18.携帯電話型カメラの秘められた可能性 (2003/02/16)

昨年末、神戸のルミナリエに行きました。点灯の時間を並んで待っていました。30分ぐらい前から通りには大勢の人が集まってきて、今か今かと待っていました。



ちょうど時間になって、点灯し始めました。周りでは皆さんが感嘆の声を上げています。みんなぞろぞろと歩き始めました。その時、私は奇妙な光景を目にしました。多くの人が携帯電話を頭の上に掲げたのです。そのあまりの数の多さは、まさに雨の後のタケノコのようです。



実は、最初何をやっているのかよく分かりませんでした。何しろ、私が持っていた写真撮影の既成概念では、理解できなかったのです。カメラは覗いて撮る物と昔は相場が決まっていました。今はこのような写真の撮り方があるのかと改めて思いました。



ひょっとして、私が今まで駅などで携帯電話でメールを打っていると思っていた人たちのうち、いくらかの人は実は写真を撮っていたかもしれません。



今まで、カメラという物はカメラの形をしていたので、写真を撮る行為は周りにいる物にとって明らかでありました。ところが携帯電話に取り込まれたために、写真撮影という行為が、周りの人に気づかれないうちに成される可能性があると言うことに気づきました。



これは、写真の分野で街頭スナップや、あるいは隠し撮りと行った物も、撮られる側にカメラを意識させないことによって、自然な姿を映すことが重要なのですが、携帯電話によるスナップ写真には、これまでのカメラにない表現の可能性があると言えます。



今までのカメラでは、撮られる側に気づかれないようにするために、小型カメラを使ったり、作動音の小さいカメラを使ったりしました。プロカメラマンなら、わざわざローライやライカと言った高級カメラを使ったりするのですが、携帯電話によるスナップ写真は、もっと自由度が高まり、スナップ撮影の新しい手法になる可能性があります。



今後高画質カメラを内蔵した携帯電話が、すなわちカムフラージュしたカメラと言う位置づけで、写真の世界に新しい表現をもたらすかもしれません。

“18.携帯電話型カメラの秘められた可能性 (2003/02/16)” への2件の返信

  1. 紅林栄一様、コメントをありがとうございました。昨日も電車の中でどちらを向いているのか分からない携帯電話で、写真を撮っている人を見かけました。一体何を撮っているのか分からず、少し不気味でしたね。携帯電話に一体となったカメラが登場して、常にカメラを持ち歩く人が増えた事によって、いつでも簡単に写真が撮れるのは便利である反面、写真の文化的側面が軽んじられているような気もいたします。

  2. 携帯電話型カメラの秘められた可能性の件についてですが、非常な興味を持って拝読しました。普通皆さんが持っているいわゆる携帯電話と、問題の携帯電話型カメラは外観と使用目的は共通しているわけですが、そこで結論から言いますと、やはり携帯電話へカメラ機能をつけるべきではないと思います。カメラがついていれば誰でも撮影したくなるからです。盗撮しようがしまいが撮影は撮影でしょう。つまり携帯電話での撮影は、けしからんとゆうわけです。ところでいよいよ本題に入りますが私は携帯電話型カメラをほしいと思っていますが、このカメラはどこで売っているのかよくわかりません。今度カメラ店へ行って聞いてみようと思っています。

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