592.電卓はテキサスインスツルメンツに限る! (2006/07/18)

パームコミュニティーにおいて知らぬ者はいない老舗サイト、"WorP@holic"「エキスパート電卓!」という記事が掲載されています。電卓の中でも高度な計算が可能である、グラフ表示機能付き電卓が紹介されています。


パームも電卓にかなり似ていますから、パーム好きの人の中には電卓も同様に好きな人も多いのではないかと思います。私も電卓を集めるほどではないのですが、電卓の魅力を少なからず感じてきたのは事実です。


思えば、電卓に平方根の計算機能が付いたのが高校の頃でした。カシオが「カシオミニ」と言う製品で、ルート計算を売り文句にしていたのを懐かしく思います。当時はテレビで頻繁に、黒柳徹子出演の電卓のCMを流していたのです。それ程、計算がボタンを押すだけで出来るというのが画期的だった時代でした。


そう言えば、高校の化学の試験では計算尺の使用だけが認められていて、友人の中には、計算尺を大阪の旭屋書店まで買い求めに行っていたやつもいました。建築用、電子工学用などと用途に応じて様々な計算尺があり、それらを次々に買い集めていました。


当時の電卓は、やっとルート計算ができるようになった時代ですから、まだまだ関数電卓と言えるような物はありませんでしたが、それから2-3年後には、ほとんどの関数に対応した電卓が、1万円台で手にはいるようになりました。


始めてアルバイトをして買ったシャープの関数電卓(EL-5000)がまだ手元にありますが、プラスチックの筐体が一部溶けていたりしてかなりガタが来ています。しかし、計算の機能は全く問題なく作動します。当時はまだ、蛍光表示管が主流で、電池も単三電池が4本必要でした。


当時、テキサスインスツルメンツの電卓はプログラム電卓が主流で、独特の蛍光表示装置と相まって独特の雰囲気を醸し出しており、いつかはTIの電卓を持ちたいと思っていたものです。


それから20年ほど時は経ち、関数電卓もほとんど使わなくなったころ、ふとディスカウント店にぶら下がっていたTIの関数電卓が目に留まりました。


TI-36X SOLAR


憧れていたTIの電卓が、わずか3000円ほどで手に入るのです。例え関数電卓はもう使わないとしても、買わないわけにはいきませんでした。


買ってから説明書を読みあさりましたね。すべての関数、すべての機能を理解して使いこなせるようになりたい一心で。今ならハンディーゲーム機や携帯電話機がありますが、昔は電卓がデジタル機器への入り口だったような気がします。


いまだに電卓が機能を拡張しながら健在であることに、少しうれしくなってしまいました。

591.インドと同じぐらい暑い日本 (2006/07/15)

暑い日が続いておりますが、皆さんは如何お過ごしでしょうか? 久々のサイトの更新でございますが、まだ細々とサイトの方はいじっておりますので、お忘れなきようお願い申し上げます。


しかし暑いですねぇ。外回りをしなければならないときにはぐっしょりと汗まみれになっております。しかも最近の若者と来たら(年寄り言葉)、男性もパンツを見せパンにしているのですね。しかしまだ女性の見せパンなら我慢しますよ。この暑い日中に、電車の中で男性のパンツを見せられると言うのは、むさ苦しい、暑苦しい、気持ち悪苦しい、、、


仕事は相変わらずインド人と一緒にあくせくあくせく。「日本の夏は暑いでしょう?」と聞くと、「インドと余り変わらないかなぁ」とさ。「何だ、日本はそれ程暑くないんだ」と思って安心するも、「インドと同じって事は、かなり暑いんだな!」と逆に感心しているのでした。インドで一番暑いのは4月と5月だそうで、雨期にはいるとそれ程暑くはないそうです。


このインド人は、もう既に日本に来て1ヶ月以上経っており、今年の大阪地方は梅雨としては余り雨が多い方ではないためか、このインド人の日本の雨期はインドに較べると余り雨が降らないと言う感想を持ったようです。


また、日本の遠くの山の景色がいつも霞んで見えることが不思議なようで、いったいどのような現象なのかと聞かれてみても、埃かスモッグなのかなあと。確かに今年は春ごろからずっと遠くの景色が霞んでいることが多いと思うわけです。


