視聴率はテレビ放送業界においては一番重要であるようで、視聴率の浮き沈みに放送局は一喜一憂しているようです。最近では、視聴率が低迷したままのドラマなどが途中で打ちきりになることも増えています。
今放送されているドラマでも、SMAPが主演しているものはなかなか検討していますが、それでも以前に比べると安泰というわけには行かないようです。
ましてやミスキャスティングや脚本の不備などがすぐに指摘されるようなドラマになると、初回の放送は期待票が集まるためそこそこの数字を残せても、最後の方になると数パーセントの視聴率を出すのが精一杯になるものがあるようです。
高視聴率を必ず狙えた脚本家でさえも、高視聴率を稼ぎ出すことは容易いことではなくなってきています。昔のように一度流行れば、2番煎じ、3番煎じで後に続くことが出来た頃とは大きく様変わりしています。
一方で、視聴率を不正に高く見せるために、視聴率を買収したという事件が発覚しました。放送局にとって視聴率は重要なのですが、その公正さを損ねてまで数字を取りに行くと、却って自らの首を絞めることになりかねません。
"asahicom Be on Saterday"にフジテレビCEOの日枝氏のインタビューが掲載されていましたが、これからは視聴率の意味が変わると語っておられます。テレビ放送のことを、「視聴者が努力しなくても情報が得られるメディア」とし、手軽に情報を得られるメディアとしての存在をアピールしています。
80年代、フジテレビでは視聴率を厳しく評価しすぎて番組作りに自由な雰囲気がなくなっていたそうです。「楽しくなければテレビじゃない」、をキャッチフレーズに、それまでの行き過ぎた視聴率競争を止め、その結果「笑っていいとも」や「オレたちひょうきん族」を生み出します。今でも視聴率に左右されない経営を目指し映画やイベントに力を入れているそうです。
地上デジタル放送に関しては、「テレビの中に、パソコンが入るようなものです」と言っていますが、パソコンとテレビの融合は既に始まっていますから、どちらが最終的に主役になれるか興味のあるところです。これは携帯電話とPDAにも同じ事が言えるでしょう。
インターネットなどの通信がテレホーダイからブロードバンドに移りゆく過程で、かつてのゴールデンタイムにパソコンでインターネットに興じる人が増えているそうです。今や放送局の番組同士で視聴率を競っている場合ではなく、テレビ放送と言うメディアが他のメディアと伍していかなければならないのです。双方向性をデジタル放送によって手に入れたとしても、それだけで飛躍的に魅力が増えるとは思えません。
これまでもテレビ局は視聴率に変わる、「視聴質」を検討してきたそうですが、番組を見た事による「充足度」を測る尺度を設定することは困難であったようです。ただ、これからのデジタル放送による多チャンネル化や双方向化によって、「視聴率も技術革新に遅れないようにしなければ。」と結んでおられます。
家庭にビデオもDVDもパソコンも携帯電話もなかった時代は、テレビとラジオがリアルタイム・マスメディアの双璧でした。しかし、あらゆる映像、音声、情報が様々なメディアを通じて発信されている現在、テレビ放送の存在意義自体が薄れてきています。
テレビ放送の特徴である世界同時性、即時性、一元性、公共性を有効に行かしてこそ、これからのデジタル時代に欠かすことの出来ないマスメディアの一つになることが出来るのではないでしょうか?