183.アテンション・プリーズ2: 鑑真にて (2003/08/27)

1985年7月、私は中国の貨客船「鑑真」に神戸から乗船し、海路、中国の上海を目指していました。神戸から出国すると、パスポートには珍しい「KOBE」と書かれた出国スタンプが押されます。船内で乗船手続きを終え、後は48時間後に上陸するまでの長い船旅と思って船室にいました。


ところが、先ほどからどうも船内で人を探しているようです。何回も放送が入りますし、船員が船室ごとに顔を出して探しに来ています。どうも、乗船手続きをしないまま乗ってしまった人がいるようです。


私は、そのうち騒ぎが収まるものと思って、悠然と構えていました。同じ船室の日本人の学生たちは、ちゃんと手続きが終わっていないと、中国に入国できなくなるなどと話していました。


さて、そのうち収まると思っていたのですが、一向に解決する気配はなく、その後も何度も船員がやってきますし、呼び出しの放送も続いています。そのころになってやっと、放送で何を言っているか、聞けるようになってきました。


よく聞いてみると、何と私の名前を呼んでいるではありませんか!しかし、発音が中国語訛り(音読み?)である上に、最後に「先生」がついているので、まったくそれまで気付きませんでした。


あわてて、上のデッキに上がり、何事かと聞いたのですが、どうも乗船手続きと同時に、中国への入国の手続きの一部をやるはずだったのが、私だけ乗船手続きしかしていなかったのだということでした。


船の放送が聞こえにくく、発音が違っていて、先生まで付いていたので、かなり長い間気づくのにかかってしまいました。鑑真はその年から運行をはじめ、私が乗ったのはまだ3便目だったので、手続きも慣れていなかったのかもしれません。


この中国旅行は、スタートでつまずいただけに、その後も波乱に満ちたさまざまな経験を重ねていく事になります。上海から、桂林、武漢、南京、蘇州と周り、また上海から鑑真に乗った時ほど感傷に耽った事はないでしょう。一番思い出深い旅の始まりの、些細な出来事でした。