605.番号ポータビリティー制度 (2006/10/20)

番号ポータビリティー制度(電話番号継続制度)が、10月24日から始まります。日経ビジネス10月16日号に、どのぐらいこの制度を利用しようとしている人がいるかを調べたアンケート結果が、掲載されています。


ぜひ利用したいという人が2%、今後検討するという人を会わせても20%程度だったようです。携帯電話会社のシェアが大きく変わると予想されたことから、各社は既存の顧客の確保と新規顧客の取り込みに躍起になっていましたが、すぐに勢力図が一気に変わってしまうことはなさそうな気配です。


電話会社を変えたいと思っている人の内訳は、ソフトバンクモバイル(旧ボーだフォン)を使用中の人が約3割NTTドコモ約2割au約1割だったそうです。また、新しく契約したいと思っている会社は、auが圧倒的に多かったそうです。どちらからも、今はauが人気を集めていると言うことが出来るでしょう。


約8割の人が、番号ポータビリティー制度の利用を考えていないと言うことですが、その一番大きな理由は、「メールアドレスを変更する事が煩わしい」と言うことのようです。電話番号が変わらなくても、メールアドレスを変更しなければならないので結局通知して回らなければならず、電話番号が変わるのと手間はほとんど変わらないと言うことのようです。


携帯電話が普及し始めた頃はおまけにしか過ぎなかった携帯メールも、今や欠かせないものになっていますから、そのアドレスを変えることは、電話番号を変えるのと同じぐらいの労力を伴います。


一部の携帯電話会社では、POP3メールなどに対応した機種もありますし、携帯電話会社が提供するメールサーバーで、".com"や".jp"などの独自ドメインが使えるものも出始めています。今後、携帯電話会社のサブ・ドメインを使ったお仕着せのメールアドレスではなく、独自ドメインを使ったオリジナルアドレスを取得して、それを継続的に使う人が増えてくるのではないでしょうか?


また、メールサーバーを携帯電話やプロバイダーと切り離して、独立したサービスとして提供するメールサーバー・プロバイダーが主流になってくるかも知れません。そうなった時に初めて、電話番号やメールアドレスに束縛されずに、携帯電話を選択することが出来るようになるのでしょう。


番号とメールアドレスの両方がポータビリティーを備えたとき、料金制度や接続の安定性など、携帯電話の基本的な性能が真に問われることになりそうです。

604.501から603の雑記を振り返る (2006/10/13)

インド特集をやっている間に600番目の雑記を通り過ぎておりました。これまで100回更新ごとに振り返ることにしておりましたが、今回は104回目の更新で集計してみたいと思います。


まず、各ジャンルの雑記の数を調べてみました。



Palm
15
インターネット
13
サイエンス

サイト・メインテナンス

テクノロジー

教育

海外
23
社会
15
雑談
27

相変わらず雑談が多く、「27」とトップを占めました。また、今回は海外ネタが「23」と2位になりましたが、インドネタでかなり数を稼いだようです。


Palmネタが「15」とはなかなか健闘しているのですが、パームの世界に新しい話題がほとんどないため、かなり無理をして話題を作っている感じがいたします。


海外が増えた影響か、サイエンスや教育関連の話題が少なかったようです。これからは、もう少し均等に話題を提供して行きたいと思います。


最近の100回更新に掛かった日数は、1年4ヶ月ほどでした。サイトを始めた頃は1年で300回更新していましたから、ずいぶんとスローペースです。もう少し更新頻度を上げて行かなければならないなと思っております。


サイト開設当初、700回ぐらいは更新できるのではないかという目標みたいなものがあったのですが、600回を過ぎてみると欲が出てきて、もう少し継続してみようかなと思っております。


それでは、次は700回更新を目指して参ります。お気が向いたときにはお立ち寄りください。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

603.インド総まとめ (2006/10/11)

今回、インドのチームと一緒に仕事をする機会があり、5月頃からかなり密なコミュニケーションを続けてきたのですが、残念ながらプロジェクトそのものが中止になってしまいました。


毎日のようにメールや電話でコミュニケーションを取ってきましたから、さすがにプロジェクトを中断しなければならないのは残念です。今回インドの人たちと始めて一緒に仕事をさせてもらったのですが、彼らのグローバルな思考積極性には、見習わなければならないところが多かったと思います。


