514.JR宝塚線再開に思う (2005/06/21)

55日ぶりにJR宝塚線の運行が再開されました。通勤・通学が始まった昨日は、主要駅に報道陣も駆けつけ、空にはヘリコプターが舞い、騒然とした中での再開となりましたが、今日は落ち着きを取り戻し、以前と同じような朝の風景に戻ってきました。


再開された列車の先頭車の状況は、既にGEEKpanheadさんが昨日報告されておられますので、私の担当は最後尾、車掌室の様子などをご報告させていただきたいと思います。


昨日は、駅の係員も含めて3人がかりで、ホームの停止位置マークを指差しながら「停止位置よしっ!」はいささか大袈裟。そのあとも背広姿の社員が車掌室に乗り込んできて、発車のあとの確認点呼を車掌と一緒に繰り返していました。


「ホーム異常なし!」「ホーム異常なし!」「車両状態よしっ!」「車両状態よしっ!」と繰り返すのは良いのですが、車両から身を乗り出している車掌が確認するのは当然として、車掌室の中にいる背広の社員には車外の様子が判る訳がありません。


取って付けただけの確認点呼では意味がないと思っていたら、早速今日からは背広社員が乗り込むこともありませんでした。報道関係者へのデモンストレーションだと言われても仕方がないでしょう。


最高速度が120Kmから95Kmに制限されたと言っても、それ程遅いと感じるほどではなく、振り替え輸送で使っていた阪急電車に比べると、まだ十分に速く感じます。


今回最高速度を下げたことによって、宝塚・尼崎駅間で2分ほど余分に時間が掛かるようになりますが、これはもともと中山寺駅に快速を停車させるために、無理に圧縮したのを元に戻したに過ぎません。


快速を中山寺駅に停車させたときに所要時間を延長しなかったことが、その後の定時運行を困難にさせた原因のひとつと言えるでしょう。今後、宝塚・中山寺間に駅を新設するという話もあるようですが、同じ過ちを繰り返さないようにしてもらいたいものです。


事故現場を通り過ぎる時は、少し寒気を感じます。カーブに差し掛かり、この辺りで脱線した思われる位置から衝突したマンションまでは、想像していたより距離が長いと感じました。


この距離を先頭車両は地面に触れることなくマンションまで到達したのですから、コースを外れたジェットコースターのようにすっ飛んで行ったのでしょう。


この事故によって、多くの命が失われました。その犠牲のおかげで、これから安心して電車に乗ることができるようになる、という意見も聞かれます。


しかし、果たしてどれほど安全性が向上したのでしょうか?まだ誰も気付いていない危険が、たくさん潜んでいるような気がします。

508.「脱線はしないものだと思っていた!」 (2005/06/03)

JR宝塚線の悲惨な事故から1ヶ月以上が過ぎました。もうだいぶ前のことのように感じますが、まだまだ大勢の方々が入院生活を強いられておられますし、亡くなられた方々の無念の思いは弱まることはないでしょう。


JR大阪駅に到着する列車では、運休に伴う振り替え輸送についてアナウンスが繰り返されています。「脱線による事故の為、振り替え輸送を行っております。」と毎日聞いていても、脱線と言う言葉の異様な緊張感を毎回感じない訳にはいきません。


事故が起こった当初は、「速度制限を何十キロもオーバーするなんて、常識では考えられない。」と語る関係者がほとんどでした。しかし、最近のテレビ報道でJRの現役の運転手が、「スピードオーバーで脱線するとは思っていなかった。」とも言っています。


極端な場合、制限速度の倍の速度で走っても脱線はしないと信じていた運転手もいたようです。本来重要な意味を持つはずの制限速度に対して、その捉え方にばらつきがあったことに注視するべきでしょう。


自動車の運転においても、制限速度は常に付きまといます。直線区間の制限速度が、カーブや交差点の近くでさらに制限されることは良くあることです。


もう15年ほど前になりますが、USの地方国道を夜中に走っていた時のことです。日本に比べて路肩が広いため楽に走ることができる反面、周りが真っ暗ですから、道路がどこまであるのかを注意していなければなりませんでした。


センターラインが消えかかっていたため、カーブの手前にある右カーブか左カーブを示す矢印の標識を頼りにしました。矢印の下にはカーブでの制限速度が書かれています。ある所で州境を越えてから、道路はそれまでと同じように続いているのですが、何かが変です。


カーブの途中でブレーキを踏まなければ、カーブを曲がりきれないのです。それまでは、カーブの手前にある制限速度を10マイルぐらい上回っていても大丈夫だったのが、隣の州に入った途端、制限速度まで速度を落とさなければ曲がりきれなくなったのです。


カーブにおける制限速度は、限界の速度にある程度の安全率を加味して決めるものでしょうが、隣同士の州においてさえ、限界速度や安全率の設定に差があったと言うことでしょう。それからは、カーブの制限速度を忠実に守って運転したことを覚えています。


