165.戦争の傷跡2: アンネ・フランクの家 (2003/08/07)

アンネの日記を初めて読んだのは、おそらく小学校の高学年の頃だったと思います。その後、大阪の松坂屋で、アンネ・フランク展なるものを見る機会がありました。ユダヤ人の髪の毛で織った絨毯に、心を締め付けられる思いをしたのを覚えています。


1987年に新婚旅行でオランダに行った時に、アンネ・フランクの家に行きました。アムステルダム駅から歩いて10分ぐらいのところにありました。すぐ横をきれいな運河が流れ、運河観光の船が行き来しています。


昔、ネスカフェの宣伝で見た事のあるような美しい風景の中に、その家はありました。現在では、建物の傷みが激しくなって来た為に、見学のルートが変わっているそうですが、以前は比較的ありのままの姿を見る事ができました。アムステルダムの典型的な町屋である建物の構造も、一見の価値があるようです。


裏の隠れ家への入り口であった本棚を潜り抜けると、様々な備品が当時の様子を物語ってきます。アンネが姉と、身長の伸びをしるしを付けて記録した柱の跡に、実際にここに住んでいたのだと実感させられます。


アムステルダムの街は思ったよりも小さく、2つの正教会の鐘の音が街のあらゆる所から聞こえ、いかにもヨーロッパの古い街にいる事を知らされるのですが、アンネの家の一番上にある窓からは、裏庭西教会の塔が見えます。


おそらく、時が経っても変わっていない風景は、ナチスに連行された時と同じものだったに違いありません。その窓の風景を、しばらく眺めていました。教会の鳴り渡る鐘の音を聞いていると、過去に引き戻されてしまうのではないかとさえ思えてきます。


アムステルダムには、あとレンブラントの生家があったり、王宮と美術館がある程度で、それ程見所が多い訳ではありません。しかし、もしこの街に滞在する機会があれば、是非アンネの家を訪れる事をお勧めしたいと思います。