このサイトでは、何回かに渡りインドに関する話題を取り上げてきましたが、ここにインドの人たちと関わって際に感じてきたことを、まとめてみようと思います。


1.インド人の国民性


正しく国民性を語ることが出来るほどのおつき合いはありませんでしたから、あくまで第一印象に過ぎませんが、やはり若い国であるという印象が強かったです。


年齢的に若いと言うだけでなく、経済的にも若いと言いますか活気があるように思います。人も街も動き回っていないではおれないと言うところでしょうか。


それから、よくタイマレーシアの人は誠実で親切だと言われますが、インドの人もそれに近いように思います。確かにオートリキシャでぼられることもあるでしょうし、全体として治安が決して良いとは言えません。ただ、裏心懐疑心のようなものはあまり持っていないように思いました。


ただ、インドでも北の方に行けばまた変わってくるでしょうし、バンガロールはインドの中では特殊な街と言えるでしょうから、私の印象はかなり偏っているかも知れません。


ただ、総じて言えばインドの人たちと仕事を一緒にするのは、楽しかったです。また機会があれば、一緒に仕事をしたいと考えています。


2.インドの産業


バンガロールは、IT産業が中心となって大きく発展しています。マイクロソフトをはじめとするUSの大手IT企業が進出しています。ただ、そのほとんどがソフトウェアの開発に集中しているところが気にかかります。


確かにソフトウェアがインドの得意分野であるのでしょう。特にバンガロールは、数学や科学を学んだ学生を多く輩出する大学やカレッジがたくさんありますから、そこにIT産業が集まってくることは当然なのかも知れません。


ソフトウェア産業と言えば、オフィスのスペースと人とパソコンがあれば、すぐにでも始めることが出来ます。工場を建設する製造業に較べ短期的な投資額は低いでしょうし、それだけリスクも少ないでしょう。しかし、これは長期的にインドに投資を続けることが困難であると言うことの、裏返しなのかも知れません。停電がいまだに多く発生し、政治的にも地理的にも決して安定しているとは言えません。


中国のように製造業が発達すると、同時に素材産業やや機械工業、それに輸送業も発達し、産業のすそ野が広がっていくのですが、ソフトウェア産業の場合は、どうしても他の産業への波及効果が弱くなります。


製造業がすべてではありませんが、BRICsと呼ばれるインドが今後大きく発展するためには、ソフトウェア産業だけに偏らない産業の育成が欠かせないでしょう。


3.インド人とのプロジェクトの進め方


今回一緒に仕事をしてみて、やはり一番困るのは言葉の問題です。


日本人に言われる筋合いではないと叱られそうですが、インドは地方によって英語教育の方法が大きく異なっており、英語のなまりの強弱にかなりの差があると言うことです。小学校から学校の授業を英語だけで受けている地域もあれば、地方の言葉でずっと授業を受けてきた地域もあるそうです。その地方語の種類がたくさんあることで、英語のなまりにもバリエーションがたくさんあるようです。


ドイツ語なまりの英語だとか、フランス語なまりの英語なら一定の傾向があるのですが、ヒンディー語なまりの英語だけでないところが、英語でのコミュニケーションを困難にしています。またやたら早口の人が多いですから、インドの人と話す時はかなり集中して聞かなければなりません。


数ヶ月前の日経ビジネスの記事に、インドはコミュニケーションが中国に較べて問題になることが多いと書かれていました。インドには英語を母語とする人が多いのは確かですが、それによってインドが欧米と結びつきやすいことはあっても、日本とのコミュニケーションには有利になるわけではありません。


また、同じアジアだと言っても3時間半の時差は、コミュニケーションの障害になります。ですから、毎日のように電話やメールで情報のやり取りをする仕事の進め方には、向いていないと思います。もしそれが開発の仕事なら、予め完璧な仕様書を英語で準備し、あとはそれに従ってスケジュール管理だけを行う事に集中することが必要です。


仕様がはっきり決まっていない場合や、頻繁に仕様が変更される場合などは、インドとの協業は困難さを増すでしょう。今回の失敗したケースが正にこれに当たります。仕様がいつまでも大きくぶれ続けていましたから、それだけコミュニケーションに負担が掛かり、本来の開発作業に支障を来していたのです。


4.これからのインド


今、日本のサッカー代表チームが、インドとの試合の為にバンガロールに遠征に行っています。練習風景がテレビのニュースで中継されていましたが、競技場の周りの風景は、いかにもバンガロールらしい感じがしています。


