270.年賀状雑感 (2003/12/08)

年賀状のシーズンになり、いくつかのパーム系サイトでも年賀状の作成の話題が掲載されています。


年賀状には表と裏がありますが、実質的な年賀状の内容である裏が面倒であるのは当然として、表の宛名書きも相当に面倒であるわけです。


世の中には、達筆をして宛名書きを本物の筆を使って、あっという間に書き上げてしまわれる方もいらっしゃるとは思います。また裏の本文に関しても、干支の絵なども一筆書きで描いてしまわれる方もおられます。正に芸術的な才能と言えましょう。


このような芸術的な年賀状を作ることができない私のような一般人には、パソコンの年賀状ソフトはほどほどの見てくれの年賀状を、最小の労力で作ることができる救いの神であります。ましてや裏だけではなく表の宛名書きに関してもプリンター任せにできるのは、私のように字を書くことを得意としない者にとっては、欠かすことのできない物になっております。


パームの住所録さえ完璧にメインテナンスをしていれば、エクスポートか年賀状ソフトと同期を取る事によって、若干の修正を必要とするにしても、あっという間に年賀状の表書きを完成させることができるのです。


このようにパソコンの便利さによって、もう以前の年賀状の作り方には戻れないようになってしまいましたが、実は過去にはとんでもなく面倒くさい方法で、年賀状を作成していたことがあります。


今、年賀状として写真を送りたい場合、自分でパソコンでデジカメ画像を取り込んでも良いですし、フジカラーなどが行っているポストカード写真を使えば簡単にできます。しかし私が社会人になった頃は、まだそのような物はありませんでした。


今でも写真材料店で売られていますが、ポストカードになる白黒印画紙があります。フジブロマイド月光といった銘柄があり、厚手のバライタ紙でできています。このバライタ紙は、現在主流のレジンコート紙(RCタイプ紙)ではなく、にかわに乳剤を含ませた印画紙であるため、印画紙の水洗や乾燥の工程が大変面倒でありました。


私の世代では、普段の白黒印画はRCタイプを主に使っていましたから、バライタ紙の処理をするのは年賀状の時だけで余計に面倒に感じました。


年賀状ですから、原稿になる写真だけではなく、文字を入れる必要があります。「謹賀新年」の文字を入れる場合、白抜きなら重ねて一度露光をすればいいのですが、黒抜きにしなければならない時は、2度露光が必要になり余計に手間が掛かりました。


露光、現像、停止、定着、水洗促進、水洗、乾燥と、それこそ浅草の手焼きせんべいのように一枚一枚手作りで作業をしていくのです。


いつも徹夜で作業をしておりました。また使用する写真や文字抜きのテンプレートの準備にも、結構な時間をかけていました。


最後にこの方法で年賀状を作ったのは子供が生まれた年でした。べた焼きで10枚ぐらいの子供の写真を1枚の年賀状に焼き付けたのですが、パーフォレーション(フィルムの穴)が写っており、ドキュメンタリー風で好評でした。


写真を見せる立場からすれば、べた焼きはあまり面白くないのですが、この方法はいつかやってみようと長い間構想を練っていた手法でした。結局、それを最後に白黒印画紙を使った年賀状は出さなくなりました。


今も、私のデスクトップ・パソコンの横には、Lucky G70と言う引き伸し機が鎮座しております。足元にある現像バットが、パソコンを使う時いつも邪魔になります。また使う日が来るのでしょうか?

261.コニカミノルタに代わる名は無し (2003/12/01)

asahi.comに、新生コニカミノルタの名前にまつわる話が掲載されています。コニカミノルタの会社発足からの社名の変遷とともに、経営統合による新社名の由来を綴っています。


コニカとミノルタは、どちらも似た雰囲気を持った会社ではないかと思います。日本における写真産業の黎明期に創始された事や、写真を愛した創始者の意志を今も受け継ぐ風土など、共通した部分が多いのではないでしょうか?


私にとっては、コニカと言うより小西六写真工業の方が馴染みがあったのですが、社会のニーズを的確に捉え、ストロボ内蔵コンパクトカメラ「ピッカリコニカ」自動焦点コンパクトカメラ「ジャスピンコニカ」など世界初の製品を数多く輩出して来たメーカーとして有名です。


また、それまで20枚取りであったカラーフィルムを、「4枚増えて値段は同じ!どっちが得かよーく考えてみよう!」のCMで、話題をさらったこともありました。消費者の側に立った商品企画のできる、数少ない会社のひとつだと思います。


一方のミノルタも、ライツ社との提携「ライツミノルタCL・CLE」世界初の両優先AE一眼レフ「ミノルタXD」を経て、一世を風靡したシステム自動焦点一眼レフカメラ「α7000」を完成させます。


このようにどちらの会社も、既成概念に捕らわれない、チャレンジ精神旺盛な体質を持ち合わせているのですが、それと同時にビジネス的には控えめである辺りが面白いところです。


コニカもミノルタも、如何にも日本的なネーミングであったようですが、対するキャノン「観音」から由来していると聞いています。当時、新しい技術を使ったカメラ産業に、このような古風な名前が付けられていったのも、日本の伝統を大切にしながら、その土台の上に新しい技術を開拓して行こうとした気概を感じるのは、少し考えすぎでしょうか?


