447.開拓者は詰めが甘い? (2004/12/30)

「詰め」と言えば将棋を想像してしまいますが、将棋はその緻密な計算と戦略によって勝敗が決まり、細やかな神経が要求される世界です。


日本人のように人間の内側からパワーをひねり出すタイプの人間(どんな人間なんだ?)に如何にも向いている競技であります。じっくり磨き込まれた経験によるものと言えましょうか。


対して、アメリカ人の戦略は、新規な発想に基づく一発勝負的なもののように思います。じっくり磨き込んだいぶし銀ではなく、これまでに見たことのない様な輝きを持ったものの方が得意なようです。


だからといって、すべてに新しいものを要求するかというとそうではなくて、気にしなければ古いものでも平気で使い続けるのです。


USに15年ぐらい前に行って驚いたのは、日本ではかなり旧式で、中古としてもかなり古い部類の一眼レフカメラが、新品としてカメラ屋のショーウィンドーに飾られていたことです。いまさらビキニ姿の宮崎美子はないだろうと思ったものです。もっと古いペンタックスのプラクチカマウントのカメラも新品として並んでいます。


要するに古くても十分間に合えばそれで満足して使うし、新しいものなら全く新規なものが好きだと言うことでしょうか。


自動車にしても、日本やヨーロッパなら排気量がどうだとか馬力がどうだとか、多少は気にするものですが、「新製品は馬力が5%アップした」みたいな些細な事にはこだわらないようです。


伝統を育てていくという風土がないからでしょうか。いったん世の中に出て一定の評価を得たとしても、それを磨き込んで改善していくことはせずにほったらかしにしておいて、それが駄目になったらまた全く別のものに乗り移ってしまうのです。


これがアメリカ人の強みであり弱みでもあります。パームのPIMに関しても全く同じ事が言えるのではないでしょうか?


詰めが甘い!


と言うより詰める気がないのでしょう。アメリカ人の開拓者魂が、そんなせこいことをさせないで、常に新規なものを探し求める事を要求するのかも知れません。