決して立派な競技場には見えません。外国のテレビに映るところだけを繕ったりしないところが、インドらしいと思います。


日本では年配になってくると、塩分の取り過ぎから高血圧などを気にかける事が多いのですが、インドでは辛い香辛料の取り過ぎを心配するそうです。


先ほどインドは若い国だと書きましたが、確かに日本人に較べ平均寿命が20年も短いそうです。おそらくそれは香辛料の問題ばかりでなく、感染症の宝庫と言われるほど様々な病気が流行する事も原因と考えられますが、根本的な原因は、やはり平均国民所得が低いことなのでしょう。


ソフトウェア産業をきっかけとしてBRICsの中からインドが抜け出すことが出来るかどうか、これからもこの国を注目していきたいと思います。

602.インド出張6: クアラルンプールでトランジット (2006/09/30)

さて、夜の9時にホテルに帰ってきて、0時半のフライトのために帰国の準備をします。1時間ぐらいでホテルをチェックアウトしなければなりません。


自腹で払うのなら、夜中に出発する場合は朝からホテルはチェックアウトするのですが、帰りに1日マレーシアに寄らなければならないので、インドからのフライトに乗る直前にシャワーを浴びて行こうと、夜中のチェックアウトを選びました。


タクシーで空港に到着すると、空港は何をするのにも混雑していて、チェックインカウンターで搭乗券を手に入れるのに一苦労、イミグレーションで出国スタンプをもらうのにも一苦労。セキュリティーでまたまた一苦労。


やっと搭乗ゲート前の待合室に着いたのですが、そこもかなりの混雑です。申し訳程度の免税品店があるにはあるのですが、昔ながらのウイスキーやタバコなどの免税品が少しばかり並んでいるだけで、買っている人はいませんでした。


さすがにIT企業が多く進出していると見えて、エールフランスパリ行きや、ルフトハンザフランクフルト行きなどが次々と飛び去っていきます。ところがシンガポール航空マレーシア航空の便はどちらも1時間程度の遅れがあると言うアナウンス。


しばし、混雑した待合室で我慢するしかありません。と、その時、呼び出しのアナウンスが流れ始めました。マレーシア航空で最終目的地が大阪関西空港の搭乗客を呼びだしているみたいですが、よく名前が聞き取れません。少なくとも日本人ではなさそうです。


しばらくして、再びアナウンスが流れました。今度はよく聞いてみると、どうも自分の名前のような気がしてきました。どうも私がお呼びのようです。搭乗ゲートに行ってみると、チェックインで搭乗券を渡したときに航空券をもぎ取らなければならないのに、そのままになっていたとのこと。ホッチキスで一緒になっているわけでもなかったので変だなとは思っていたのですが、やはり間違いだったようです。


さらに数十分後には、再び同じ理由で呼び出されてしまう羽目になってしまいました。まあ、フライトの出発を待っている間時間を持て余していましたから、良い運動になったとでも思えばいいでしょう。


3時間半のフライトでクアラルンプールへ。さすがに寝不足ですが、早速マレーシアに入国してKLIAエキスプレスという特急列車でクアラルンプール中央駅に行きます。


まずはおきまりの観光ルートから、駅から歩いていける国立博物館(MUZIUM NEGARA)に行き、旧中央駅鉄道省の古い建物を横に見ながら国立回教寺院(モスク)に行ってみます。その後、イスラムの美術館(MUZIUM KESENIAN ISLAM MALAYSIA)を見学し、大雨が降っている中チャイナタウンに行きアンカサホテル(Ancasa Hotel)ワンタンヌードルスープを18リンギットで食べ、コミュータートレインでKLCCに行き、ペトロナス・ツインタワーを外から眺めました。


きれいな街並みを眺めながら、ショッピングの中心地にあるブギッ・ビンタンまで歩き、中国式足裏マッサージと試した後、今度は日本風ラーメンを食べ、少しのお土産を買ったのでした。クアラルンプールの定番コースを、足早に駆けめぐったといった感じになってしまいました。


モノレールで中央駅まで戻り、駅でフライトのチェックインをしてからKLIAエキスプレスで空港に戻りました。あっという間の1日観光でしたが、なかなか充実したトランジットになりました。


機中泊が2晩続き、しかもそれぞれのフライトが3時間半と6時間というのはさすがにしんどいです。ビジネス客は市内観光などしないで、空港にあるトランジットホテルで休憩するのが正しいのかも知れません。


しかし、もしもう一度同じルートで旅行するとしたら、やっぱりクアラルンプールに寄って市内観光をするでしょうね。エキゾチックな南国の首都は、とても魅力的でした。

601.インド出張5: ヒンズー寺院とコマーシャル・ストリート (2006/09/26)

