104.朗読とは殊に難しい物である (2003/05/24)

先ほど、エアーボンチアメリカンジョークその2アメリカンジョークその3を紹介していただきました。ありがとうございました。余りにも、ちんさんがまじめに演じられているので、逆に聞いている方が緊張してしまいましたが、朗読というのは難しい物だと言うことを改めて感じながら、昔の経験を思い出していました。


もう35年ぐらい前になりますが、私の通っていた小学校では、毎朝校庭で朝礼があり、校長先生のお話やラジオ体操をやっていたのですが、雨の日は、放送室から校内放送を使って、各教室のテレビに朝礼を放送していました。


今でこそ、小学校に行けば各教室にテレビやビデオがあるのは、当たり前になりましたが、当時はまだカラー放送も少なかった時代で、しかもそのテレビ放送を、小学生だけで運営していたのは、全国的にも珍しかったのです。


視聴覚部に属していた私は、お昼の放送の担当でした。みんなが給食を食べている間、物語などの本を朗読するのです。私は、本を読むのは好きだったのですが、この朗読をするのはいやでした。3人で担当していたのですが、誰もやりたがらないので仕方なく朗読していたのですが、1人だけ遮音された放送室に入って、マイクに向かってただ本を読むのは、苦痛以外の何物でもありませんでした。


しかも、他の2人が機械室の方で、おしゃべりしながら給食を食べているのが、二重になった窓越しに見えているのです。しかも、生放送で直前になって、読む本が渡され練習なしで本番ですから、読めない字があった時の焦り様は、大変な物でした。


放送には失敗が付き物です。その当時小学校では、時間が授業とずれていた教育番組を録画しておいて、授業時間に放送室から放映していたのですが、そのビデオデッキが1インチのオープンリールで、巻き戻しをしようとした私は、上下を逆にしてしまい、再生してみると、NHK教育テレビの先生が逆立ちをして出て来たのにびっくりしたことを覚えています。


普通のオープンリールのテープレコーダーしか知らなかった私は、テープにはA面とB面がある物と思い込んでいましたから、間違った方向に巻き取ってしまったのです。


今日、ちんさんが朗読されているのを聞きながら、その昔の苦労を思い浮かべるに付け、エアーボンチも大変な苦労の上に生み出されていて、それをやり通そうとするちんさんの、並大抵ではないパワーを感じないわけには行きません。


ところで、ちんさんもエアーボンチでおっしゃってますが、アメリカンジョーク今一でしたか?私も責任を感じております。まあこれは笑うのが目的ではなく、文化比較論の実例として、教材の一つであるとお考え頂ければ幸いです。


ネットワーク時代に情報の大量消費を支えていくのは、エアーボンチのような情報を発信して行く個人にかかっています。ちんさん、応援しています!(来週も聞こっと!)