95.なんでも情報端末: 予告 (2003/05/13)

週間ダイヤモンド誌の5月17日号に、「ポストPCの主役は誰だ、“ウィンテル”の支配は崩れるか」と言う特集が組まれています。


特集の始めに、携帯電話、家電、ゲーム機ネットワークにつながるユビキタス社会になれば、これまでのようにパソコンだけが情報端末の主役に居座ることはできず、新しい主役を巡った争いが始まると書かれています。


この特集は、ウィンテル、ポストPC、ユビキタス社会等の言葉を使って、何か大きく社会が変わろうとしていると言う予感を感じさせる記事です。これからは、身の回りの電化製品が、ネットワークにつながっていくと説明しています。


77から84の「ダウンサイジング推進計画」で、パソコンからパームの世界にダウンサイジングを推進しようとしましたが、同じ事をパームだけではなく、家庭内のすべての家電製品が虎視耽々と狙っている訳です。これまで、パームのライバルは、携帯電話パソコンだけかと思っていましたが、競争相手がもっといたと言うことですね。


ただ、ホームネットワークの中心になるのは、やはりテレビであるらしく、ビデオ・オンデマンドを使う為の、ホームサーバーディスプレーが中心になるそうです。そもそも、家電の中で情報と言えるものを扱っていたのは、せいぜいテレビとラジオに代表される、オーディオ・ビジュアル関係だけで、後は電卓ぐらいでしょうか。ネットワークにつながったからと言って、洗濯機の洗剤をネットワークでダウンロードする事は出来ません。


しかし、ユビキタス社会の言葉の下に、すべての物をネットワークにぶら下げて、「いつでも、どこでも」だけでなく、「何でも」も含めてしまうのも、それはそれで、面白そうです。


次回から、何か家に転がっているその辺の物を、取りあえずネットワークにつないでみましょうか。意外な可能性を発見できるかもしれません。題して、「なんでも情報端末」です。

94.印鑑万能主義 (2003/05/09)

asahi.comで「印鑑万能主義」を改めようと言う動きについての記事が載っています。確かに、印鑑に対する不安と言うのは、誰しも持ち合わせているのではないでしょうか?特に、実印銀行印は、盗まれたり偽造されたりして悪用された場合、ほとんどは被害者が泣き寝入りする事になるのではないでしょうか?


特に最近では、写植技術によって、印鑑の印影から新たな印鑑を起こす事が容易ですので、印鑑を持っているからと言って、本人であることの証明にはなりにくくなってきています。しかし、記事の中で、「欧米のように、重要な契約は第三者立ち会いのもとで署名すれば、印鑑は不要のはずだ」と言われていますが、印鑑より署名の方が安全と言えるでしょうか?


不動産の売買の時を例にとって、考えてみたいと思います。日本では、不動産を売買する時、役所に印鑑登録をして印鑑証明を受け、同じ印鑑によって契約をします。これによって、本人が契約した事を証明するのです。印鑑証明書の手続きを考えると、それほど安全であるとは言えません。


欧米の場合、例えばオーストラリアの不動産売買を日本で行う場合、契約する本人がパスポートなどの本人を証明するものと共に、権限を与えられた人、例えば総領事の前で、サインをします。この事によって本人が契約した事を証明します。面白いのは、オーストラリアの物件の場合、ニュージーランドや英国の公館でも、同様に署名証明を受ける事ができることです。


米国に住んだ時、パーソナルチェックのサインに悩みました。いつも同じサインが出来るように、練習もしましたが、銀行では実際はそれほど厳密に確認はしていないようです。印鑑もサインも、それ程安全とは言えないように思います。


そこで、やはり電子的に本人確認できる方法が望まれます。世界中で共通した技術によって提供されれば、大きなビジネスチャンスです。パームで指紋を読み取り、赤外線ビーム!!ぐらいでは、いまいち信頼性に欠けますか。もう少し、パームの技術が進歩する必要があるようですね。