高速道路でトラックやバスが転倒する事故があります。重心が高いこれらの車両は、車線変更のような左右に連続してハンドルを切る動作を急に行うと、いとも簡単に倒れてしまうそうです。


また、ヨーロッパでは高速道路にシカなどの大型動物が飛び出すことを想定して、新型車を認定する時、急激な連続ハンドル操作を伴う「エルクテスト」なるものが課せられています。ベンツのAクラスが当初見事に転倒したそうですが、意外と自動車の限界性能は低いものなのでしょう。


列車がカーブで速度超過で脱線したと言う事実。安全神話が崩壊したと言われています。カーブを曲がりきれなかったという、もっとも基本的な運転技術に未熟さが残っていたのかもしれません。


「脱線はしないものだ」から「脱線するかもしれない」という意識の変化が、重要な意味を持つように思います。


(私もそろそろ振り替え輸送に疲れてきました。)

507.「ドアが閉まります」から「ドアを閉めます」に変わった時 (2005/05/26)

もう2、3年前になるでしょうか、JRの大阪近郊を走る電車で、車両のドアが閉まる時の車掌のアナウンスが変化した時がありました。


それまでは「ドアが閉まります」であったのが、「ドアを閉めます」になったのです。車掌のアナウンスに限らず、駅の構内アナウンスでもほとんど同時に変わっていったように思います。


聞きなれた言葉が急に変わると違和感があるものです。それと同時に、以前より少し厳しい言い方であるように感じました。「なんとなく閉まってくるドア」から「意思を持って閉まって来るドア」に変わったのです。


例えば京浜急行電鉄では、以前から「ドアを閉めます」を使っているようですが、確かに他の鉄道会社に比べて、駆け込み乗車をしてドアに挟まった乗客に対して厳しいように思います。


また、「JRでは定時運行に努めております。駅でのスムーズな乗り降りにご協力ください。」という決まり文句も、この頃から始まったように思います。


当時は、年に数回のダイヤ改正の度に速度の向上が図られ、新快速の新型車両によって130Kmの高速運転が始まった頃でした。主要な駅間に要する時間が、新しいダイヤが発表されるごとに短縮されていきました。


おそらく高速運転だけでは新ダイヤを実現するには十分でなく、停車駅での乗降時間も削られていったものと思われます。


インターネットで調べてみると、日経ベンチャーのサイトに“「駆け込み乗車」という習性につける薬はあるか”と記事がありました。


その記事によると、どうも「ドアを閉めます」と言い出したのは、JR宝塚線宝塚駅2001年8月に始めたのが最初であるとされています。宝塚駅が、今回の事故を起こした列車の始発駅であったことは、単なる偶然ではないかもしれません。


JR宝塚線の事故から1ヶ月が経ちましたが、停車駅での乗降時間を短縮したことが、列車の定常的な遅れの原因であるとされています。


JR西日本は、「ドアを閉めます」、「定時運転に努めております」を連呼するようになる以前のダイヤに、戻す必要があるのかもしれません。

505.個人情報保護法とハンドルネーム (2005/05/23)

個人情報保護法が、今年4月1日に全面施行されました。これまで個人の情報は、それ程注意を払って取り扱われることがなかったため、知らないところで名簿が売買されていたり、アンケートに書いた内容がとんでもないところで流通していたりしていました。


子どもが通う小学校でも、クラス替えに伴う名簿の作成をしていません。ですから、生徒の電話番号や住所は、本人から直接聞くしかありません。また会社でも、昔は社内の電話番号のリストを配っていましたが、かなり前から作成しなくなりました。


個人情報保護法が施行されると、病院の受付で患者さんの名前を呼ぶことが出来なくなるので、取り違えが起こりやすくなるという心配がされていました。しかし、厚生労働省から次のようなガイドラインが出されています。


受付での呼び出しや、病室における患者の名札の掲示などについては、患者の取り違え防止など業務を適切に実施する上で必要と考えられるが、医療におけるプライバシー保護の重要性にかんがみ、患者の希望に応じて一定の配慮をすることが望ましい。

これを受けて、基本的には患者さんの名前を呼び、本人が希望した場合だけは名前以外の方法を使うという医療機関がほとんどのようです。また、名前で呼ぶときも、必要最小限の音量と繰り返し回数に留めるように心がけると説明している場合が多いようです。


銀行の窓口などで、番号札を発行して順番に対応している場合がありますが、番号で呼ばれても気付かない人が多いようです。自分の名前には本能的に反応しても、慣れない番号には意識していなければ反応しないのでしょう。


