167.戦争の傷跡4: アリゾナ・メモリアル (2003/08/09)

もし、あなたがハワイのワイキキに行って、あまりの日本人の多さにうんざりしたならば、アリゾナ・メモリアルは格好の避難場所になるでしょう。ここで、日本人に出くわすことはですから。1994年9月に私が行った時も、日本人には一人も会いませんでした。


ホノルル空港からわずか2マイルしか離れていない、真珠湾の中のフォード島にアリゾナ・メモリアルはあります。1941年12月7日、午前8時から10時までの2時間の攻撃によって、戦艦アリゾナ沈没して完全喪失したのを始め、戦艦オクラホマ転覆戦艦カリフォルニアウェスト・バージニア沈没戦艦ユタ転覆戦艦ネバダ座礁しました。


これら以外にも、被害は甚大であったようですが、同時に日本軍にも多くの犠牲を伴いました。一説によると、真珠湾は浅瀬であるため魚雷が使えず戦艦には安全であると考えられていましたが、旧日本軍が開発した、投下後すぐに浮かび上がる事により浅瀬でも使えるようにした魚雷によって、攻撃されてしまったと言われています。


USS戦艦アリゾナは、弾薬庫に点火したため被弾からわずか9分足らずで、1,177名の乗組員を巻き添えに沈没したと言います。アリゾナ・メモリアルの建物は、その沈んだ戦艦の残骸を跨ぐようにして作られており、対岸のビジターセンターからボートによって訪れることが出来ます。


50年以上たった今なお、沈んだ船体からは、当時の燃料である重油が、時折ポッカリと浮いてくることがあります。船体に閉じこめられたが抜け出すように、こっちからポッカリ、また向こうでポッカリ浮かんでくる油を見ていると、私達に何かを語りかけ訴えているように思えてきます。


正義の名の下に今も行われ続けている戦争。人類の知恵を結集して戦争だけは避けなければいけないと、アリゾナ・メモリアルは私達に警告を発しているのに違いありません。