さて、滞在予定の1週間は短いもので、あっという間に最後の金曜日になってしまいました。今日は、仕事が終わってから、USから来て2ヶ月間バンガロールに滞在しているエンジニアのCさんが、ダウンタウンのお勧めスポットを案内してくれることになりました。


聞くところによると、彼は普通のホテルには滞在せず、アパートメントを借りているそうで、賄いつきで一日70ドル。車は運転手つきのレンタカーで、一日30ドル。「一日100ドルなら普通のホテルより安いだろ」と言われれば、確かに170ドル+TAXで泊まっている身ですから、ごもっともと言わざるを得ません。


2ベッドルームと言いますからホテルより広そうですし、賄いも自分で食べたい料理を朝頼んで食材代を渡せば、材料を買い出しに行って時間に合わせてアパートメントに調理をしに来てくれ、後片付けもしてから帰るそうです。ベッドメークもしてくれるそうです。


案内をしてくれるのはCさんのお抱え運転手、アンサーさん。仕事が終わったCさんは運転手とともに迎えに来てくれました。まだ明るいうちにこの街で一番ファンシーな建物をみたいとリクエストすると、アンサーさんは夕方の渋滞をうまくすり抜けながら、街の中心部にあるヴィダナ・スーダー(Vidhana Soudha)という州の庁舎を案内してくれました。


確かにかなり立派な建物であり、その向かいには赤く塗られた州最高裁判所(the Supreme Court.)があります。2つの建物はどちらも立派なものでありながら対照的でもあり、周りの公園の美しさも加わってすばらしい景観をもたらしています。さらに、庁舎の拡張に伴って、まったく同じ設計・外装の、まるでコピーのような建物がすぐ横に建てられています。


さて、車窓から建物や公園を眺めた後、ヒンズー教会に案内してもらいました。"Bull Temple"と呼ばれており、数あるヒンズー教会の中でも最も古いものだそうです。


階段になった参堂を上っていくと、境界の入り口の前で靴を脱がなければなりません。中に入ると正面にデーンと牛の石像が構えています。どこからともなく案内の少年が現れ、英語で説明をしながら教会の中へと導いてくれます。


500年経っている割りに荘厳な感じがしないのは、牛というキャラクターのためでしょうか。ひとつの岩の塊から掘り出された高さ5メートルほどの牛の石像は、黒い油がにじみ出ています。石像に触ると幸せになるということで、訪れる人が全員ありがたそうに牛の足をさすって行きます。


神父(Priest)が何やらお祈りをしてくれて、眉間に赤い粉を擦り付けてくれます。しばらくその神父さんにヒンズー教について聞くことができました。彼は、3代に渡ってここの神父を続けているそうで、ヒンズー教の神父は結婚をしてもいいそうです。また神父になりたくないという自由も残されているようです。


ヒンズー今日は、誰が訪れても受け入れるらしく、そのためか夜も20時半まで見学が可能だそうです。しかし、Cさんはこのような話題が好きですね。ヒンズー教のことをあれこれと聞いていましたが、私は何を質問したら良いかほとんど思い浮かびませんでした。


さて、最後に連れて行ってもらったのは、コマーシャル・ストリート。最初これは通称だと思っていたのですが、実際の通りの名前だそうで、一部のモールやMGロードが高級品を扱うのに対して、庶民的な値段で買い物ができるエリアです。


お決まりの服屋かばん屋ワイシャツの仕立て屋や如何にもといった感じの民芸品屋が並んでいます。またジーンズ屋では900円ほどでジーパンを売っています。


この通りからさらに細い路地が延びていて、そちらはさらに安くなるそうですが、それなりにダーティーな世界になっていくようです。かなりの人通りで、ここでは本当に買い物をする人が多いようです。


私も、ノートパソコンが入るビジネスバッグを1275ルピー(約3800円)で買いました。それほど安いわけではありませんが、記念にもなる実用品は無駄がなくてよいでしょう。


さて、時間を見るともう4時間が経とうとしています。ドライバーのアンサーさんは、最低4日なければこの街をすべて見て回ることはできないと言ったのですが、彼のおかげで4時間のかなり凝縮した観光をすることができました。


ホテルまで送ってもらい、2人にさよならの挨拶をした後、3時間後の飛行機に乗るための準備に取り掛かったのでした。


いやー、しかしインドはおもしろかった!