写真産業が発達する段階で、写真文化の発展に寄与した人物も数多くいます。土門拳木村伊兵衛と同じ時期に活躍した、ハナヤ勘兵衛もその一人です。


その写真文化黎明期に活躍したハナヤ勘兵衛氏が作った写真屋が、今も兵庫県の芦屋市にあります。日本における写真の歴史をそのまま刻んで来たような写真店です。


最近は、ミニラボや取次店ばかりになってしまい、本当の写真屋はほとんど見かけなくなりましたから、コニカ、ミノルタが創業した頃から存在している写真店も、これまた貴重な存在であるに違いありません。


asahi.comの記事は、コニカミノルタに代わる名前の候補は有り得なかったと結んでいます。新生コニカミノルタが、これまでのお互いの会社の歴史や伝統を大切にしながら、これからのデジタル時代に相応しい革新的な新製品を生み出していく事に期待したいと思います。

260.旅の余韻 (2003/12/01)

師走になってしまいました。あと今年も残すところ1ヶ月です。しかし、今日はまだ260回目の雑記を書いていると言うことは、まだ40回残っていると言うことです。さすがにだんだん苦しくなってまいりました。


ところで旅行と言うのは、日常と違った体験ができるところが良い訳で、それこそが目的であったりする訳ですが、いつもと違った体験を、そのままに受け入れて新しい価値観を見出してくるところに、旅行をする目的のひとつがあったりするのではないでしょうか?


いやいや、実はそんなに難しく考えているわけではありません。ただ言い訳をしているだけなのです。PalmTrotterは、日常身の回りに起こっていることに、突っ込みを入れるところから始まります。ところが、旅行から帰ってしばらくは、何を見てもすんなりと受け入れてしまい、突っ込もうと思わなくなっているのです。感覚が鈍っているというか素直になってしまったと言うか、これではPalmTrotterの雑記にはなりません。


さて、旅には様々な構成要素があります。私は、それらを生活の3要素「衣食住」に掛けて、旅行の3要素「移食住」を提唱しています(誰にしているのだ?)


「移」移動するための方法です。旅行と言うぐらいですから、移動しなければ始まりません。交通手段や徒歩で移動することが、旅行をするにはまず必要です。


次に「食」ですが、これは食事をどうするかと言うことです。最低限必要な食事に留まる場合もあれば、地元の名物に舌鼓を打つこともあるでしょう。ただ、初めて行く場所でおいしい食事にありつくには、ある程度の下調べとが必要になります。


最後の「住」ですが、宿泊のことです。ホテルであったり旅館であったりドミトリーであったり、施設の差はあっても安全な場所を確保することが最低限必要です。


さて、「移食住」だけでは、旅の目的を達成しないとお考えになるかもしれません。観光が目的であれば、そのための情報は大切です。しかし、旅が安全に終えることができるための絶対必要な要素は、「移食住」に集約されているのではないでしょうか?


鳥取県の三朝温泉にあるお寺のお堂に、書かれていた言葉を思い出します。


「旅の一番大切な目的は、出発地点に戻ること!」

259.2年D組 (2003/11/30)

本日は、全くのプライベートな内容で失礼いたします。昨日は、高校のクラス会に行って参りました。毎年11月の最後の土曜日に開催している、高校2年で同じクラスだったメンバーの集まりです。


毎年のように来る者もいれば、20年以上ぶりの者がいたりします。年末前の恒例行事になっており、4半世紀以上続いています。


これまで中断することなく継続して来られたのは、何にも増して献身的な幹事のおかげですが、毎年この時期になると、幹事とそれをサポートするメンバーが立ち回ってくれて、会場の手配からメンバーへの通知を行ってくれます。


また、当時の担任の先生が毎年欠かさず参加される事も、継続して来られた理由の一つでしょう。勿論先生の人望が厚く、またそれを今なお保っておられることも理由として上げることができるでしょう。


つまり、先生にも会いたい、クラスのメンバーにも会いたいという気持ちが全員の中にあるからこそ、長きに渡って続けてくることが出来たのだと思います。


“うりだい!”の瓜生氏が述べておられるように、参加人数を気にするより続けていくことが大切なのだと言うのは、PUGOを率いて来られた方ならではの説得力があります。


私も、当サイトの更新を目標の300回までした後はあまり考えていなかったのですが、多少形式が変わることはあるにせよ、少なくとも続けていく事は大切であるなと思った次第です。


「継続こそ力なり!」

258.近況報告 (2003/11/28)

しばらくご無沙汰いたしておりました。2週間ぶりの更新になりました。例年11月も最終週になる頃には京阪神でも初雪が降るのですが、これも温暖化の影響でしょうか、まだしばらく雪が降るほど寒くはなさそうです。


10泊12日でUSに行って参りました。全くの観光旅行です。同行者がおりましたので個人旅行と同じような無茶はできないのですが、かと言ってツアーと同じでは面白くありませんから、そのあたりの旅程の味付けが難しいところです。


取りあえず少しばかり面白そうな体験がありましたので、そのうち雑記の中にUFOを見た話など(ウソウソ)旅行中のことを織り交ぜて行きたいと思っております。


今週はPUGOの定例会が開かれていて、旅行中であったため参加するチャンスを逃してしまいました。いろいろなサイトで紹介されているPUGOのレポートを読ませて頂いていると、会場の楽しい雰囲気が良く伝わって来ます。また次回の機会にお邪魔したいと思っております。


さて、まだ本調子ではありませんので雑記にさえなっていませんが、とりあえず日常業務(何の業務だ?)に復帰した事をお伝えして、近況報告とさせていただきます。