261.コニカミノルタに代わる名は無し (2003/12/01)

asahi.comに、新生コニカミノルタの名前にまつわる話が掲載されています。コニカミノルタの会社発足からの社名の変遷とともに、経営統合による新社名の由来を綴っています。


コニカとミノルタは、どちらも似た雰囲気を持った会社ではないかと思います。日本における写真産業の黎明期に創始された事や、写真を愛した創始者の意志を今も受け継ぐ風土など、共通した部分が多いのではないでしょうか?


私にとっては、コニカと言うより小西六写真工業の方が馴染みがあったのですが、社会のニーズを的確に捉え、ストロボ内蔵コンパクトカメラ「ピッカリコニカ」自動焦点コンパクトカメラ「ジャスピンコニカ」など世界初の製品を数多く輩出して来たメーカーとして有名です。


また、それまで20枚取りであったカラーフィルムを、「4枚増えて値段は同じ!どっちが得かよーく考えてみよう!」のCMで、話題をさらったこともありました。消費者の側に立った商品企画のできる、数少ない会社のひとつだと思います。


一方のミノルタも、ライツ社との提携「ライツミノルタCL・CLE」世界初の両優先AE一眼レフ「ミノルタXD」を経て、一世を風靡したシステム自動焦点一眼レフカメラ「α7000」を完成させます。


このようにどちらの会社も、既成概念に捕らわれない、チャレンジ精神旺盛な体質を持ち合わせているのですが、それと同時にビジネス的には控えめである辺りが面白いところです。


コニカもミノルタも、如何にも日本的なネーミングであったようですが、対するキャノン「観音」から由来していると聞いています。当時、新しい技術を使ったカメラ産業に、このような古風な名前が付けられていったのも、日本の伝統を大切にしながら、その土台の上に新しい技術を開拓して行こうとした気概を感じるのは、少し考えすぎでしょうか?


写真産業が発達する段階で、写真文化の発展に寄与した人物も数多くいます。土門拳木村伊兵衛と同じ時期に活躍した、ハナヤ勘兵衛もその一人です。


その写真文化黎明期に活躍したハナヤ勘兵衛氏が作った写真屋が、今も兵庫県の芦屋市にあります。日本における写真の歴史をそのまま刻んで来たような写真店です。


最近は、ミニラボや取次店ばかりになってしまい、本当の写真屋はほとんど見かけなくなりましたから、コニカ、ミノルタが創業した頃から存在している写真店も、これまた貴重な存在であるに違いありません。


asahi.comの記事は、コニカミノルタに代わる名前の候補は有り得なかったと結んでいます。新生コニカミノルタが、これまでのお互いの会社の歴史や伝統を大切にしながら、これからのデジタル時代に相応しい革新的な新製品を生み出していく事に期待したいと思います。