まあ、インド人と毎日のように会話していると、一通りの話題は片が付いてしまっているので、海外のニュースなどについて話す機会が多くなります。そこで先日のインド列車テロのニュースに話題を振ってみると、さほど驚いていない様子です。


余り英語で聞いても理解できていないからかも知れませんが、タリバンは聞き覚えがあっても、その他多くのテロ組織がインドやスリランカ、アフガニスタンに点在しているようで、それぞれの勢力や動向について説明してくれるのですが、あまりの複雑さにほとんど記憶に残っておりません。


このインド人は、ほとんど海外旅行などはしないと言いながら、東京に出張に行ったついでに、はとバスに乗ったり東京ディズニーシーに行ったかと思うと、大阪はユニバーサルスタジオ海遊館、はたまた広島の原爆記念館宮島に行ったりと、かなりの行動派のようです。


そろそろプロジェクトの区切りがつくと見ると、日本の電子ガジェットを物色し始め、またインドの家族にフードプロセッサーを買うなどと、日本をかなり堪能しているご様子。インド人の仕事におけるバイタリティーもかなりのものですが、トラベラーとしてもかなりがんばっているようです。


まあ確かに私がUSに出張で行った時も、同じようにやれ観光だやれアウトレットだと慌ただしく動き回って、アメリカ人にいつも感心されていたものでした。


さて,この週末は3連休です。また私が行ったことのないところへ出かけている事でしょう。来週もまた話題を提供してもらいましょう。(自分で話題を作れないのが少し悔しい。)

590.嗚呼パワーポイントは明日も行く! (2006/07/02)

相変わらず、右往左往しております。サイトの更新もなかなか思うようにいかず、とりあえず更新の少なさがバレてしまう月ごとのアーカイブを削除してみました。(何にも解決になっていない!)


仕事の方は相変わず、毎週のように上京しお客様にお伺いを立てているのですが、一向に進展する兆しがありません。しかも、"No Pay"ですから、お客様と言えどもいつまでも相手をしているわけには参りません。今週には何とか打開したいものです。


さて、思いノートパソコンを引きずりながら、新幹線に乗り込んでいるわけですが、結局パソコンでやっているのは、エクセルパワーポイントのドキュメント作りと、メールの読み書きだけです。


それだけならPDAで十分だと思うのですが、なんせ世間体がそれを許しません。(というか、最近ノートパソコンを開いていないと、落ち着かなくなっている人が多い!) 


最近になってこれまで以上にエクセルやパワーポイントを使うようになって、少しばかり凝ったコマンドにも慣れてきたところですが、しかも考えてみれば、エクセルやパワーポイントを最近頻繁に使うようになって思うのは、その機能は25年ぐらい前マルチプランマルチツールチャートから、ほとんど変わっていないことです。


思えば、まだ世間ではそれ程端末がビジネスシーンで普及していなかった頃、またその頃の多くの端末はホストに専用回線で接続されていた頃、ワークステーションと称してパソコン機能を追加した一台二役の端末が登場してきたのです。


その頃のパソコンの機能として追加されていたのが、当時まだベンチャー色を残していたマイクロソフトが世に放った、マルチプラン(表計算ソフト)とマルチツールチャート(チャート作成)でした。


マルチツールチャートは、今のパワーポイントそのものでありました。何とかという(調べておけよ!)データベースソフトもあったように記憶しておりますが、今で言うアクセスに相当するものに引き継がれているのでしょう。日本語ワープロはまだ黎明期で、マイクロソフトの他のツールとは、ディスケットのフォーマットが異なっていました。


今、エクセルやパワーポイントのドキュメントを毎日のように作成していると、25年前に戻ったような錯覚に陥ります。パソコンの性能は確かに格段に上がりましたが、やっていること、出来ることはあまり変わっていないと言うことに改めて気付かされます。ビジネスにおける生産性は、この25年でほとんど変わっていないと言うことでしょうか?


確かにノートパソコンは25年前にはありませんでしたし、液晶を使ったプロジェクターのありませんでした。しかし、パソコンでしこしこドキュメントを作っている姿は、ほとんど変わっていないように思えます。


明日もまた、作り上げたパワーポイントファイルを装備したノートパソコンを肩からぶら下げて、新幹線に乗り込むのでした。