて遠いミラクルな国2: 甘露水 (2004/07/28)

歴史の好きな人なら、朝鮮半島を語る上で三国時代を外すことは出来ないでしょう。その三国であった、高句麗・百済・新羅のうちの新羅の都が置かれていたのが慶州です。


釜山から高速バスで1時間ほどの所にあります。代表的な古都であることから、京都に例えられますが、30万人程の人口からすると高山により雰囲気が近いかも知れません。古都らしく品のある優雅なたたずまいを見せています。


街中が遺跡と言っても過言ではありません。特に街の中にある古墳公園は見事なものです。仏国寺石窟庵、さらに郊外に広がる5つの地域がユネスコの世界遺産に指定されています。


仏国寺は、全盛期の10分の1の規模しかないと言われていますが、それでも威厳を保っています。市の中心部から30分ぐらい、のどかな風景の中をバスに振られていると、仏国寺観光のための旅館などが集まった街に到着します。


仏教が弾圧されていた時代が長かった為、多くの寺院が焼き払われている中、往年の姿を忍ばせる見事な建築です。特に、仏教の思想が建築や塔の形に具現化されているところに、この寺院の非凡さを見る事ができます。


仏国寺からさらにマイクロバスで20分ほど上ったところに、もう一つの世界遺産である石窟庵があります。長い間人々の記憶から忘れ去られていたのですが、郵便配達人が雨宿りをしようとしたときに発見したそうです。


洞窟のようになった空間を山中に人工的に作りだし、その中に仏像を設置することによって、仏教が示唆する宇宙を表現しているようです。その整ったお顔の釈迦如来坐像は正に、仏教芸術と呼ぶに相応しい雰囲気を醸し出しています。


この石窟庵の参道の途中に、甘露水を言う名のついた湧き水が、大きな鉢に満ちています。そのあまりにも透き通った滴と甘露水という名前に惹かれて飲んでみました。確かに自然にわき出た水のおいしさを感じます。


ただ、暑い夏のことでしたので少し飲み過ぎたようです。既に夏ばて気味だったことも手伝って、マイクロバスの乗り場に帰ってきたときには、雷でもないのに「ピーヒャラドンドン」になってしまい、あわててトイレに駆け込んだのです。


こんな人里離れた山奥の公衆トイレは、どこの国に行っても期待出来ませんから、あまりお世話になりたくなかったのですが、出物腫れ物所構わずでは仕方がありません。バス停近くにあったトイレに行ってみて驚きました。なんと清潔できれいなのです。


決して新しく作られたからきれいなのではなく、しっかりとメインテナンスされている感じだったのです。こんな山の中で水洗の設備を持っているのも驚きで、この遺産を大切にしていこうという意思の表れでもあるのでしょう。


そう言えば、釜山で泊まった宿で、階段の掃除をしているところを見て驚きました。石で作られた階段を、ほうきで掃くでもなく、掃除機で吸うのでもなく、はたまた雑巾掛けをするのでもなく、なんと石鹸を泡立ててゴシゴシ洗っていたのです。


長い歴史がありながら、多くの遺産が破壊され続けてきた経験があるからこそ、現存するものを大切にしようとしているのでしょう。


しかし、日本も少し前までは、ものを大切にしていたように思うのですが。