「IT化による教育改革」、「パームを利用して授業の効率を高めよう」などと言うと、真っ先に「学問に王道なし」、とお叱りを受けそうです。「地道な努力なくしては学問は成就しない!」、と。
おっしゃるとおりです。方向を見定めてコツコツと毎日少しずつ、それぞれの目標に近づいていく事の重要性は、今も昔も変わっていません。
しかし、方向を見誤っていたり、より効率のよい方法があるのなら、これまでの慣習にとらわれずに採用していくことも、必要なのではないかと思います。
この事が、「学問に王道なし」が示すもう一つの意味、つまり「学問を成就するための方法は一つではない!」、ということなのです。
1年ほど前、USの友人から届いた手紙を読んだとき、その内容に驚きました。友人の小学生の子どもたちが、地元の小学校には行かず、その代わりに母親が家庭で教えていると言うのです。
「嫌がらせ」や「不登校」の言葉が、私の頭をよぎりました。その子たちが幼い頃からよく知っているので、なおさら残念に思いました。
ところが、それからも届く手紙やメールを読んでいると、それ程悲壮感が感じられないのです。いや、それどころか勉強を家で教えていることを、楽しんでいるようにも見えます。
最近になってやっと理解できました。USやヨーロッパでは、ホーム・エデュケーションやホーム・スクーリングと称して、学校へは通わせず、各家庭で親が自分の子どもの勉強を見ていく制度があるそうです。
最近、特に採用する家庭が増えているそうで、1980年頃から広まり始め、今ではUSで200万人の子どもたちが、家庭で教育を受けていると言われています。
学校へ行かないと聞くと、集団生活面での不安がありますが、ホーム・エデュケーションの子どもたちが参加する、ボーイスカウト・ガールスカウトなどの活動も盛んなようです。
背景の一つとして、教室で行われる教育ではどうしても画一的になってしまい、一人一人の子どもが持っている個性が失われてしまうという事が上げられています。
教室でみんなと一緒に勉強した方が楽しいと思っている子どもがいると同時に、自分の家で一人で勉強する方が落ち着いて勉強ができるという子どもがいても、不思議ではありません。
日本では登校拒否と言うと、ネガティブに捉えがちですが、その子が勉強そのものを否定しているとは限りません。何らかの理由で、特定の環境に適応できないとしても、その子どもの全ての可能性を否定する事はできないのです。
先週、「松下電器・学習研究社、小学低学年向けデジタル学習塾開始」と言うニュースがありました。小学校低学年向けに、学習教材をオンライン配信するというものです。
面白いのは、子どもがパソコンに向かって一人で勉強するのではなく、教材をいったん紙にプリントして、親と一緒に会話しながら学べるように工夫したという点です。
教育と言えば、教室でみんなと一緒に学ぶものと決まっていましたが、日本でもホーム・エデュケーションが、教育の一つの方法として認知される時が来るでしょうか?
「学問に王道なし!」
教育の可能性を広げていくことによって、子どもたちの未来も、大きく広がっていくのではないでしょうか?