人々の解釈は様々です。これらの戦争の傷跡を訪れても、すべての人が同じ感想を持つとは限りません。
広島の原爆に関しても、核兵器の問題を強く意識する人もいれば、戦争そのものの悲惨さを感じる人もいるでしょう。実際に自分の家族が犠牲になった人には、弔いの意味もあるでしょう。相手国に対する反感を強く感じる人もいるかもしれません。
アンネ・フランクの家とテレジンは、ナチス・ドイツの狂気に満ちた歴史を物語っているのには違いないのですが、それを単にゲルマン民族至上主義に走ったドイツ国民固有の問題と見るか、戦争における民族主義の過激化が戦争における日常であると解釈するかは、分かれるところだと思います。
私は訪れていないので今回は紹介していないドイツ国内の捕虜収容所跡は別にして、どの施設も自国が犠牲になったものばかりです。例えば日本国内に今も残されている毒ガス製造の設備などは、戦争の傷跡として公開されるべきものであるかもしれません。しかし、これはなかなか難しいことです。ドイツが自国の捕虜収容所跡を公開している姿勢の非凡さを、改めて感じます。
アリゾナ・メモリアルで、自分が日本人であると言うことは、少なくともその場においてはうれしいことではありません。実に居心地が悪い訳です。広島にアメリカ人が行ったとしても同様でしょう。ただ、これらの大きな傷跡を残してしまった事を事実として認めながら、平和な世界をどのように作り出していくか、お互い知恵を絞っていくことが大切だと思います。人類には、知恵がある筈です。
最後に、参考になるインターネットアドレスを、いくつか記しておきたいと思います。