93.2画面特許 (2003/05/08)

日経エレクトロニクスの最新号に、2画面特許の記事が載っています。携帯電話やPDAは言うに及ばず、ノートパソコンやDVDプレーヤーまで、その対象に含めてしまうような特許です。


この特許の内容は、WEB上で”2画面特許”で検索すれば出て来ますが、その特許の内容と共に、出願の歴史も重要になるようです。


この特許が、日本の有力メーカーによって、無効にされるのか、あるいはこの特許に屈してしまうのか、これから注目していきたいと思いますが、日経エレクトロニクスの記事を読んでいて、2つほど疑問が起こりました。


この特許は、全文修正を行っています。確かに修正は、最初の出願時である1992年の出願の範囲を超えなければ、できると言うことになっています。2画面と言う言葉を、最後の全文修正時に請求項に入れたようですが、この出願の範囲を超えるかどうかは、たとえ2画面という言葉で、物事を限定する場合でも、実際の社会に於いては、2画面という言葉によってより広く解釈できるようになる可能性があると思います。


本来、PDAを想定していたと思われる、ペン入力デバイス(ニュートンの発表の時期と一致する)の記述があったのを、全文修正を繰り返す間に、2画面と言う言葉にすり替わっている様ですが、これほど内容が変わる、ましてや対象にする機器を変えるような修正が、1992年に遡って適応されるなど、あり得る事なのでしょうか?


使う言葉が代わる場合、それによって範囲が狭められるか、逆に広がるかは、状況によって変わってきます。修正をする場合、もっと厳格な制限を設けるべきだと思います。


書面を十分準備する時間がない場合でも、出願できるようにすると言う趣旨も分かります。しかし、それを良いことに、書面作成のテクニックと称して、一般常識から外れたアンフェアなやり方が、まかり通っているのではないでしょうか?


もう一つの疑問は、担当の弁理士が、全文修正を入れたときに、「既に多く出回っていた2画面付きの携帯電話を見て、思い付いた」と語っていることです。このことは、現在普及している物を、過去に遡って特許請求できると言うことを、弁理士自ら証明している事になります。


そのようなことを公言した特許が、このまま生き続ける事ができるのでしょうか?実に面白い特許事例になるでしょう。6月に特許公開されるそうです。

92.デジタル一眼レフカメラシステムを考える5: デジタルカメラの挑戦 (2003/05/07)

さて、我ながら意外な展開になってきましたが、最後に私が期待する、これまでの一眼レフカメラに代わる、高スペックデジタルカメラを提案したいと思います。デジタルカメラにおいては、これまでの既成概念にとらわれる事なく、銀塩フィルムでは出来なかった事を目指していくべきだと考えています。


まず、ファインダーについて考えてみましょう。“89.カメラ形式の比較”でお分かりになられたと思いますが、要するにこれまでのカメラの形式の違いは、ファインダーの違いだったのです。一眼レフは、ファインダーのために、大きなミラーペンタプリズムを必要としましたが、撮像素子からリアルタイムで画像を取り出す事の出来るデジタルカメラには、ファインダーは必要ありません。


その代わり、画像を確認するために、電子ビューファインダー(接眼レンズを付けて覗くタイプ)か、液晶モニターを使うことになります。どちらにするかは、カメラに応じて使い分けるべきですが、最近の傾向としては液晶モニターの方が使いやすいかもしれません。


フィルムを使ったカメラの場合は、ファインダーによる形式の違いによって、高級カメラであるとか普及カメラであるとかが、自然と区別されていました。しかし、デジタルカメラにおける高スペックカメラは、画質デジタル信号処理の部分で、特徴を出していかなければならないと思います。


