日本の光学技術を語る上で、一眼レフはなくてはならないものです。戦後、それまで官営だった光学機器メーカーが、民間の手に委ねられた後、真っ先に競ったのは、ドイツのエルンスト・ライツ社の模倣品の製造でした。
そもそも、35mmの映画フィルムをスチールカメラ用のフィルムとして、24mm x 36mmのライカ版というフォーマットを作ったのが、現在のライカ社の前身であるエルンスト・ライツ社でした。35mmフィルムを使ったスチールカメラのフォーマットには、いくつかのバリエーションがありましたが、現在に至っているのは、ライカ版のみとなりました。
ライツ社のカメラは、後に距離系連動式レンジファインダーカメラと呼ばれるわけですが、1954年(昭和29年)にライカM3と言う機種が発表されると、その完成度の高さに日本のカメラ業界は、ライカの模倣を諦めることになります。それまで、日本製の高級カメラと言えば、ライカと同じカメラ形式で、ライカに追いつくことを目標にしていたのですが、ライカM3の登場でその希望を打ち砕かれたようです。後にM3ショックと呼ばれた出来事です。
このライカM3がどのぐらい完成度が高かったかというと、それから現在までファインダーの光学系に関しては、ほとんど進歩していないことからも、当時の完成度の高さが想像できます。特に、ファインダーの光学系は、その後今日までライカMとして発表されてきた、どの製品よりも優れているとさえ言われています。
さて、日本の光学メーカーは、M3ショックの後レンジファインダーカメラの後追いをやめ、当時まだマイナーなカメラ形式であった一眼レフカメラの開発に力を注ぎます。やがて、ニコンFというカメラが、アメリカのエベレスト登頂隊に採用され、その頑丈性を世界に広めることとなりました。
さて、その後ニコンは、その次世代の一眼レフカメラ、ニコンF2で、システムカメラとしての完成を見ます。あらゆる写真表現の可能性に答えることのできる、ボディー・レンズ・アクセサリー群を揃え、内外のプロカメラマンに圧倒的に支持されるようになります。
一方、キャノンも一眼レフに注力し、システムカメラとしてのキャノンF1と、そのレンズシステムであるFDレンズ群を完成させていきます。このFDレンズ群は、カラー撮影における色バランス(カラーコントリビューション)を重視し、プロが同じフィルムにおいて様々なレンズを交換して撮影しても、同一のカラー再現ができることを目指しました。こちらもニコンと同様に、プロカメラマンの支持を受け、キャノンF1システムとして完成させていきます。
ニコンとキャノン以外では、旭光学(ペンタックス)、ミノルタ、オリンパス、そしてコンタックス(ヤシカから京セラ)が、システムカメラとして一眼レフを充実させていきます。日本の光学メーカーは、長い年月を掛けて完成した一眼レフシステムによって、世界中の高級カメラの市場で、圧倒的な支持を受けるのです。
すなわち、一眼レフは、日本の光学メーカーにとって、成功体験そのものなのです。デジタルカメラ時代を迎えた今、各メーカーは一眼レフシステムの中に、デジタルカメラを取り込もうとしています。そして、デジタル一眼レフカメラも、これまでと同じ様なシステムカメラとして、提供されようととしています。
さて、システムカメラという場合、その構成要素としてのレンズの意味について、少し触れておきたいと思います。写真は撮影するときは、レンズで決まると言われます。写真の画質・ボケ味・遠近感など、写真表現上の重要な要素がレンズによって決まります。
プロの中には、戦前のレンズをいまだにポートレートなどで使っている例が、数多くあります。このレンズの味を、システムカメラとして有効に利用することができるかが、一眼レフを考える上で重要になります。そして、一度手に入れたレンズをいつまでも使い続ける事ができることが、システムカメラたる所以です。
メーカーにしてみれば、レンズをたくさん揃えているユーザーは、簡単に他のメーカーに乗り換えることができなくなるので、ユーザーの囲い込みができます。ですから、デジタルカメラの場合も、これまでのレンズの資産を無駄にしないような戦略を考えるわけです。実は、この辺りの話が後で非常に重要になってきます。
さて、次回はカメラの様々な形式を比較して、カメラの構成要素を考えていきたいと思います。