昨日、1月28日(土)は大雨でした。大雪も困りますが大雨もまたいやなものです。記録的な暖冬によって、季節はずれの雨になってしまったようです。
NHKが繰り返し放送してきた「大草原の小さな家」は、それほど熱心に観ていた方ではありませんでした。しかし、ここに来てゆかりの地が点在しているのを知ってしまうと、旅行系パームサイトを自認する当サイトとしては無視するわけにも参りません。
本来冬場は雪と氷に閉ざされてしまう地域ですから、ローラ・インガルス・ワイルダー(Laura Ingalls Wilder)に関するミュージアムのほとんどが、5月ごろまで閉鎖されています。NHKのドラマを見ていた人にとって一番人気のあるウォールナット・グローブ(Walnut Grove)でさえも、平日のギフトショップを営業するのみで土日にはすべて閉まっています。
ミネソタ近辺で冬場の土曜日も営業しているミュージアムが、アイオア州の北東部にあるバー・オーク(Burr Oak)にあるというので、大雨の中行って参りました。
途中、ミネソタ州のスプリング・バレー(Spring Valley)に立ち寄ってみました。ここはローラの家族が一時的にアルマンゾの家族の家に身を寄せていたというところで、1年間ほど住んでいたそうです。
博物館としては教会と、その前に当時の別の人の住居が見学できるようになっていますが、5月までは閉鎖とのこと。博物館の場所を尋ねた大雨の中犬の散歩をしていた男性の方が、なかなか感じのよい紳士だったのが印象に残っています。こじんまりとして落ち着いた素敵な町だったと思います。
そこからバー・オークに向かいましたが、このあたりにはアーミッシュ(Amish)が住んでいるらしく、ハイウェイにも「馬車が通るので注意」という標識が立っています。なるほど馬の糞らしき物体が、所々に転がっています。
バー・オークは、州境から程近いアイオア州にあります。ここも今はとても小さな田舎の町ですが、当時は一日に200台の幌馬車(Wagon)が町の大通りを行き交ったと言います。
ローラの家族が住んだ住居のうち、現存するものは2軒しかありません。またそのうちの1軒は、場所を移転しているそうです。バー・オークにあるローラの父さんが共同のオーナーになったという「マスターズ・ホテル」(Master’s Hotel)は、同じ場所に現存する唯一の建物になります。
ホテルの向かいに建つ、バー・オーク・バンク(Burr Oak Bank)の建物が保存教会の建物になっています。それはそれで昔の銀行を再現した歴史的に面白いものですが、中はギフトショップになっていてホテルのツアーもここで申し込みをします。
私が訪れたのは14時過ぎ。ちょうど2家族にツアーの説明を始めたときでした。運良くそのツアーに参加することができ、早速ツアー料金の5ドルを支払います。
ローラの家族がアメリカを転々と移動しながら、生計を立てていた旅程が地図を使って説明された後、ホテルへと移動します。1階にはパーラーとフロント、それに金持ちが一人で長期間泊まっていたという寝室がありました。ローラの直筆の手紙や、当時の幌馬車の生活が壁や床に所狭しと展示してあります。
幌馬車では1日に10マイル(16キロメートル)ぐらいしか進めなかったそうです。当時ホテルは町に3件しかなく、ひとつのベッドに3人がいっしょに寝ていたそうです。ひとり1泊25セントという値段表が入り口に掛かっていました。
2階はほとんど屋根裏部屋といった感じですが、4つの客室があり、そのうちのひとつにはローラの先生が住んでいたそうです。当時の旅行かばんや靴、寝具などがそのままの形で展示されています。
階下には台所とダイニングがあり、ローラたちが暮らした部屋がその奥にありました。当時の風呂は金属製の大きなタライといった感じで、お湯を沸かしていた台所のストーブに近い所に置くため、ちょうどローラたちの部屋の前にあったそうです。宿泊客は同じお湯を使い回しながら入ったそうです。
ローラの部屋は8畳程の部屋で、当時は3姉妹がいて5人家族でしたから、ほとんど雑魚寝状態だったと思われます。マスターズ・ホテルでの生活がローラの回想録にほとんど登場しないのは、きっと思い出したくないほどつらいものだったに違いありません。
ローラの家族の4番目の子供は男の子でしたが、生まれて9ヶ月で亡くなったそうです。ウォール・ナットグローブからの途中マンケート(Mankato)の病院で亡くなったそうですが、その男の子のお墓は見つからないそうです。
同じツアーに参加していた家族には、それぞれ小さな子供が2人ずついて、どうも御知り合いのご様子。しかもどちらの奥様も、黒い布でできた帽子を付けておられました。(アーミッシュの方たちだったようです。)
ツアーで説明してくれた女性は、ここのローラ・インガルス・ワイルダー保存教会の方で、ボランティアではなく給料が出ているそうです。日本からも多くの方が見学に来るということでした。観光客が少ない冬場は、ミュージアムの運営が資金的に困難であり、他の町にあるローラのミュージアムでは休業のところが多いそうです。
さて、バー・オークを後にしてぺピン(Pepin)へと向かいました。先週ぺピンの隣町まで行きましたが、再度ワバシャ(Wabasha)からミシシッピー川を渡りました。
ネルソン(Nelson)の町にある、前回は通り過ごしてしまったネルソン・チーズ・ファクトリー(Nelson Cheeese Factory)に立ち寄ってみました。ウィスコンシン州は酪農が盛んだそうです。
地元のチーズを試そうと思い、それらしいチーズ(Brie)を手に取ってウィスコンシン州産かどうか聞いてみたところ、それはヨーロッパからの輸入品だと言われてしまいました。そこで、ラベルにはっきりと”Made in Wisconsin”と書かれた"Smoked
Farmer"というチーズを、4ドルほどで買いました。
さて、そろそろ日没も近づいてきました。ぺピンに行くと案の定、ミュージアムは5月からでないと開いていないとのこと。ただしローラの生家を再現した建物(Littele Hose wayside)は見学できると聞いていたので、近くのガソリンスタンドで場所を確認して行ってみました。
7マイル山奥に入っていったらありました。うーん、マイエンフェルトで見たハイジの家にそっくりです。建物は典型的な丸太小屋で、外から覗くと3つの部屋に分かれているようでした。「大きな森」とローラが回想した周りには森と言えるような木々はなく、開拓されたあとの姿が広がっていました。
そこに書かれていた説明には、ローラの父が、確かにここの土地を所有していたという記録が、地元の裁判所に残っているそうで、1867年2月7日ローラがこの地で産声を上げたことは、間違いなさそうです。
ミネソタに住んでいる人に聞くと、ほとんどの人がローラの話は知っていても、ローラゆかりの地を訪れた人は、私が聞いた範囲では(とても限られた範囲ですが)一人もいませんでした。近いのでいつでも行けると思うからかもしれません。
あるいは、自分のおじいさんやおばあさんがローラと同じ世代で、同じような話をよく聞かされ続けて来たのでしょうか?「大草原の小さな家」に登場する話は、ミネソタに生きる人たちにとっては遠い過去のお話ではなく、ごく身近な親族が体験してきた現実なのかもしれません。