まず最初に、サブリミナル映像の問題について考えてみたいと思います。今週問題になったのは、日本テレビの「マネーの虎」での一万円札の映像を挟み込んで放送していたという事件です。
サブリミナル映像とは、ごく短い時間ある映像を挿入し、その画像を見たという意識を持たせずに、潜在意識に訴える手法だそうです。潜在意識的表現手法と呼ばれています。
日本テレビの広報では、1万円札の画像を0.2秒間に当たる6コマ分を挿入していたそうです。普通に見て認識できる時間であるはずなので、サブリミナル映像には該当しないと説明しています。プロデューサーはお金と言うテーマを表現したかったそうです。しかし、その為に0.2秒の1万円札画像にする必要があったのでしょうか?
視聴者がテレビ放送の画像を目で見て、脳でそれを認識する事によって初めて、その人の常識や人格に基づく判断が出来ます。もし明らかに道徳的に間違った画像を見せたとしても、視聴者はその人なりの判断を下すことが出来ます。
サブリミナル映像は、視聴者が通常感知出来ない方法によってメッセージを伝達し、人による判断が出来ないように、意図的に細工をすることが出来ます。公正とはいえず、放送に適さないとされています。
このような手法は、視聴者に訳の分からない不安を抱かせることがあるかもしれません。例えば1万円札の画像をサブリミナル映像としてみた人に中には、なぜだかへそくりの隠し場所が気になったり、銀行預金の残額が気になる事があるかもしれません。お金に絡む犯罪が増える危険性も考えられます。
サブリミナル映像と似た話に、「ポケモン」のアニメで起こった「光感受性てんかん騒動」がありました。これなどは、海外の放送局では明確なルールが何十年も前に決められていて、日本の放送局にルールがないことが疑問視されていました。
マスコミ、特に放送と言う媒体は1対多の関係であり、多くの視聴者を対象とする公共的な性格を持っています。
このことを歴史に示したのが、あまりにも古くあまりにも有名な事件、1938年10月30日、CBSのラジオ番組「宇宙戦争」でした。火星人がアメリカに上陸し攻めてきているというラジオドラマが、放送を聞いていた全米1200万人を震撼させたのです。
あまりにも良くできたラジオドラマが、ニュースと同様の信憑性を持ったとき、フィクションとノンフィクションの境目が見えなくなってしまうのです。
サブリミナル映像は日本でも「日本民間放送連盟・放送基準」によって禁止されています。その禁止されている映像表現を使った番組を制作すると言うことは、禁止薬物を使うスポーツ選手と少し似ているかもしれません。出場停止処分にならないように気を付けてもらいたいものです。