まず、より大型の撮像素子を使って、画質を向上する必要があります。大型の撮像素子を使うには、カメラ自体も大きくなりますから、携帯電話やコンパクトカメラと差別化する事が出来ます。ただ、撮像素子を大きくすると、周辺部での感度低下や色のにじみの問題がありますし、レンズも大型化してきます。


そこで、撮像素子の中央部での画素の密度と、周辺部の密度を連続的に変化させます。つまり、周辺部の画素を相対的に大きくするのです。こうする事によって、周辺部での感度低下色のにじみを押さえる事ができます。


更に、レンズ自体も、画像中心部と周辺部では、一般的に解像度に3倍ほどの差がありますので、レンズの性能に合わせて、3分の1程度の画素密度にしても、画質低下は起こらないと言えます。フィルムの場合は、全体に均一に乳剤を塗布するしかないのですが、半導体の技術で作り込む撮像素子では、画面上の特性を画素単位で操作する事が出来ます。


さらに、レンズの各収差をメモリーに記憶しておく事で、画像に修正を加える事ができるようになります。特に歪曲収差周辺光量の低下などには、電子的な修正が威力を発揮するでしょう。


この電子的修正機能によって、レンズの設計が容易になれば、レンズの小型化やズームレンズの高倍率化が促される可能性があります。更に、電子ズームを併用する事も可能ですから、20倍ぐらいの高倍率のズームレンズが可能になるでしょう。これを使えば、レンズ固定式のカメラでも、一般撮影においてはほとんどの撮影をこなす事が出来ると思います。


測光に関しては、撮像素子の出力を測定する事によって、画面上のどこが露出オーバーでどこがアンダーであるか等を、モニター上に表示する事が出来るでしょう。これまでの様に、中央部重点測光、スポット測光、平均測光、分割測光など、自由自在です。また、引き延ばし作業でしか出来なかった、覆い焼きなどのテクニックも可能になると思います。画像の部分的増感も、できるかもしれません。


液晶モニターは、測光の結果や、修正された最終的な画像を確認する為にも使われます。高スペックデジタルカメラには、高精細モニターが搭載され、もはや一眼レフの薄暗いファインダーに戻る事は出来ないでしょう。


レンズの収差を補正したり、測光したり、液晶モニターに各種情報を表示したりする為のLSIを、チップセット化する事で、開発コストを抑えることができます。特に画像処理エンジンは、撮像素子とセットで提供されると良いでしょう。


さて測距ですが、どのような方法を取るにしても、何らかの光学系が必要になります。これまでの一眼レフの名残として、プリズムペリクルミラーを採用するのも、面白いかもしれません。


カメラの形は大きく変わるでしょう。フィルムを使うカメラは、焦点面を挟んで、両側にフィルムを巻いていますが、デジタルカメラならその必要はありません。おそらく、今のデジタルビデオカメラのような形が考えられますが、デザインに影響を与えるのは、レンズ液晶モニター記憶デバイスでしょうから、これらの配置で決まってくると思われます。


それから、デジタルビデオカメラとの住み分けですが、写真を撮ることに特化したデジタルカメラをしっかり作っておかないと、ビデオカメラスチール機能で間に合ってしまいます。携帯電話とビデオカメラの間の安住の地は、それほど広くはないと思われます(パームと良く似た境遇ですね。)


最後に、一眼レフを愛している方には、「けしからん結果だ!一眼レフの優秀性は、デジタルでも不滅じゃ!」と言われてしまいそうです。思えば、ミノルタα7000を発表して、カメラバックを交換することによってデジタルカメラにすることができた時から、私はいつかこの日が来ると思っていました。実は、私もこの結果は悲しいのです。私も、一眼レフを長年愛用してきたのですから。


ピントの山が合った時の快感、ミラーで暗転するファインダー像、シャッター音の余韻、撮った後の充実感。一眼レフを使う者だけが知る喜びです。しかし、現実は、8mmカメラがビデオになり、レコードがCDになり、機械式時計がクォーツになり、そろばんが電卓になり。そしてついに、一眼レフも変わらなければならない時がやって来たのです。


日本のカメラメーカーも、これまでの一眼レフ一辺倒の開発を、見直す時が来たのではないでしょうか?

