367.近くて遠いミラクルな国3: 落花岩 (2004/07/30)

新羅と唐の連合軍によって滅ぼされた百済は、日本との間に深いつながりがあったため、多くの技能者や文化人が日本にやって来たとされています。飛鳥の人口の7割が、百済から渡来した人々であったとさえ言われています。


「くだらない」とは、「百済ではない人」から由来したという説がありますが、それ程に進歩的な文化や技術を持っていたのでしょう。


その百済最後の都があったのが扶余です。ソウルから高速バスで3時間あまり。日本の奈良と似ていると言われていますが、やはり明日香により近いように思えます。到着してみるとかなりひなびた様子で、荒廃した人参工場があったりして、いかにも滅亡した都と言った感じがします。


街を地図を見ながら歩いても、端から端まで20-30分で歩けてしまいます。史跡としては定林寺跡がありますが、百済塔とやたらと大きい石仏しか残っておらず、哀れさが伝わってきます。


扶余にも慶州と同じく立派な国立博物館がありますが、多くの宝物が略奪されたと見えて、それ程多くの展示物があるわけではありません。百済の最盛期を彷彿させるものを見つけることは出来ませんでした。


扶蘇山は徒歩30分ほどで登れる山で、この山の頂上付近にあるのが落花岩です。新羅・唐の連合軍によって攻めたてられ、最後に3000人もの宮女が、下を流れる白馬江に身を投げ、その様子が遠くから花が散るように見えた為に、落花岩と名付けられたそうです。


後に日本が百済に援軍を送り大敗した「白村江の戦い」の白村江は、白馬江の下流に当たります。


落花岩には百花亭と呼ばれる東屋が建てられています。さらに身を投げた宮女を偲んで、扶蘇山の山麓に皐蘭寺が建立されています。


お寺の裏には、百済の時代から沸き続けていると言われる薬水があります。飲んでみたいと思ったのですが、慶州の甘露水の一件がありましたので止めておきました。


青く透き通った薬水をぼんやり眺めながら、今は静かに時が流れる扶余の気だるい夏の昼下がり、遠い昔の古都に思いを馳せることにしました。