医療機関に置いては、個人情報の保護よりも取り違えの方が事が重大ですから、名前に代わる呼び方は難しいかも知れません。


ところで、USでは名前を愛称で呼ぶことがほとんどです。「クリス」やら「ジョー」やら「スー」のように、よく使われる覚えやすいものがほとんどです。USでは初めてあった人に、"Mr.xxxx"なんて呼び方をしても、「ただクリスと呼んでくれ!」と言われる事がほとんどですが、ヨーロッパ人の場合は、日本と同じく名字で呼ぶようです。


以前、物知りのアメリカ人と話しをしていたとき、なぜUSだけが愛称を使いたがるのかを考えたことがありました。その時の結論は、USは移民の国であり、名字(Last Name)には出身国の特徴が表れるため、それを知られたくない人が、意識的に名字を使うことを避けたからであろうと。


McDonaldのように、頭にMcがあるだけでアイルランド出身だと判ってしまうものもありますし、何となくドイツ系だなと思う名前を見つけるのはそれほど難しくはありません。名前を出すたびに出身地も知られてしまうのがイヤだった人もいたのではないでしょうか。


そこで出身地の情報を持たない名前(First Name)をもっぱら使い、しかもそれを簡略化することによって、性別が判る程度の情報しか含まないようにした愛称を、日常的に使うようにしたのではないかと言うのです。


つまり、USで使われている愛称は、ハンドルネームそのものなのです。


日本でも携帯メールの普及によって、ハンドルネームを日常的に使っている人が増えています。また誰が見ているか分からないインターネットの世界では、ハンドルネームは必須と言えるでしょう。


個人情報保護法の施行によって、自分の名前をむやみに大衆の面前で使うことを躊躇するようになれば、そのうち病院の受付ではハンドルネームを呼ぶようになるかも知れません。


「ぱむとろさん、3番の診察室にお入りください!」

498.アーバンネットワークの功罪 (2005/05/08)

今年は連続して休んだ為、明日から出勤です。休みが長くなればなるほど、休み明けの出勤は気が重くなるものです。通勤に使っているJR宝塚線の復旧も、まだ全く目処が立っていないようです。


今回の事故原因の一つに、列車のスピードアップが挙げられています。確かに、速度が増せば増すほど危険性が増すのは確かです。安全性の向上が、速度を上げる上での必須条件であることは言うまでもありません。


以前、新幹線の運転を紹介したテレビ番組を見たのですが、時速200キロメートルを超える新幹線の場合、運転手は列車の前方を見なくても良いそうです。つまり、前方の確認義務がないのです。


人間の視界に障害物が入ってからブレーキをかけても、全く意味がないのでしょう。運転手が注視するのは、運転台の表示灯や速度計、運行計画表と時計です。新幹線の安全性は、従来の鉄道と全く違う次元で保たれているようです。


JR西日本の、在来線におけるスピードアップ過密ダイヤによって、日常的な遅延が発生していることに疑問はありません。しかし、遅延にはそれら以外にも多くの原因があります。特に、旧東海道・山陽線は、姫路エリアから米原に至る長距離を走り抜けるため、そのどこかで発生したトラブルが全体に影響を及ぼすことが頻繁にあります。


濃霧や積雪の影響、早朝に起こった人身事故、踏切での無理な横断、車両や信号機の故障、九州から来る夜行列車の遅れ、架線事故、等々。他の私鉄に比べて圧倒的に長い距離を一つの列車が走る事によって、遅延につながる原因の発生頻度が高くなってしまうのです。


また、JR尼崎駅で2つの線が合流するため、それぞれの遅延が互いに影響を及ぼしあい、さらに遅延が頻発することになります。


しかし、長距離路線によるメリットも見逃すわけにはいきません。観光のために兵庫県の姫路から滋賀県の長浜まで、新快速で訪れる人は決して少なくはありません。また、これまでは通勤・通学が不可能だった地域が、JRのアーバンネットワークによって可能になったケースもあります。


ニュータウンをいくつも抱える三田市が、人口増加率で全国トップを誇ったのも、JR福知山線の電化がなければあり得なかったでしょうし、これまで大阪地区から通学が困難だとされていた奈良の学校も、今では通学圏内に入っています。


JR西日本のアーバンネットワークに対抗するように、阪神電鉄、山陽電鉄と近畿日本鉄道を結んで、姫路ー奈良直通特急が計画されているようです。


従来、神戸方面から奈良方面に抜けていく直通ルートがなかったため、京都に比べて奈良は実際の距離に比べて遠い印象がありました。新しいルートによって、奈良と神戸の実質的な距離が縮まる事でしょう。


日本の都市の発達において、鉄道は大きな役割を果たしてきました。しかし、この事は逆に考えれば、鉄道の安全性の崩壊は、同時に都市機能の崩壊を意味すると言うことではないでしょうか?


今回の事故の経験を踏まえ、理想的な鉄道とは何か?都市機能のあるべき姿は何なのかを、真剣に考える事が大切だと思います。