81.ダウンサイジング推進計画4: フレームの勧め、人間の知性を問う (2003/04/26)

写真印画を鑑賞する時、手に持って見るサイズは、最大でも四つ切りまでです。なぜなら、それ以上大きくなって、半切(はんぜつ)程になると、手で持っても大きすぎて、また真っ直ぐにして持っていることができなくなります。ですから、半切以上はパネルにします。


A4の用紙も同じ理由で、手に持って眺めるには、ちょうど良い大きさです。全体を見ることができますし、手で持て余す程大きくはありません。


A4サイズは、本のように文字がびっしり詰まった読み物でも、手で持ちやすい大きさですから、じっくりと読むことができます。では、オンラインの情報を表示する媒体として見たときに、A4のサイズはちょうど良い大きさなのでしょうか?


皆さんはA4に書かれた内容を、一瞬で理解できますか?A4に書かれた情報は、全て有効に使われましたか?WEBの1ページに表示されている全ての情報に目を通せましたか?


答えは、おそらくノーです。例えば、新聞のWEBサイトのトップページでさえも、全てを読むことは困難です。1ページには、その時、その人が必要な情報が含まれているはずですが、しかし、その時には必要のない情報も多く含まれます。いや、大半が必要でない情報かもしれません。


私たちは、多くの情報から自分の今必要である情報を選択するという仕事を、いまだにコンピューターに任せることができないのです。


駅の自動券売機で切符を買うとき、上に掲示されている運賃表から、到着駅までの料金を探し出すのは骨が折れます。目的地以外の駅の情報は、あなたが本当に必要とする情報を、埋もれさせてしまいます。同じ事がページと言う物理レコードの単位にも言えます。1ページには、本当に必要な情報を埋もれさせてしまう情報で溢れています。


更に、もしページに含まれる情報の全てが、その時に必要な情報であったとしても、その全てを有効に利用することはできないでしょう。それは、人間が同時に認識できる対象物の数には、限界があるからです。


動物が、いくつの数まで概念的に認識できるかを考えるとき、カラスの話が良く出てきますね。ごん平が種まきゃ、カラスがほじくる。そこで、2人が小屋に入り1人が出ていき、カラスを待ち伏せても、カラスは2と1の区別ができるので、寄って来ない。3人入って2人出ても同じ。結論は、5まで数えられたり、7まで数えられたり。まあカラスにも、優秀なカラスとアホガラス(失礼)がいても、不思議ではありません。


では、人間はどうかというと、一つずつ数えればいくつまででも数えられますが、一瞬で認識できるのは、やはり7ぐらいになりそうです。あるいは、記憶としては、3秒から5秒、つまり1つの俳句を詠む時間ぐらいしか、前の記憶を保持できないそうです。これは、俳句の標準的な長さである17文字に相当するそうです。また、別の研究によると、1ページ分の本を読んだときに、単語として読んだすぐ後に思い出せるのは、10語ぐらいだそうです。


54.なぜ2000円札は流通しないのか?
(2003/03/28)
で作った表を見てください。1円玉と10円玉しかない場合、最大9個の硬貨を使わなければならないのですが、5円玉を追加すると最大でも5個で払うことができるようになります。もし、人間が9までの数を直感的に認識できるのなら、5円玉はなくても不便ではないはずです。


コンビニで、100円ぐらいの物を買って、1万円を出したとき、お釣りの9千円が千円札ばかりで9枚来ると、いやですね。もし8枚しかなかったとしてもすぐには気づきません。でも、5千円札と4枚の千円札ならば、一目で間違いがないことが分かります。人間も、直感的に分かる数の限界は、カラスとそれ程違わないのかもしれません。


話が、大きくそれてしまいましたが、要約すると、人間は余り多くの情報を一度に見せられても、必要な情報を選び出さなければならないし、どうせ全て覚えているわけでもないので、最初から必要な情報だけを選び出してページより小さい物理レコードの単位である、フレームに表示するようにすればどうでしょうか、と言う提案をしたかったのです。


「何を言っとる、無駄なように見えて、1ページの中にはあれば便利な情報もあるから、備えあれば憂いなしじゃ」、みたいな意見もあるとは思います。この冗長性が有効である場合は、確かにありますが、それは、いつでも、どこでも、欲しいだけ、と言う事が、これまで難しかったから意味があったのです。


もうお解りですね。そうです、ユビキタスです。次回は、「ユビキタスとオンデマンド」で話を展開していきたいと思います。