207.そろそろパソコンに変革は来ないかな? (2003/09/27)

パルマガで、マイクロソフトの話題が、いろいろと掲載されています。そのどれもが、それぞれ何かしらの問題を含んでいるように思います。


とくに独占的にパソコンのOSを世界中に提供していることに寄る問題は、私達が考えている以上に大きな社会問題だと思うのです。


進歩と言うものを、取りあえず美徳であるとするならば、独占している間はおよそ進歩などあり得ない訳です。成功体験をした企業は、同じ器の中で、あたかも新しいかのごとく新製品を出して見せますが、それらが本当に新しかったことは過去にはほとんどありませんでした。


勿論、過去には江戸末期のように、海外からの新しい刺激がなかった時代に日本の文化が発展したと言うこともありましたが、結果的には欧米に後れをとってしまったのです。


パソコンを考えるとき、Windowsパソコンは大きな功績を残しました。Windowsほど世間に知れ渡ったコンピューターはなかったでしょうし、一般大衆にコンピューターの操作を可能にさせたのは、Windowsと言うOSがあったから可能になったことでしょう。


物事の始まりには、あまり多くの選択が可能だと、初めて取りかかる場合に迷いを生じます。この迷いがくせ者で、不安を抱えた初心者はこの迷いを解決できるほど知識や信念を持ち合わせていないことが多く、挫折する理由の多くはここにあります。


つまり、物事の始まりの時期には、半ば独占された業界標準的なものがあった方が、スムーズに進むわけです。


しかし、事が進むにつれて、標準に独占されたままだと、次の進歩が見えてこない、新たな動き(Move)に対応できないと言う弊害が顕著になってきます。


現在はWindowsパソコンが、進歩を妨げている弊害が顕著になっているのではないでしょうか?今が、レガシーパソコンに別れを告げるときかもしれません。


しかし、新しいものを目指すには、ビジョンが無ければなりません。今の問題点を洗いざらえ、それらの欠点を見事に修正するのはもちろんのこと、新世代のOSに希望を与える斬新な新機軸を搭載した、新しい時代を切り開くOSでなければなりません。


今のWindowsは、昔の大型ホストマシンが使っていたDOSに縛られているように思います。昔、IPLやブートストラップ、終了処理やファイルのクロージングなど大型機が必要としてきたことを、パソコンに置き換えただけではないのでしょうか?


例えば、パソコンからハードディスクを取り去ることが出来るかどうかが、新世代のOSに問われていると思います。


PalmSourceの今後の展開に期待したいと思います。