91.デジタル一眼レフカメラシステムを考える4: フォーサーズ・システムを検証する (2003/05/07)

新しいデジタルカメラの規格として、フォーサーズ・システムというものが、提案されています。オリンパスとコダックが開発をし、富士フイルムも賛同しているようです。


概略としては、撮像素子として、キヤノン・ニコンなどのデジタル一眼レフで採用されているAPSサイズより小さな4/3インチの撮像素子を使い、その結果レンズを小型化し、さらにレンズマウントと、レンズとボディー間の情報のインターフェースを規格化する事により、どのメーカー間であっても、レンズとボディーを組み合わせる事ができると言うものです。


小型の撮像素子を使うことによって、レンズの小型化と同時に、光線の入射角の問題を解決します。これまでの35mmフィルム規格にとらわれずに、デジタル一眼レフカメラとしての理想を目指す姿勢は、評価に値すると思います。


ただ、実際にこの規格によってデジタル一眼レフカメラを作ったとして、これまでのように一眼レフカメラが、カメラの主流であり続けることができるかと言えば、そうとは言い切れないように思います。


例えば、小型の撮像素子を使うことに関して言えば、すでにAPSサイズの撮像素子が実用化されているのに、敢えて画質を犠牲にしてまでレンズの小型化を目指す必要があるのでしょうか?


そもそも、撮像素子の撮像面の大きさを規格化する事と、フィルムのフォーマットを決めることは、同じように見えて、全く異なることです。


フィルムの場合は、その製造や、現像処理と言った、メディアとして規格を統一していなければ、工業的に成り立たない部分があります。しかし、デジタルカメラの撮像素子は、製品ごとに異なっていても、出力されるデジタル信号に互換性があれば、問題はないはずです。イメージサークルを規定するならともかく、撮像面の大きさを統一すること自体に意味はありません。


それから、マウントの共通化に関しては、レンズとボディーの互換性が全てのメーカー間で保てたとして、一体誰が喜ぶのでしょうか?


今でも、レンズ専業メーカーに対して、カメラボディー側の技術情報を開示しないカメラメーカーがあるのですから、喜ぶのはカメラかレンズの一方の技術がないか弱いメーカーだけではないでしょうか?


確かに、過去には、プラクチカマウントや、ペンタックスのKマウントのように、共通に使われていたマウントもありましたが、プラクチカマウントなどは、自動露出や自動焦点がない時代の物であり、各メーカーが競ってレンズからの情報を利用する現在では、マウントの共通化は、各メーカーによる新技術の発達を妨げる要因になるものと思われます。


今日の結論です。フォーサーズで提唱されている、撮像素子のサイズを固定することも、マウントを共通化する事も、一部のメーカーには都合が良いかもしれませんが、デジタルカメラ全体の発展を目指して開発された物とは思えません。APSフィルムを計画したときと同じような、小手先の変更だけでは、デジタルカメラの将来を担う事はできないと思います。


その昔、レコードからCDに移り変わった時、CDプレーヤーはレコードプレーヤーと同じ形になりましたか?これまでの一眼レフカメラをデジタル化するのに、何も同じ形にする必要はありません。これは、イノベーションです。過去の遺産にしがみ付こうとするメーカーは、必ず淘汰されるでしょう。


まず最初に一眼レフがありきではなく、デジタルカメラの機能を最大限に生かすことのできるカメラ形式の開発から、取り組んでもらいたいと思います。もっと、銀塩フィルムやこれまでの一眼レフカメラでは実現できなかった事を、デジタルカメラならではの斬新な機能を提唱して行ける、カメラメーカーの出現を望みます。


では、次回は最終回、「デジタルカメラの挑戦」をお送りします。