耐震強度の偽装問題は、新たに建物の解体に至る物件があったり、新規分譲販売を取りやめる物件があったりと、一向に沈静化の兆しが見えないままに長期化する傾向にあります。
この問題で根が深いのは、単に一部の物件特有の問題ではなく、建築業界が以前から抱えてきた業界全体の構造的な問題であるからです。耐震強度の検査機関を民間に解放したのが原因であるとか、問題を起こした建築士に問題があったとか言うことではなく、今回の偽装が発覚するずっと以前から、建築業界はグレーな部分を抱え続けてきたと言えるでしょう。
しばらく前までは、欠陥住宅が大きな社会問題になっていました。住宅の基礎工事が手抜きされたとか、地盤改良工事に法外な金額を請求されたと言った事件が、頻繁に起こっていました。
実は同じ頃、住宅の設計をお願いしようとして、建築士さんにお話を伺ったことがありました。どうしたら欠陥住宅を防ぐことができるかと言う話になった時、その建築士さんは、おもむろにそれは不可能だとおっしゃいました。
「設計図を描いたプロの建築士なら、手抜き工事を見抜けると考えるかもしれないが、工事をする方も手抜き工事のプロであるので、そう簡単に見つかるような手抜きはしないものだ。」、と言われました。
また、「建築業界は、手抜き工事や欠陥が建築物にあることを、決して悪いことだとは思っていないのだ。」、ともおっしゃいました。
つまり、欠陥があって工事の補修ややり直しをやることは業界にとって悪いことではなく、むしろまた新しい仕事にあり付けて商売が繁盛するという考え方が蔓延っている業界であるから、手抜きや欠陥を無くしていこうというモチベーションすら持っていないのだと言うことでした。
もし手抜き工事や欠陥によって修復が必要になったとしても、一向に悪びれることもなく、「これ幸い、また仕事にあり付ける!」と言ったノリだというのです。土建国家と呼ばれてきた日本ならではの、何と自分勝手な発想ではありませんか!
ここで賢明な方なら、欠陥住宅訴訟でも起こせば建築業界の思い通りにはならないだろう、と考えられるかも知れません。しかし、過去の欠陥住宅に関連する裁判の判例において、住宅メーカーなどの建築業界側が敗訴したケースは、ほとんど無いに等しいのです。
裁判所が、個人を守ることより国家を守ることを優先するなら、土建国家における建築業界が擁護されるのも当然と言えば言い過ぎでしょうか。
大量の資本や税金を投入して築いてきたはずの建造物が、手抜きや欠陥によって不良資産やただの産業廃棄物になって行くのを、いつまでも放っておいて良いのでしょうか? 耐震強度偽装問題が、建築業界全体の改革を促すきっかけになってもらいたいものです。